きえた、きえた ネット社会の行方不明者について

kowoegaku

ある男が消える。

ある男は東京都の地下の配線(電気や光ファイバーなど)の設計の仕事をしている。今は新しくできる湾央区の配線の設計を進めている。大卒後入社した大手の建築会社では一定の評価を得ていたが、人付き合いが問題であった。ひとりで集中して設計を考えるのであればよいのだが、大勢の人間と一緒に仕事をしていると息苦しくなってくる。

そのため独立し、以前勤めていた建築会社より設計の仕事を受けている。独立してからは人間関係の煩わしさから離れ、設計の仕事に集中できる。ある男にとっては理想的な環境だった。設計の仕事のみであれば自信を持っていたし、実際に前の会社より湾央プロジェクトという大きな仕事の一部も受けていた。

 湾央プロジェクトとは東京湾に広がるフロート型のエコタウンで、ワールドカップに併せて3つの新しい区が誕生する。再来年の開催に向けて、急ピッチで工事が進んでいる。ある男は新しいプロジェクトに参加できることを素直に喜んだ。もちろん、基本的な都市デザイン、スタジアムの建築デザインは世界的に有名なクリエイター達が行った。ある男は地下の配線という文字通り日の当たらない作業であるが、国を挙げての事業に関わることが嬉しく思っていた。ましてや、ワールドカップだ。やり甲斐を感じ、連日、打ち合わせや設計の練り直し。胸が高まっていた。

 そんな中時折、自分の体で気になることがあった。いや、頭や記憶についてだろうか。連日の設計でひどく疲れた時や、ぼぉっとしている時に自分が今にも高い場所から落ちそうな映像が視界に差し込まれる。湾央区と湾東区を結ぶ橋。大きな高い橋の欄干を歩いている。少しでも風が吹いたり、橋が揺れたりすると下に吸い込まれそうになる。下をみると海が広がるはずだが、真っ暗な闇が広がっている。車道は渋滞し、歩道は人でごったがえしている。近くで何か大きなイベントでもあるのだろうか。橋の欄干を歩き続ける。危ないことをしている男をだれもみていない。しばらく歩くと、そのまま足を踏み外す。誰もみていないわけだから、橋の上の人々は歩みを進めるだけである。誰も気づかず、一人の人間がいなくなった。

 意識ははっきりしているし、疲れは溜まっていない・・・と思っている。しかし、胸の奥には何かに対しての恐れや慄きがあるのではないか。

 このような記憶の呼び戻しについてネット検索をかけたことがある。どうすれば改善できるのだ? 軽い運動やストレッチ。自分の趣味に没頭する。昔の友人に連絡をとってみるといった、ありきたりな情報ばかりだった。「死の恐怖」、「心の疲労」といったワード検索が影響したのか、それ以来、決まって「消す男」という動画がサジェストされるようになった。見てみると湾央区の埋立地の地下に自由にナンバーを「消す男」がいるそうだ。消したナンバーを政治家や、起業家といった有力者に販売し、その結果大量の資産を持っていると言っていた。かたや、ナンバーが無くなった人間は少しずつ、周りから見えなくなっていく。最後は透明な存在になるようだった。

「ん?」ある男は引っかかった。そういえば湾央区の埋立地の配線をしている。もし、「消す男」が本当にいるなら、地下にある秘密の司令室のような場所で気まぐれに人々のナンバーを消しているのだろうか。そうであれば、設計した配線が「消す男」の作業を助けていることになる。図らずとも「消す」手助けか。ある男は自分が都市伝説に繋がったことに気づいた。これ以上、動画がサジェストされないようにBADボタンを押した。別のワード検索をしても必ずサジェスト動画に上がってくる。「これじゃ、消せない男じゃないか、全く」とツッコミを入れた刹那、いや、これは記憶の呼び戻しか? ある男はだんだんと自分の認識と呼び戻しの境がぼやけ、重なり合い始めているように思えた。


