きみへと続く幸せの足跡

槙野 光

きみへと続く幸せの足跡

 バレンタインデーは半休を取れたが、ホワイトデーは年度末。有給取得に対して小言を溢す会社ではないが、忙しないこの時期にひとりのうのうと休みを取得するのは気が引けて、今日も今日とて会社の歯車だ。


 またユヅルを待たせてしまうなとモヤモヤしていた――が、どうやら神さまは俺を見捨てなかったらしい。


 時刻は、十八時半を回ったところ。残業時間は三十分程度。会社を出て最寄駅へと続く大通りを後輩の中川なかがわと肩を並べ歩いていると、風を切る車の音に紛れながら心底安堵したような吐息が右隣から飛び込んできた。

 

「年度末の金曜日にほぼ定時で帰れるなんて奇跡ですよ奇跡。これで彼女に汚名返上できます」


 中川の言葉に、そういえば残業続きで浮気を疑われているって言っていたなと思い出す。嫉妬深いんですよね、なんて溢しながらもいつも頬を緩めているので何だかんだ上手くいっているのだろう。


「良かったな」

「はい……」


 中川が噛み締めるように顎を引く。小さな笑みを溢すと、引っ張られたようにこっちを向いた中川と目が合う。


榎本えのもとさんの彼女さんは、残業続きでも怒らないんですか? 同棲してるんですよね? バレンタインは半休取ってましたけど、クリスマスは帰れなかったじゃないですか」

「……ああ、俺の恋人は度量が大きいからな」


 言いながら、今年度のクリスマスを思い返す。仕事が長引いて、家に帰る頃にはおしゃれな洋食屋もケーキ屋も何もかもが眠りに就いていた。それでもユヅルは、笑ってくれた。


 ――俺はね、豪華なご飯よりもタケさんとゆっくり歩きたいんだよ。俺にはそれが、どんなに高いご飯よりもプレゼントよりも一番の贅沢なんだ。……だからさ、一緒にコンビニのチキンでも食べながら並んで帰ろうよ。


 それは仕事で疲れた俺を気遣った言葉でもあるし、ユヅルの心からの言葉でもあるんだろう。


 ユヅルは、両親と折り合いが付かず高校卒業と同時に家を出た。俺がユヅルを見つけた時、ユヅルは二十代半ばで、公園のベンチで身体を丸め雨に打たれていた。

 声を掛けたのはただの気まぐれだ。でも、それは偶然じゃない。きっと、必然だったんだ。

 ユヅルは初め、自分にできることを懸命に探していた。全身に力が入った姿はひどく窮屈そうで、見ているだけで胸の奥がちくりと痛んだ。でも、もう良いんだと。安心して良い、ここにいて良いんだと。そう伝えたくて、言葉の代わりにハニーミルクを作ってユヅルに渡した。


 ユヅルはマグカップに口を付けて、泣いた。

 「美味しい」と言いながら涙を溢していた。

 

 あと四ヶ月もしない内に、出逢ってから丸三年が経つ。けれどユヅルの笑顔の奥には瘡蓋が沢山あって、その内側には今もまだ乾いていない傷口がきっとあるんだろう。それを引き受けてやりたいと幾度も思う。でも言葉にして、ユヅルを形作ったものを否定して傷付けたくはない。だから代わりに、俺にできる事をしてやりたいと心から思うんだ。


 一日一日、ユヅルが笑顔でいられるように。

 傷口が少しでも乾くように――。


「……あっつあつですね。倦怠期とかはないんですか?」

「あっつあつかは知らないが倦怠期ってやつは……そうだな。ないかもしれないな」

「羨ましい……。榎本さんのところは安泰ですね」


 はあ、と肩を落とす中川は俺の恋人を異性だと勘違いしている。でも、それを自ら訂正するつもりはない。


 同性で、十も年が離れている。

 マイノリティにマイノリティを重ねた関係。

 身内で知っているのは、三つ離れた俺の姉貴と義兄さんだけだ。


 中川が信用できないとか、両親と仲が悪いとかそう言う事ではない。むしろその逆で中川は俺に懐いてくれているし、両親ともたまに電話で話す。世間一般で言う『良好な関係』をきっと築いているのだろう。

