21話 甘さと警戒
「オスカー・アークって知ってる?」
そう問うと、実験を続けていたアンの手が止まった。
「誰?」
僕に背を向けたまま、アンは問い返した。
「僕も詳しくは知らない。レオネル先輩を庇って死んだ兵士の名前らしい」
「ふぅん、知らないね」
そこに動揺は感じ取れなかった。
「……昨日、夢を見たんだ」
「急にどうしたの?」
アンが振り返り、テーブルに並べられた椅子に腰掛ける。
気が付くとそのテーブルにはコップが2つ用意されていて、中には黒い飲み物が湯気を立てていた。
「その夢はやけにリアルで、僕がその場に居るみたいだった」
コップに口を付けながら、アンは僕の方を見やる。
炎と土煙に満ちた風景、突如現れた禍々しい存在、次々に倒れゆく兵士たちと、その中で指揮を執るレオネル先輩らしき人物のことを、覚えている限り詳細に語った。
僕はそこまで語ってコップに手を伸ばし、一口飲む。
少し温くなって呑み頃だった。予想外に甘い味が口の中に広がる。
……コーヒーじゃないのか。
「兵士は、その指揮官を庇うみたいに飛び出して……それで、身体を貫かれて死んだ」
「……そう」
アンは相槌を打ちながらテーブルの隅で丸まっていた紙に手を伸ばし、僕との間にそれを広げた。
「これを見なさい」
それは、地図のようだった。
その中で一番大きな領土で示されているのがナトレア王国で、少し離れた場所にあのレヴァル共和国の名前が見えた。
「1年前、この場所で武力衝突が起こったの。それが引き金になって、つい半年前までナトレア王国とレヴァル共和国は戦争をしてた」
アンは地図の1部を杖で指しながら、淡々と語る。
「戦争なんて、よくある話なの。
アンの口調は、やけに静かだった。
いつもの気だるげな様子でも、フザケた様子でもなく、どこか感情を抑え込んでいるように聞こえた。
「レイが見たのはレオネルで間違いないと思う。その光景は、戦争最後の日に起こった事件の一部始終よ」
「ってことは……」
確信はしていた。
だが、覚悟ができているかは別の話だ。
「偶然よ?私にとって、死体は素材でしかない。生前のパーソナリティなんてどうだっていいの」
淡々とした語り口の裏に、アンの気遣いを感じた。
「ありがと」
「何?私は私の魔力と親和性が高い素材を選んでるだけ。それが、たまたまオスカー?ってヤツだったってだけの話よ。どこにも感謝される要素は無いでしょ」
……不器用なヤツだな
ぶっきらぼうに言うアンに思わず口元が緩んで、「何笑ってるのさ」と怒られてしまう。
確かに僕は僕で、オスカー・アークとやらではない。
「ところで、レオネル先輩はどうする?」
「そこが問題よね」
アンが顎に手をやって首を
「国の英雄が突然失踪なんてすれば大事件になっちゃうし……」
「待て待て待て待て」
「冗談」
とても冗談を言っている雰囲気には感じられなかった。
「そもそもなんだが、セシリアさんにもバレてたっぽいんだ。もしかして僕って見るからに変だったりするのか?」
「げ……そのことなんだけどさ、私には分かんないんだよ」
バツの悪そうな表情で顔を伏せる。
「え?ルサスの瞳って魔力を捉えるんじゃないのか?」
「そうなんだけど……ってか、だからこそなんだよね」
頭をポリポリと掻きながら再度口を開く。
「ずっと見えてるから、見えない人の気持がわかんないっていうか……ね?」
天才故の悩みキタコレ
冗談はさておき、状況は思ったより悪そうだ。
ここ数ヶ月、正体を隠して過ごしてきたと思っていた。
それが全くのムダで、実はバレバレでした(笑)なんてことになっていれば目も当てられない。
「あ、でも学長が許可したってことは大丈夫なんじゃないのか?」
「あのおじいちゃん、あんまり信用しない方がいいよ」
「え?」
「あの人、多分レイのこと利用して何かしようとしてる。……何かは分かんないけど」
言葉を曖昧に濁すアンだが、軽口や意地悪で言っているワケではなさそうだ。
「クラスの奴らに何か言われたことは?」
「それは無い」
アンは、うんうんと唸りながら首を捻る。
「セシリアの結界眼で見抜けるレベルだったとすると……魔育祭、マズいかもしれないわね」
「マズい?」
「魔育祭って、軍部の偉い人も結構見に来るの。優秀な生徒は軍にスカウトしたいからね。レイも注目度は低いとは言え、当然見られる事になる。その中にあんたの正体を見抜ける人間が居るって可能性はゼロじゃない」
これまで考えもしなかったが、言われてみれば確かにそうだ。
少なくとも学長には初対面で見破られている。
異世界転生なんて展開に、浮かれていなかったか?と問われると言葉に詰まる。
警戒しなくては、なんて思いながらも危機感が足りていなかったことを思い知らされる。
「改めて、警戒を強めるべきね。対策も考えないと……」
そう言って首を振りながらため息を吐く。
「特にレオネル」
テーブルに広げた地図を眺めながら、アンが続ける。
「レヴァル共和国が手を出したのは、禁術とされてる魔族召喚の儀。本来なら国際問題になるんだけど……目撃者が若い指揮官1人だけ、他は全員死んでる、相手がナトレア王国、とか色んな要素が絡み合ってレヴァルはお咎めなしに終わってるの」
アンは忌々しげに地図を睨む。
……この世界にも、煩わしい国際問題とかってあるんだな。
なんて思いながら、ヌルくなった黒い飲み物を
「レオネルは、静かに復讐へ心を燃やしてる。私がレイに刻んだ術式とかも含めて、レイの正体を完全に把握したら、レオネルは次の戦争にレイを引っ張って行くかもしれない。先に禁術を使ったのは向こうだ、ってね」
──近い未来に、必ず君はもっと大きな舞台に引きずり出されることになるよ。
レオネル先輩の言葉が脳裏に浮かび、背筋に冷たいものが走る。
こちらを見つめるアンの瞳は、琥珀色の光を宿して揺れる。
気付けばコップの中の黒い謎飲料はすっかり冷めきっていた。
口の中に残る甘い後味が、これまでの僕を責めているみたいだった。
ナトレア戦記〜転生したら禁忌存在だったのでバレないように生きようと思います〜 Narr(ナル) @Ring_A_Moment
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