アメ横叙景

@wlm6223

アメ横叙景

 年の暮れともなると、年末年始の食品の買い出しに行く人がとても多くなる。

 彼らの求めているのは、あるいはおせち料理の材料だったり、年始に奮発した食材を求めてのことだ。

 これは年末年始の休暇をのんびりを過ごすための買い溜めなのだ。勿論、帰省する人は買い出しなどしない。

 つまり、買い出し客の殆どが地元の人となる。

 ここ東京では年末年始の買い出しの定番としては築地か上野―御徒町間のアメ横と相場が決まっている。

 築地の方は政治の力で無理矢理に豊洲へ引っ越してしまったため、車を持たない私には足が遠のいてしまった。となると、必然的にアメ横行きとなる。

 アメ横はJR山手線上野駅から御徒町までの約五百メートルに軒を連ねる商店街だ。

 道幅も広く、それに輪をかけて店がぎゅう詰めに建ち並んでいる。

 店は大体、鮮魚屋・乾物屋・衣料品屋が多いように見せる。他にもケバブ屋(呼び込みの店員さんがすげー元気がいい!)・宝飾店・衣料品店・居酒屋・海鮮丼屋・靴屋・時計屋・お菓子屋など、およそ真っ当な商いとしてアメ横にないのは不動産屋ぐらいだろう。

 アメ横に来れば何でも揃う。という訳で、年末には大勢の買い物客でごった返すのだ。

 ここアメ横に来るのは、年末年始を東京で過ごそうという人が多い筈だ。つまり、東京の地元民が多いと考えて良い。東京在住の地方出身者は大体四十五パーセントなのだそうだ。つまり、アメ横に来る客はその他東京出身者の五十五パーセントのうちからやってくる訳だ。

 東京は雑多な街だ。道産子からウチナーンチュまで幅広く住んでいる。極少数だが、海外からの移住組もいる。そういった移住組を濾過して、東京に居を構える人がアメ横にやって来るのだ。

 年末のアメ横の混在具合はかなり酷い。

 人、人、人。商店街を歩くのさえままならない。その歩道の両脇から店員の威勢のいいダミ声が飛んでくる。何年か前まではいい歳したオヤジの罵声ともとれる声しかなかったが、ここ数年では気っぷのいい若い女が景気よく声高に客をあおっている。そのため、否が応でも高揚感が募ってくる。勢い、財布の紐も緩んでしまう。アメ横での買い物は、基本、千円単位で丁度か、せめて五百円単位で切りのいい値段になっている。恐らく店側も一々細かいジャリ銭での遣り取りが面倒なのだろう。そういったところが、いかにも東京二十三区東部の良くも悪くも大雑把な気風を靡かせている。

 私は一人暮らしなので、それほどの食材は購入しない。せいぜい数の子か筋子を一パック買う程度だ。その程度の買い物であれば、時間と電車賃を考慮すれば、近所のスーパーで手っ取り早く買ってくればよい。

 だが頭で冷静にその判断が下せても、胸の裡では「年末はアメ横」という習慣が根付いてしまっているのだ。

 アメ横の空気は独特のものがある。

 それは東京二十三区東部の匂いを濃くしたものと言おうか、一種独特の水の気配を感じるのだ。場所柄、海から近いこともあってか、漁師の熱・海産物仲買人の肌の匂いが立ちこめているのだ。これは神奈川県にも言える。

 翻って新宿より西、西東京市に向かって行くに連れて土の匂いがしてくる。これは埼玉県も同様。やはり昔からその土地の匂いは長い年月を通して醸成されるので、この空気感はこれからも変わらないと思われる。

 私は江東区出身だから、この水の匂いを嗅ぐと、何とも言えない郷愁をそそられる。アメ横に充溢する乾物の匂い・生魚の匂い・革ジャンの匂い・それに東京二十三区東部の人間の匂い……。これらは池袋・新宿・渋谷・原宿・六本木といった都内有数の繁華街とは明らかに異なっている。恐らく東京都民以外の人は前述の繁華街が東京のイメージとして定着しているだろうが、いやいや、そんなことはない。

