そのイケオジには近づくな

黒羽カラス

第1話 信じられない

 目が覚めると見慣れない白い天井だった。目を少し横にやると大きなプロペラがクルクルと回っている。見ていると少し気持ちが悪くなった。

 軽い二日酔いになっていた。おまけに横からイビキが聞こえてくる。見ないようにしても現実はそんなに甘くない。

「……いいケツだ」

 そんな下品な寝言で心に揺さぶりを掛けてきた。

 苦々しく思いながらもわたしは隣に目をやった。上半身裸の渋い中年男性が大の字で寝ていた。がっちりした体格を改めて見つめる。昨晩の激しくも熱い夜を思い出し、顔が火照る。

 あまり人のことを言えない。わたしも全裸で掛け布団を蹴とばしていた。

 そう言えばアレは付けていただろうか。大きさや右曲がりの形は思い出せても細かい部分がぼんやりしている。相手の男性が起きないようにそろりとベッドの下をのぞいてみた。

 小さなゴミ箱に水風船のような物が結んだ状態で捨ててあった。豪快な割には意外と相手を思いやる気持ちもあるようで、顔が熱く、それはもういい。

 無断外泊の上に身体まで許してしまった。彼氏がいる身で情けない。浮気は絶対に許さないと言っていた自分が、これだ。

 わたしは足元で丸まっていた掛け布団を引っ掴み、そのまま勢いよく後ろに倒れ込んだ。そのヤケクソな態度が伝わって男性が目を覚ました。

「早いな」

「そうでもない。あと四十分で出ないと延長料金だよ」

「シャワーを浴びる時間を入れるとギリギリか」

「そうだね、じゃないよ……彼氏がいるのにぃ」

 掛け布団を更に引っ張り上げる。完全に顔を隠すと、男性が逆に下した。

「可愛い顔が見えなくなる」

「そんな場合じゃない! 浮気したんだよ、わたし。彼氏に合わせる顔がないよ」

「言わなければいいだろ」

 横向きになった男性はきょとんとした顔で言った。

「罪悪感が半端ないって。口が滑るかもしれないし、それくらいなら打ち明けた方が傷は浅くて済むかも」

「この程度で? まあ、その手の潔癖症みたいなヤツは一定数いるよな。俺の息子もその一人だろうな」

「息子がいるの!?」

「いるが不倫じゃないぞ。父子家庭だからな」

 観光写真のように白い歯を見せてピースサインを作る。

「そっちは気軽でいいね。でも、本当にどうしよう」

「だから黙っていればいいだろ。何か問題でもあるのか?」

「……明後日の日曜日、彼氏の親に初めて会うんだよね。今年、大学を卒業したら結婚する約束もしている関係で。だから余計に気が重くて」

「急な話だな。いきなり将来の嫁さんを連れて来られたら、その親の方もびっくりするんじゃないのか」

 男性は少し身を寄せてきた。目は真剣で親身になってくれているようだった。

 居酒屋で偶然、隣りに居合わせた男性に過ぎない。踏み込んだ話をする間柄では全然ない。それなのにわたしは抵抗なく打ち明けた。

「彼氏が会わせたくなかったみたい。それでギリギリにしよう、ってなったんだよ。なんでもだらしない父親があまり好きではない的なことを聞いた気がする」

「耳の痛い話だな。俺もあまり真面目とは言えないが、不誠実ではないと思っている。もちろん、ここの料金は俺が払う。その、なんだ。悪かったな、そちらの事情も知らないまま誘ってしまって」

 困ったような笑い方をする男性を横目で見た。図体の大きなガキ大将という感じがして、少し可愛いと思ってしまった。

「それはいいって。わたしもすることはしたし、悪くなかったよ」

「そうか。彼氏には今回の件、黙っていた方がいいかもな。結婚してもいい相手なら、良いヤツなんだよな」

「そうだね。わたしをとても大事にしてくれていると思う。ただ、何をするにしてもこっちにいてくるのは、少しわずらわしいかな。優柔不断に見える時もあるし」

「そろそろ時間が心配だ。それと後腐れのないようにお互いのスマホの電話番号や名前を教えないようにしよう」

「……そうだね。それでいいよ」

 正直なところ、連絡を取れる手段は欲しいと思った。相談相手になってくれそうな気がする。だけど、これで終わりの方が良いってこともよくわかる。


 結局、わたし達はホテルを出て別々の道を歩いて帰っていった。

 そして迎えた日曜日、派手にならない程度に身だしなみを整えて彼氏の家へ向かう。

 少し古ぼけた日本家屋の一戸建て。生垣の奥に小さな庭が見える。家庭菜園でもしているのか。ニラのような細い葉が密集しているところがあった。

 まずは深呼吸。終わると俯き加減で門柱の呼び鈴を押した。家の中を走るような音が聞こえて引き戸がいきなり開いた。

 中から出てきた人物はダボダボのパンツを穿いていた。膝の辺りが破けている。徐々に視線を上げると緩い首回りのTシャツが見えて、ついに目が合った。

 瞬間、一気に顔が燃え上がり、思わず叫んでいた。

「ウソォォォ!?」

「二日ぶりだな」

 ホテルの時と同じように男性は困ったような笑みを浮かべていた。

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