 自宅兼事務所で仕事を進めていると、一緒に仕事をしていた元同僚から電話が入った。

 「湾央区の工事の件ですが、湾央の工事全般が一旦休止となりました。現場の作業員の数名が行方不明になってしまって。湾央区と湾東区を結ぶ橋の欄干から自ら落ちてしまったそうで」

 「落ちた? 事故? それとも自殺のような」

 「警察は両方で調べているようですが、作業員数名ですからね。警察からは捜査のため工事をしばらく休んでほしいと言われています。湾央区のC地区の設計が変更になるかもしれません。すみませんが、設計を一旦止めていただけましたら。再会の目処が経てば、連絡差し上げます」


 ある男はWEBショッピングで日用品を購入しようと、今まで、IDとPASSはブラウザに保存し認証されていた。何度か同じ入力するとロックされた。ある男が使用しているWEBサービスにいくつかつなげてみると、その中の一部のIDが使用できなくなっている。

ある男はWEB認証であればよくあることと思い、それ以上の追求を行わなかった。

 翌日、ある男は設計データをクラウドにアップしようとするとエラーが発生した。ボットに問い合わせを入れると、あなたのIDは存在しないとのメッセージ。

 翌日、政府のナンバーを使って電子マネーを使うと、「あなたのナンバーは存在しない」とのメッセージ。

 なんだ? ある男は自分に記憶の呼び戻しが起こっているのだと思った。一度、冷静になろう。男は

そして、

政府のナンバーシステムに確認を入れる。そこでも、同様のメッセージ。

「あなたのナンバーは存在しない」

役所の窓口でナンバーは存在しないと表示され、困っている。早く元に戻してほしいと話す。話を聞いて顔をしかめる役人。担当の役人は奥に座っている人物に状況を報告している。カウンター内にいる役人はある男のナンバーが削除されていることに気がつき、ヒソヒソ話を始める。何をいっているかわからないがひどく不快だ。そして、随分待たされている。

 「来月までに回答を用意しておくので、また来てください。仮のカードを発行します」役人は目を合わさずに真新しい仮のカードを見せた。

 このカードを使っているってことは周りには話したりしないでくださいと釘を刺された。それに加え貸したり、人に渡したりするのも止めて下さい。役人は強張った表情で取り扱いの説明をした。カードを見せないと買い物さえできないが、あの役人は何を思っているのだろう? 隠せる訳ないじゃないか。

 帰りに書店により、仕事用の資料として書籍を買った。目当ての書籍はすぐに見つかり会計をしようとし、レジ前に立ち声をかけるが店員がやってこない。レジの奥にいる店員はある男が並んでいる姿が見えているはずだ。さっきより大きな声をかける。店員が寄ってきたが、小さな声で目も合わさない。先ほどの役場と同じように顔をしかめ、目を合わさず書籍を袋にいれた。会計のため仮のカードを提示し、書籍を受け取る。定員の手が震えていた。役人は仮のカードを人に見せるなと説明していたが、このことなのだろうか。 仮のカードユーザーは忌み嫌われる存在なのか? いや・・・仮のカードを見せてもいないのに、レジでの呼びかけを聞こえないふりをしたり、顔をしかめ包装したりとすでに仮のカード店員は知っているようだった。考えすぎであればいいなとある男は思った。

 仮のカードで生活を続ける。湾央区の配線とは別の地下配線の仕事を進め、一定数のタスクをこなしデータを元請けのゼネコンに送る。仮のカードを使うとIDとPASSは認証されるようになった。打ち合わせはメールで。設計する対象が変わるだけで、地下の配線はどこも同じような作業であった。


天気予報では積乱雲が発生しやすくなっているという。ゲリラ豪雨の際は雷に注意し、氾濫した川などには近寄らないようにと話していた。ある男はスーパーで仮のカードで日用品の買い物を終えた。いつものように仮のカードを提示すると店員が不機嫌そうに対応する。しかし、その姿に慣れ始めていた。もしかしたら、考えすぎなのかもしれないし、元々、不機嫌な顔なのかもしれない。いや、そもそも仮のカードのことなんて一般人は何もしらないのかも?と自分にいくつかの仮説を作り、その解釈を曖昧にし、やり過ごすようになっていた。スーパーの出口である女に話かけられた。

