シュークリームに来い。
モーリア・シエラ・トンホ
第1話
だるい、としか表現しようがない一日だった。とりあえずシュークリームでも食べなければやってられない気分だ。
僕はシュークリームを求めて駅前のデパートに行った。
その日は開戦日だったから、街中は国旗をかかげた人であふれていた。こどもたちがマーチのリズムに合わせて行進していた。大人たちのまなざしにも勇気と希望があふれていた。やりきれなかった。
案の定、デパートの中も興奮で満ちていた。開戦記念特価特別九割引きとかふざけたことをやっていた。洋菓子売り場はどこも長蛇の列、おまけにオンライン決済の音が「バンザイ!」になっていた。こんなところで甘い物を買っても仕方がないと諦めた。
あてもなく高架下の暗くて湿った裏通りの方に行くと、酔っぱらった男たちが溝に向かって嘔吐していた。もう帰ろうと思った。
早足で、コートのポケットに手を突っ込みながら知らない道を進んでいた。
ふと、住宅街の片隅にケーキ屋が見えた。ケーキ屋なのに薄暗かった。でもいやな暗さではなかった。おばあちゃん家みたいな、薄闇の感じだった。その薄闇の中に、ぽんっと、丸い灯りがともっていた。
僕はかすかな希望を抱いて、店に入ってみた。
「シュークリーム、ください!」
水面から頭を出して呼吸するように、入るやいなや僕は叫んだ。
唖然とした。
ショーケースの中にはシュークリームばかりがあふれんばかりに並んでいた。その向こう側にはリボンで髪をたばねた女の子がいた。店員だと思う。でもその女の子は店員のくせに、シュークリームをつまむように両手で持ってぱくりと食べたところだった。
「ふぃらっふぁいふぁふぇ」
いらっしゃいませ、って言った? と不安に思いながら、僕は女の子を見つめた。可愛かった。でも見てはいけないものを見た気がして、慌ててシュークリームの方を見た。うまそうだった。甘そうだった。とろけそうだった。なんとしても食べたかった。
(シュークリーム、とにかくたくさんください)
そう言おうと思って、瞬時に踏みとどまった。この女の子は、どうしても我慢できないという風に二口目を頬張ったのだ。店員が客の前で二口目を食べる訳ないよな。とするとこの女の子は店員でなく、シュークリームも売り物ではないのか?お金で手に入らないなら、いったいどうすればこのシュークリームを食べることができるのだろう。
僕が懊悩していると、シュークリームを食べきった女の子が声をかけてきた。
「シュークリーム、食べたいんですよね」
「はい、とっても」
「じゃあ一緒に食べましょう」
「えっ、えーと、買わせてもらったりする感じじゃなく、ですか」
「はい、こんな日はもういいんです。一緒に食べましょう。紅茶もいかがですか」
また戦勝祈念なんたらかと身構えたが、女の子のまなざしには甘い物によってもたらされる幸せの気配だけがあった。僕が今欲しているものだ。とにかくシュークリームを食べたいのだ、断る理由がどこにある、いやない。そう悟った僕はもろ手を挙げて賛成した。
「ありがとう。 一緒に食べましょう」
結局、女の子は店員だった。
「いつものようにシュークリームを売っていたの。そしたら食べたくてしかたがなくなった。いつもそうだけど、今日は特別にそうだった。だから食べちゃった。とっても甘くておいしかった。その時、あなたが入ってきたの。あなたが、私と同じように心の底からシュークリームを求めているのはすぐにわかったわ。だからいっしょに食べましょうって言ったの」
僕は相づちも打たずにシュークリームを食べ続けた。甘かった。うまかった。涙がとまらなかった。
「幸せでした。今日はとても幸せな一日でした」
僕は食べ終わって女の子に言った。
「私もです」
「また食べられますか」
女の子は哀しそうに首を傾げた。
「明日どうなるかはわからない。でも明日には明日なりのシュークリームがあるって、私信じているの」
僕は店を出て、すっかり暗くなった路地を歩いて家に向かった。夜空の星がきれいだった。昼間の喧騒が嘘のように静かな夜だった。
シュークリームに来い。 モーリア・シエラ・トンホ @robertmusil
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