 東京には清澄白河があり、浅草があり、北千住がある。そう。下町があるのだ。

 東京二十三区の東部を纏めて「下町」と呼んでくれる人もいるが、それは不正解。千九百七十年代に政治の力で宅地造成・再開発が進められ、単なるベッドタウンになっている場所が多いのだ。近頃では、それらの団地・マンション群も大分古くなり、今や住人たちの高齢化が進み、況んや古い物件だけあって地価が下がり、外国人も増えたと聞く。一斉に再開発したものだから、一斉にそこで育った子供たちは巣立っていき、一斉にその親は団地に取り残された。

 つまり、街全体が老朽化し始めているのだ。

 そういった団地では年老いた住民たちが古く鄙びた集合住宅にひっそりと暮らしている。賃料の安さに釣られて外国人が入ってくる。そう、街全体の新陳代謝に失敗したのだ。

 で、その子供たちはどこへ行ってしまったかというと、土の匂いのする東京西部へ行ったり、あるいは神奈川県・埼玉県へと引っ越してしまったのだ。私もその団地からの脱出組だ。

 生まれ育った空気や水からは逃れられない。これは誰かが言っていた言葉だ。私も初老を迎えてこの言葉が身に染みるようになってきた。東方憧憬とでも言っておこう。私が年末のアメ横に馳せ参じるのはこの抗えない土着の風俗に塗れて暮らした少年時代の追想なのだ。

 だからアメ横の混雑にも不快を感じない。むしろこの人混みに安逸を見出してしまうのだ。この人波、この猥雑さ、どこからともなく漂ってくる肉を焼く匂い、酒の匂い、海産物の匂い。そういったものが渾然として鼻孔をくすぐる。これが東京の田舎の匂いなのだ。

 恐らく上京組は、こういった風景を東京に対して望んでいないだろうが、これが地元東京の本当の姿なのだ。

 この東京の姿は、何人をも受け入れてくれる鷹揚さがある。

 九州から、関西から、北海道から、東北から、全国から沢山の人が東京を目指してくる。特に上野駅は東京の北の窓口だ。だれが詠んだか忘れたが、上野駅の雑踏の中に東北弁混じりの声を聞いて望郷の感を得る、という詩があったと思う。そう。東京は本来は何でもありの街なのだ。

 その何でもありの姿を東京風にアレンジすると、即ちアメ横になる。アメ横は東京の田舎であり故郷なのだ。

 エネルギッシュで猥雑で、それでいて一定のルールの下に皆が参画してる――それが本来の東京人の有様なのだ。

 だから酔い潰れて道端に寝転ぶ者もなく(そんな無作法は東京人はしない)、意外にも治安が良かったりする。誰も隣家にコソ泥に入らないのと同じように、アメ横に来る人間は一期一会の対話のない他人であり隣人なのだ。