 それでも積極的に話そうと思えないのは、目に見えない線をわざわざ越える必要がないからだ。そもそも姉貴だって感が良かっただけで――。


 誰かに分かって欲しいんじゃない、理解して欲しいんじゃない。俺とユヅルは皆と同じようにただそこにいるだけで、許すとか許さないとかそんなの本当は、要らないんだ。


「榎本さんは今日、彼女さんに何をあげるんですか? 時計? アクセサリー?」

「……それは中川の彼女が欲しいやつだろ。俺は帰ったら、恋人の好きな料理を作るんだよ。クリームパスタと、クッキーだな。クッキー生地は朝作って寝かせてあるから、後は焼くだけだ」

「出た! 料理男子!」

「中川は、彼女に作ったりしないのか?」

「……彼女は俺の手料理より、プロの作った料理をご所望ですよ」

「ああ……」

「羨ましいです……」 


 肩を落とし遠い目をする中川に、微苦笑を浮かべる。

 食卓に置いた花瓶にはふたりで摘んだ蒲公英が飾ってあると言ったら、中川はどんな反応をするだろうか。道端に咲く、鮮やかな黄色の花言葉を知ったら。


 ……いや、やめとくか。


「それじゃあ、良い週末を過ごせよ」

「はい、榎本さんも。お疲れ様です」

「お疲れ」


 改札を抜けて片手を上げ、中川とは反対側のホームに向かう。

 仕事終わりだというのに階段を上る足取りは軽い。一段また一段、鼓動とリズムを合わせるように踏み出す一歩がどんどん早くなっていく。


 ――タケさん、見て見て。蒲公英があるよ! 

 ――本当だな。

 ――えへへ、なんか嬉しいなあ。

 ――えっ?

 ――だって、タケさんと出逢った公園に『幸せ』が咲いてるんだよ?

 ――『幸せ』?

 ――うん。蒲公英の花言葉はね、『幸せ』なんだよ。だから俺、自分の気持ちを見つけたみたいでとっても嬉しいんだ。


 思い返して、口元がふっと緩む。

 

 細やかに咲く花が抱く想いは、きっとひとり分じゃない。俺とユヅル。ふたり分の『幸せ』が詰まっているんだ。


 先月のバレンタインデーはユヅルから菜の花の花束をもらって、俺はチョコレイトケーキを作った。

 ホワイトデーの今日、俺はクリームパスタとクッキーを作って、ユヅルは――。


 考えようとして、止めた。


 甘い物は苦手だけど、マシュマロでも飴でも五円チョコだって何だって良い。例え差し出された手の平が空っぽでも、一緒に過ごせる時間が俺にとっては特別なんだ。

 電車がホームに滑り込み、人混みに押されながら乗り込む。アナウンスと共にホームドアが閉まり、そして、走り出す。


 ホワイトデーはあと数時間で終わる。あっという間に時は過ぎていく。でも、過ごした時間も蒲公英もきっと枯れない。

 

 きみがいれば、いつだって鮮やかに咲き誇るんだ。


 でも、そんな事恥ずかしくて口にできやしないから。だから代わりに、きみの好きな料理をいっぱい作ろう。

 きみの瘡蓋が剥がれないように。きみがいつも笑っていられるように。


 きみと俺の、ふたりの為に料理を作ろう。


「……楽しみだな」


 口から溢れ出た気持ちに、はっと口端を結ぶ。言葉をしまい込んで視線を左右に泳がすと誰も彼もが自分世界で、ほっと息を吐いた。

 一拍置いて、前を向く。するとそこには吊り革に掴まったひとりの男がいて、車窓越しに目が合い緩み切った顔を慌てて引き締めた。そして、移り変わる景色の中にきみの笑顔を探す。


 ――タケさん


 電車の速度が落ち、停車する。そしてまたゆっくりと動き出し、緩んだ口元をもう一度引き締めた。


 きみの元まで、あと少し。

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きみへと続く幸せの足跡 槙野 光 @makino_hikari

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