「突然すいません」聞きなれない女の声だった。

 「さきほど使われていた、銀色のカードはどちらで手にされました?」レジで仮のカードをかざしているのを見られたのだ。その女は自分の仮のカードを取り出した。ある男のものより随分、使い込んでいるように見える。

 挨拶もなく突然、声をかけられ気味が悪いし、自分が仮のカードの身であることを他人に知られたことが恥ずかしいような気持ちだった。ある男はカードを無くしただけですよとうそぶいた。

「明日にでも、本物が再発行されるんですよ」その場を去ろうとするとその女が引き止める。「そのカードの持ち主ってことは消す男のこと、ご存知ですよね?」

「消す男?」ある男は先週からサジェストされている動画のことを思い出した。

「消す男はあなたのように、たくさんの人のナンバーを消しているのですよ。ナンバーがなくなり、しばらくして、皆いなくなってしまうようですよ」

 ある男は困惑した。それとも、この女何か真実を知っているのであろうか? いや、単に頭がおかしいのか?

「来週にでも元に戻るんですよ。すいません。急いでいるので」

「もし、戻らなかったら?」

「え?」

「私のように、戻らなかったら?」

 それ以上は相手にせずその場をはなれた。

 あの女もナンバーがないのか?ではずっと仮のカードで生活していることになるのだろうか?そんなことがこの社会であるのだろうか?と思うと同時に記憶の予備戻しが起こった。自分が大きな穴に落ちていくような映像だった。今日は記憶の呼び戻しがループしている。自分が暗い場所へ落っこちていくような映像だ。その自分を客観的に見ている。真っ暗闇であるが、どこへ落ちていくのだろう。暗い穴の底がどうなっているのか知りたいが、自分が落ちていく姿だけが繰り返されていた。


 しかしながら、あの女とあって以来、ネットのニュースサイトの広告欄や動画を見ていると決まってある動画がサジェストされる。

動画の内容:ナンバーを自ら破棄した人間が多数発生している。その群れは埋立地にある地下の駅を乗っ取り生活している。ナンバーを自ら破棄するというのは借金苦やドラッグ中毒、ヤクザや、食えない芸術家や左翼の活動家やハッカーといった犯罪者やはぐれもの達が混生しているという。ある男はその埋立地の地下の配線を設計したことがあることを思い出した。自分と棄民達がつながっているようで怖かった。


見たことのない、異様な数字が列挙されている電話が着信しているようだ。

モニターが故障しているのだろうか? 桁数が多すぎるし、見たことのない文字が使われている。無視したが、再度かかってきたので、電話にでると、前に窓口対応した役人だという。

「こちらの手違いであなたのナンバーはいったん休止されるような扱いとなっていました。復旧させますのでお手数ですが、役所に来て指紋認証をお願いします」

ある男は来週伺いますと伝え電話を切った。やっと、元に戻れそうだ。ある男は状況が改善していることに安心していた。ふと、テレビニュースを見る。

 最近はナンバーを紛失した人間が多数いるとキャスターが伝えている。ある男はニュースに釘付けになった。「最近、サジェストされている動画ではないか?」

VTRでは紛失者Kさんがでインタビューに答えている。

「あなたがナンバーをなくしたきっかけは?」と取材者。

「わかりません。突如、電子マネーが使えなくなったのです」

 何よりKさんが困っているのは、見知らぬ人からの心無い差別だった。仮のカードを使っていることが周りに伝わり、いわれのない差別を受けているそうです。仮のカードの所有者は悪意のあるメッセージが届くという。