 私はアメ横の喧噪を充分の楽しんだ。

 人の流れにのって歩道の両脇から威勢のいい掛け声をかけられるのはちょっとした快感だ。

 私はある海産物店を覗いた。

 ボイル済みの蟹、鮪、筋子、鮭、数の子等々が陳列されていた。私が店先を物色している間にも飛ぶように品物が売れていく。

 景気いいねえ。

 ダミ声の店員が「これおまけしちゃうから!」と他の客が大量に買い物するのに向こうからそういう言葉が出た。おまけはイクラのようだ。

 一見、こういう大雑把な様に見えるところがいかにも年末のアメ横らしかった。

 私も鞄から財布を抜き取り筋子のパックを一つ取り上げ、「これ頂戴」と店員に言った。

「ありがとうございます!」

 私は店員に千円札一枚とその筋子のパックを渡した。店員はパックを白いビニール袋に入れて私に返した。

「どーもー!」

 この間、僅か五秒程度。この潔さがまた東京人らしい。

 私はまた人波にのって歩みを進めた。

 ここで一つアメ横tipsなのだが、早く前進したいのなら、歩道ではなくガード下の商店街をくぐり抜けるのが早い。

 と言う訳で、私はガード下へと進んでいった。

 ガード下は外の歩道とは打って変わってガランとしていた。

 このガード下も多彩な商店が軒を連ねている。コスメ屋・皮革グッズ屋・万年筆屋・時計屋等がある。私は革製品が好きなので、ちょっと店を冷やかしてみた。

 ベルト・財布・アクセサリー等々が三坪ほどの店内に犇めいている。

 そうそう。この圧迫感が良いのだ。

 私の財布もかなり年季の入った革製だ。

 実を言うと、年季が入りすぎて皮の風合いが出るのを通り過ぎて表面や角が摩滅し、どう見てもボロでしかなかった。ついでに言えば、私はキーホルダーも欲しかった。これもボロボロの革製で、頑丈で丈夫で長持ちするのは良いのだが、とにかく見た目が悪い。

 年末だし、ここは食品に奮発するより、身の回り品を調えようかと思った。

 私の後に来た客が、既に目当ての品があるようで、店員を捕まえて値段交渉を始めた。

 客は三十代中頃の若い紳士に見えた。ちょっと見にはアメ横には不釣り合いな身なりの良さだった。その物腰も柔らかく、育ちの良さがその雰囲気から察せられた。

 店員は六十代の老爺。年こそいっているとはいえ、長年この土地で商売をしてきた貫禄は充分にあった。禿頭の下の目が笑ってはいたがその言葉には商人の愛想の良さと狡猾さとが光っていた。

 私は二人の会話に聞き耳を立てた。

「吉田カバンの財布だと幾らになります?」

「いやあ、吉田カバンさんは卸が一つしかないんで、どこのお店で買っても同じ値段なんですよ」

「ああ、そうなんですか。じゃ、こっちは幾ら?」

「こちらですと、頑張って一万四千八百円でいかがでしょう」

 客と店員は笑顔だったが、互いの腹の底で睨み合っていた。

「端数の八百円を切り捨ててくれたら買いますよ」

「ああ。そうですか。それじゃあ、お買い上げありがとうございます」

 商談成立。

 これが東京のやり方なのかどうか、私は知らないが、基本的に商品には値札がついており、客はその値段で買う。普通、値引き交渉をしないのが、私の知っている買い方だ。だがアメ横は違う。値引き交渉が前提となっている。勿論、ボリュームディスカウントもあるだろう。この「ボリュームディスカウント」というのはどうや日本独自のやり方であるらしく、他のアジア諸国では通じないらしい。例えば中国で百元の商品を十個買うから九百元に負けろ、と言っても「何言ってんだ?」となるのだそうだ。勿論、前述のアメ横の海産物屋の様に「これオマケ!」なんてあり得ない。

 こういう丁々発止ができるのもアメ横の醍醐味でもあり面倒くさいところでもあるのだ。

 私はポケットの多い財布を探した。

「お客さん、何かお探しもので?」

 店員はその目だけで愛想を作って私に尋ねた。

「ええ。なるべくポケットの多い財布とキーホルダーを」

 私は財布とキーホルダーを店員に見せた。

「大分使い込まれてますねえ」

「ええ。易い新品を短期間で買い換えるよりも多少値段は張っても長く使えるものが好みなんで。修理して使えるならより結構」

 店員は笑った。

「今時にしては珍しいですね。修理しながら使うなんて、もう昭和の時代で終わっちゃいましたから」

「でも今でもヴィトンのバッグなんかはそういう造りになってるんでしょう?」

 店員の目の色が変わった。

「よくご存じですねえ。でもああいう高級ブランド品は、日本人が買い漁るようになってから、変わっちゃいましたから。ああいうのは元々は子から孫へ、代々使い続けられるようになってたんですが、今じゃもう高いだけのデザイン重視のものになっちゃったんですよ」

