タンスが落ちれば恋は終わる
犬若丸
第1話
ドラマだったか、映画だったか、漫画だったか、なにで見たのかは忘れたが、王道のシーンだ。
マンションから花瓶が落ちてヒロインの頭上に当たる寸前、ヒーローが捨て身タックル。花瓶は硬いコンクリートと衝突。そこから始まるヒロインとヒーローのラブコメ物語。
俺はヒロインではないしイケメンのヒーローでもない。そして、今さっき落ちてきたのはタンスである。
木板を組み立てた由緒ある硬いタンスではない。白とピンクの高さ80cmほどのなんとも可愛らしいプラスチックのタンスである。ホームセンターでは3000円ほどで売られてるだろう。
タンスがコンクリートと衝突し、ひび割れ、飛び出た引き出しからフリルのミニスカートやゆるふわもこもこのパーカー等がある。
いくら見た目が可愛いといっても目の前でこんなものが降ってきて、こんなものがコンクリートではなく俺の頭と衝突していたと想像すると命の危機を感じる。
フリルのミニスカートやもこもこパーカーにときめかない俺の心臓は今まさにドキドキが止まらない。これが吊り橋効果というものか。
「うわあああ!ああああ!ああああ!」
今度はなんだとタンスから目を逸らせば、涙を流して奇声を上げる騒がしい男がマンションのエントランスから出てきた。
そこに合わせたようにキラキラしたネックレスやキラキラしたバックが降ってくる。タンスのインパクトと比べれば優しい。
「なんなんだよ!なんなんだよ!」
騒がしい男が見上げて訴えているのはマンション2階のベランダだ。大窓が開いており、電気がついた明るい部屋から鬼のような顔をした下着姿の女性が本のようなものを投げつけ、その角が泣き顔に当たった。
「うっせぇ!チンカス野郎!」
美女から出たと思えないような単語が夜中の住宅街に響いた。
「好きだっていってくれたじゃん!」
眉間の真ん中に赤い跡を残した哀れな男は隣に俺がいることも知らず訴えていた。
「好きだったわ!死ね!」
俺は何を見せられているんだろう。
タンスが落ちたところでさっさと逃げればいいものをこの寸劇に魅せられたわけでもないのに金縛りにあったように動けずにいた。今や逃げるのは俺ではなく、泣きながら走る滑稽な男で歩道に残されたのは俺とタンスとそのほか諸々だ。
ベランダの彼女が最後に投げたのはチェキで撮った写真アルバムであり、哀れな男とぶつかった際、開いたようだった。
チェキに映る仲良いアピールをしたカップル。男のほうは先程、別れを告げられた彼だろう。しかし、女のほうは。
「おい」
たまたま開いてあったページをたまたま目に入ったのでまじまじと見てしまっていた。
歌舞伎町のヤクザにも負けをとらない低音ボイスの「おい」を聞かされ、つい見上げてしまった。
「見せもんじゃねぇぞ」
上は黒のタンクトップ、下は黒のショートパンツ。赤の他人の俺に下着姿を見られているのに彼女は恥ずかしげもなく俺を睨んでいた。チェキに映る彼女と同一人物とは思えない。
チェキの中の彼女はふわふわともこもこで包まれた守ってあげたくなるようなお姫様だ。そんな女子から「チンカス野郎」とか「死ね」とかそんな言葉が出てくるとは到底思えない。
「失せろ死ね」
ふわもこ女子からまた不釣り合いな言葉が出てきた。今度は俺に向けられたのでびっくりして肩が揺らいだ。
ここまで冷静に見える俺だが、全くもって冷静ではない。タンスが落ちた時から驚きと恐怖で身体が動かなくなってしまった。ほんとにもう、一言も喋れないほどに。
彼女からしたら震えるカエルにでも見えたのだろう。動けずになった俺に怒りが治って憐れむようなため息を吐いた。
ベランダから離れ、姿が見えなくなると服を着きないままエントランスを抜けて来た。
「悪かったな。怪我はない?」
こちらに目を向けずに歩道に散らばったアクセサリー類を拾いながらも優しげに問いかけられて俺もやっと金縛が少しだけ解けた。
「あ、いえ、だい大丈夫びでう」
といっても緊張はしているので盛大に噛む。
人は混乱すると何をすればいいかわからなくなり、とりあえず前の人と同じことをしてまう。
そういうわけで俺も無様に落ちたタンスを立たせてあげた。
「そのタンスに幸せが詰まってたんだよ」
なんの前触れもなく話をするものだから大きな独り言だと思った。
「可愛い服も可愛いアクセサリーもプレゼントされて、その度にワザとおおはしゃぎして」
あ、これ、聞かないとダメなやつだ。
残業2時間してからの帰り道、疲れているから早く帰りたいですとも言えずに俺は黙ってタンスから飛び出た服を畳む。
「あたしの趣味でもないのに」
俺が手にしているものは肩出しニットのワンピースだ。肩は出しているのに袖は長く、ニットのくせに丈は短い。夏はニットが暑くなるだろうし、冬は肩と脚が寒くなる。どの季節に着ればいいのかわからないような一品だ。
男は愛の表明にプレゼントを渡して女は応えるようにプレゼントを着飾る。そのプレゼントが詰まったタンスは幸せに見えるだろう。しかし、それは見方を変えれば理想の押し付けあいだ。
「それは本当に幸せなんですか?」
頭に浮かんだ疑念がするりと口を滑らせた。
彼女は怒るわけでもなく悲しむわけでもなく、俺を見たあと虚空を見つめるように目を逸らした。
「幸せだったよ。恋をしていた時は」
相手に合わせた恋愛は叶わず、だからといってありのままの自分になっても結果は同じ。
恋とはなんとも面倒なんだな、と恋心も知らない童貞の俺はそんなことを思った。
ロマンチックの欠片もない街灯と恋愛に失敗した彼女の横顔は相性が良かったのか、俺はその風景を目に焼き付けるように見つめていた。
不幸せな彼女は誰よりも美しかった。
タンスが落ちれば恋は終わる 犬若丸 @inuwakamaru329
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