「犯罪を起こしたから、仮のカードを使っている」

「借金のせいで正規のカードが使えない」

「消す男に正直に話せ!」

最近、Kさんは仮のカードでもネットに繋ぐことが怖くなったそうです。

 ニュースキャスターが最後に差別をいさめると同時に最近はナンバーからはじかれる人が増えているとも。

 自分はまだマシな方だと思った。仮のカードを使っていても嫌な思いは・・・今日は変な女に話しかけられたがそれぐらいだ。来週には新しいカードを役所に取りに行く。

そう、ニュースにあったようなことは俺には関係ない。


 役所から連絡があった翌日、ある男は役場へナンバーの復帰のため訪れると、役人は怪訝そうに眺めている。ナンバーを復旧させたいと伝えると「は?」という顔でこちらを眺めている。

「あなたはご本人でナンバーを破棄されましたよ」

「え?」

「覚えてませんか? 先週、ナンバーを破棄されましたよ」役人はゲリラ豪雨で役所の前が氾濫した日ってことで、先週の水曜日と明確に伝えてきた。

あのゲリラ豪雨の中でわざわざでかけるような奴がいるのだろうか? ある男は訴えようとしたとき、役人は言葉を遮るように破棄に同意した署名もいただいていますが?

 「破棄したのは自分ではない」思わず声を荒げた。

最近、自ら破棄する人間がいるってことは知っているが、自分には破棄しないといけないような後ろ暗いことはないことを伝えた。役人とやりとりしながら、ある男は女との会話を思い出した。

 「私のように戻らなかったら?」

 戻らなかったら?

 ずっと戻らなかったら?

 仮のカードでいくしかないじゃないか。


ある男は仮のカードで生き始めてから数ヶ月がたった。これまでの日々は、穏やかなものではなかった。毎日、着心地のわるいワイシャツをきているようだった。時に首が窮屈、時に袖が短かった。少しずつ、不快感が溜まっていった。

ある男は数少ない友人であるヨシダにショートメッセージに(久しぶりに食事をしようと)をしたが、反応がなかった「User unknown」とはならなかったので、相手のサーバーにはついているはずであるが、一向に反応がない。

 役所の顛末や仮のカードのことを思い出すと、もしかして・・・?友人ヨシダに電話をかけると応答があった。

 「久しぶり。食事でもどうかなって?」

 「いいよ。お前から誘うなんてなんかあった?」こちらの問いかけを聞いていないのか吉田は話を続けた。

 「そうそう、俺たちのマネージャーだった、イクミって覚えている?」

 「ん?」

 「今度、結婚するんだって。結婚相手はライバルチームのピッチャーだった奴だぜ。やばいよな」

 「えー初めて聞いたよ。きっかけはどんなだった?」

 野球部のヨシダとしばらく野球部の同窓生の近況を聞き、「またな」、なんて言って電話を切ったが、嫌な汗をかいていた。ある男の学生時代の部活は吹奏楽部だった。


 仮のカードを使って、毎日の仕事は続けている。ある男は自分が時々、鏡に映らなくなったり、影が薄くなったりするんじゃないかと真剣に悩むことがあるが、実際にはそんなことはなかった。毎日、鏡を見て髭を剃ったし、ガラス張りのビルには自分が写っていた。少し、周りと違うのは仮のカードのユーザーとして生活し、仮のカードで買い物をした。

「仮のカードで仮の毎日」男は呟いた。あらゆることが仮になり、自分でもびっくりしたが、心が軽くなっていることを感じた。記憶の呼び戻しが起こらない。

 大手建築会社から設計士として独立したが、このまま仕事の依頼を受け続けることはできるのだろうか? 仕事を得ることができても、日進月歩の設計士の仕事。新しい技術を覚え続けることはできるのだろうか。今までの口にしなかった、他の人からみたありふれた不安がいつも胸の内にあることに目を向けていなかったが、よくよく、考えるとそれは無意識なプレッシャーを抱えていることに気がついた。

 「仮のカードで仮の毎日」

 会社を辞めた日や、学校の卒業式の日を思い出した。なんだか、気持ちがかるくなるような。ある男は数ヶ月前にナンバーを無くした。自分は日本国のナンバーから卒業したのだろうか?これからも仮のカードで人生が進むはず。消す男に会いたくなった。

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