「そうなんですか。世知辛いもんですね」

「だから本当に良い物が欲しかったら――修理が効いて何年もお使いになるなら――そういうお店から探さなきゃいけませんよ」

 私は然り、と思った。

「じゃあ、このお店も……」

「修理は承っていません」

「そうなっちゃいますよねえ」

 私は店員と目を合わせてお互い小さく笑った。

「じゃあ、適当にお薦めの長財布とキーホルダー、選んで下さい。あ、キーホルダーは出来れば明るい色のもので」

「そうですねえ……こちらとこちらなんかどうです?」

 店員は店の端にある焦げ茶色の長財布とキーホルダーを選んでくれた。キーホルダーは白・黒・焦げ茶・オレンジ・青の五色あった。

 私は長財布を開いてポケットの数を確認した。全部で十個あった。これだけあれば充分だ。

「お値段は?」

「財布が八千五百円とキーホルダーが一個千円です」

「キーホルダーが高いな」

「これぐらいの価格帯ですとうちもカツカツなんで」

「値引き不可?」

「これで精一杯です」

 交渉になってない。私は自分のコミュニケーション力には自信がなかった。店員はそれを瞬時に見破ったのだろう。

「……じゃあ、それで」

「キーホルダーは何色にします」

「オレンジで。暗い鞄の中に入れても目立ちますから」

「はい。かしこまりました。ありがとうございます」

 私は財布から新紙幣の一万円札を一枚取り出して店員に渡し、店員は長財布とキーホルダーをビニール袋に包んでお釣りの五百円玉一枚と一緒に私に渡した。

 店を立ち去る時に店員はもう一度私に「ありがとうございました」と言った。私はそれを尻目にさっさと店を後にした。

 買い物の要件はこれで済んだ。

 このまま帰宅しても味気ないのでしばらくアメ横散策することにした。

 もう季節は冬の真っ盛りだ。吐く息が白なるほどではないが、この人熱れがないと更に寒く感じただろう。

 私はガード下を出てまた混雑する通りへと出た。

 まずは一休み。

 私はアメ横センタービルを目指した。

 アメ横の通りは概ね山手線内側と外側があり、外側は通りが二本走っている。その二本が合流する上野駅側の突端にアメ横センタービルがある。このビルはテナントビルになっており、路面店よりは広い店が満杯に入っている。

 その二階へ昇るビル外の階段、その先に自動販売機コーナーがある。私はそこで缶コーヒーを買ってアメ横の人波を見下ろしてみた。

 さすがは年末のアメ横。こうして通りの全景を見渡すと、かなりの人手で賑わっている。ついさっきまで私もその中の一人にすぎなかったのが、こうしてみると、色が黒、または灰色に染まっているのが分かる。通行人の衣類の色がそう見させているのか、それとも髪色のせいか、所々に垣間見えるアスファルトせいか、その景色は殺風景だ。

 しかし、これこそ都心部出身者の原風景なのだ。

 東京二十三区にも緑はある。あるといってもそれは街路の銀杏や躑躅、時折ある桜でしかなく、基本的に緑を感じることは少ない。

 ヨーロッパから来る観光客には、この緑の極端に少ない東京の姿を、不気味に思ったり違和感を感じる人もいるそうだ。

 しかし、それは彼らの原風景との比較であって、この環境の中で育った私にはむしろこの風景こそが馴染みある親しんだ景色なのだ。かといって私にはその緑豊かな景色が恋しいとも羨ましいとも思わない。これは単に育った環境の違いであって、優劣の問題ではないと思っている。

 東京の人口は約千三百万人だ。それほどの人口を誇っている代わり、緑地が少ない。ただそれだけのことだ。

 しかもその「コンクリートジャングル」は二十三区に限ったことで、東京西部、特に西東京市より西側は他の地方と大して代わり映えしない殺風景な田舎の景色が広がっているのだ。それを知らずにいる人が多いだけなのだ。

 私の手の内の缶コーヒーが冷めてきた。私は残りのコーヒーを一気に飲み干して、アメ横センタービルの地下階へ降りた。

 実を言うと、そこへ行くのはこれが初めてである。

 第一に地の利があまり良くないのと、わざわざ地下階へ行かずとも要件が済まされてしまうから行ったことがなかったのだ。

 では何故今頃になってそんなところへ行こうと思ったか。

 風の噂でそこには海外の食材が豊富に揃っており、日本では中々見られない食材が販売されている、と聞いたからだ。要は物見遊山で見物してやろうと思っただけだ。

 階段を降りて地下階へ降りると、まずそこの空気と匂いがまるでアメ横と違っていた。

 鮮魚屋の匂いとも違い、どこか魚市場の様な匂いと、微かな香辛料の匂い。それにそこにいる人々から発する雰囲気が違っていた。

 というと何か治安が一気に悪くなったように思われるだろうが、そうではない。そこに息づく空気と人間の種類が違っているのだ。 まず目についたのが大量にぶつ切りにされた肉の塊がごっそりと盛られていた。「五花肉」とあったが、それが豚なのか牛なのか、どこの部位なのか私は知らなかった。続いて大人の掌を広げたほどの大きさのあるワタリガニ。これは外の店と違い、ボイルされていない生の蟹だった。緑がかった黒い蟹が整然並べられている。独特の匂いの元はどうやらこれらしい。水槽が設けられ、中に伊勢エビ(?)がいた。これらの食材の大きさに私は圧倒された。

 エビとかカニって、こんなにデカかったっけ?

 私は普段見慣れない食材に好奇心をそそられた。

 私が一目見てそれが何であるか分かったのは大蒜ぐらいのものだった。

 その大蒜にしても粒状のものではなく、大蒜の塊のまま、ネット袋に十個も二十個も入っているのである。その下に大量の豚足。これは私の出身地のせいであるかもしれないが、豚足を食べる習慣は、少なくとも私にはない。その柔らかいゼラチン質の白い姿態は生きている当時の形状をそのまま残していた。

 ここにあるものは外で売っている物よりも遙かにその大きく嵩張る物ばかりだった。「親鶏切」という謎肉もあった。名前から察すれば鶏の肉なのだろうが、その大きさは鶏よりも大きいように見えた。

 とにかくデカい。量が多い。そんな印象だった。

 生鮮野菜もあった。パクチーもあり(日本じゃ殆ど使われないのだが)、青マンゴーもあり(これも和食には用いない)、ビニール袋入りの茶色い謎の香辛料もあった。

 どうもこのフロアの匂いはそこら中にある水槽と香辛料のせいらしかった。

 他にも簡体字で書かれたスナック類、お菓子らしいものもあった。

 そう、このフロアだけ外国だったのだ。

 店の屋号を見ると「野沢屋」「京和商店」等々、一見すると和名だが、その実取り扱っているものは海外向けのものだった。

 それを買い求めるのもやはり外国人が多いらしかった。

 フロアは外ほどではないが混み合っており、中国語が飛び交っていた。中国人と言えば声がデカ過ぎるので有名だが、このフロアの店員たちは外の店員たちと違い、客を呼び込むでもなく、声を張り上げるでもなく、極普通の接客をしていた。

 ひょっとしたら台湾人が多いのかも知れない。

 中国人の新年と言えば旧正月の一月末の筈だ。在日中国人も日本の習慣に倣って三が日はお休みなのだろうか?

 確かに中国人であれば、その見た目だけでは日本人と判別が難しくてもおかしくない。ひょっとすると、このフロアで日本人は私だけなのか? 周囲からは中国語(北京語? 広東語?)での遣り取りが聞こえてくる。私は簡体字で書かれた謎のお菓子を買おうかとも思ったが、止めておいた。未知の食材の恐怖もあったが、これを求めている人のために物見遊山の一見客が在庫を減らすのが躊躇われたのだ。

 こういった外国人(主に中国人?)向けの商店が固まって軒を連ねているところを見ると、案外東京にも外国人が定着しているのが分かる。彼らもまた、郷土への郷愁のためか、あるいはただの食生活の習慣のために、こういった食材を求めにアメ横へ来るのだろうか。

 結局、生まれ育った土地と水からは逃れられないのだ。

 どれほど海外生活が長くとも、その地に溶け込んで生活していようとも、結局は生家の味や風土は決して逃れられないのだろう。

 私は幸いにして生活拠点を生まれ育った東京から出ることはなかった。まあ、出身は東京なので田舎者呼ばわりはされないが、もし私が東京以外の出身であるならば、きっとその土地に根付いて生活していただろう。そういう意味では私は田舎者だ。しかし、自分の生まれ育ちを卑下する積もりはないし、どこか他所の大都会、例えばニューヨークやロンドンに卑屈なほど憧れもしない。

 そういった気風は大阪人にも見受けられる。彼らは自分たちの方言を「田舎くさい」だとか「恥ずかしい」とも思っておらず、どこへ行っても大阪弁で通す。単に大阪弁以外喋れないというのもありそうだが、変に東京に染まることなく、自分たちの価値観でちゃんと日本中どこにでも出掛けていく。その姿は決して田舎者ではない。

 世界中を旅して回るのが都会人ではなく、その地に根を張って正々堂々と生き、他所者を排斥しない。自分たちの文化をちゃんと守って生きていけるのが所謂田舎者とは違うところなのだ。

 この地下階にいる客も、店員も、そういった田舎者ではなく、都会人の一員なのだ。

 生地を離れ、遠い外国(中国ならそれほど遠くないか)の地での生活に慣れようとも、いつかきっと、ふと郷愁に胸を締め付けられる時があるのだろう。そういった心の間隙を埋めるためには、やはり食という喜びが一番の処方箋になるに違いない。

 このいやに魚臭い、香辛料の匂いが目立つフロアは、ひょっとすると彼の地の人には慣れ親しんだ香りなのかも知れない。

 良いのか悪いのかは別にして、東京二十三区の東部はどんな人間でも受け入れてくれる。地価は安いし、都心へ出るにも至便だ。そこに外国人が流入するのも不思議ではない。しかも誰でも諸手を挙げて受け入れてくれる。そんな土壌が醸成されているからこそ、こういった海外食材店の必要性が出てくるのだろう。

 もし私が海外移住したならば、真っ先にラーメン屋と回転寿司屋を探すだろう。つまり、そういうことなのだ。

 私はそのフロアで結局何も買わずに地上階へ戻った。地下階は私の様な冷やかしの客がいくような場所ではなかったのだ。

 私はワタリガニより筋子を選んだ。何なら数の子でも良かった。しかし、豚足は選ばなかった。彼の地へ思いを馳せる人々の邪魔をする気にはならなかったからだ。

 まあ、白状すれば、あの地下階で売っていた食材の調理方法を知らなかったから、というのもある。

 私は地上階に出てまた日本に戻っていた。

 私はどこまで行っても日本人で東京人なのだ。これは自慢でも何でもなく、ただの事実の開陳だ。「何かご不満でもお持ちですか」ではなく「何言ってやんでえ、文句あっか」というのが私の地の口だ。これを恥ずかしいとか嫌だとか思っていない。私は生涯これで良いと思っているし、このままで生きていこうと思う。

 私もいつかは東京以外の場所で暮らすことになるかも知れない。その時はその時で、「郷に入れば郷に従え」を実践する積もりだ。だが、性根の部分までは捻じ曲げようとは思わない。

 そういうところが田舎者とは違うのだ。

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