たそがれ駅の約束

宵宮祀花

お揃いのキーホルダー


 ふと目を覚ますと、わたしは見知らぬ駅にいた。

 電車内に人はおらず、窓の外を見れば夕暮れが橙に世界を染めている。

 まず頭に浮かんだのは爆睡して寝過ごした可能性。次に浮かんだのが有名なネット怪談『きさらぎ駅』だった。けれど、すぐにその単語は頭から消えた。何故なら駅は閑散とした田舎の古臭い廃駅などではなく、地方都市のまあまあ人通りがありそうな駅だったからだ。何なら最寄りより大きいまである。

 止まった電車にずっと座っているのも居心地悪くて、恐る恐る外へ出てみる。

 駅のホームには人影がなく、駅名の表示板には『たそがれ駅』とあった。名前こそ違うけど結局同じような駅なのかなと思いつつ、ホームを歩く。駅自体の作りは特に変わったところもなくて、ホームの途中に自販機があったりベンチがあったり、あと夏場に重宝する待機室みたいな透明の箱形空間もあった。やっぱり最寄りより設備が充実している。ちょっと羨ましい。

 異様な場所ではあるけれど、怪談のきさらぎ駅が怖いのは普段滅多に見ない廃れた田舎の無人駅だからなのだなと冷静に思えるくらいには、此処にはホラー感がない。それに駅周辺から人の気配がするっていうのもある。その気配も、暗がりから誰かがじっとり見つめてるとかの怖い奴じゃなくて、普通の生活感というか。車が走る音や人が行き交う音、よく知る日常の気配だ。

 わたしはホームに出るときとは打って変わって足取り軽く階段を降りていった。


 降りた先は、お手洗いと駅員さんの待機室、それと地域のパンフレットや駅周辺にある施設の宣伝看板なんかが並ぶ、ありふれた光景だった。真っ直ぐいったところに改札があって、改札の向こうにも自販機が並んでいる。

 サラリーマンのおじさんやわたしより小さい子なんかが、改札を抜けて外に向かう後ろ姿が見える。駅自体は近代的なのに、今時珍しく切符派の人が多いみたい。


「待って!」


 Suicaで出られるのかな、と思いつつ歩を進めていくと、改札向こうの角から飛び出してくる人影があった。わたしがいま着ているものと同じブレザーに、茶色のローファー。白地に兎のワンポイントソックス。

 見間違えるわけがない。


「汐里!?」


 その人物は、わたしの親友の汐里だった。

 彼女は息を切らせながら駆け寄ってきて、改札の手前で足を止める。そして両手を膝について息を整えると、真っ直ぐわたしを見て言った。


「改札越えちゃだめだよ」

「え……?」


 折角会えたのに、なんでそっちに行っちゃ駄目なんだろう。

 そう思っているのが顔に出たのか、汐里が寂しそうに笑う。


「沙織は帰らなきゃ」


 意味がわからなくて、わかりたくなくて目を逸らす。でも汐里はそんなわたしに、続けて言う。まるで説得するかのように。


「約束したでしょ?」


 弾かれたように顔を上げたわたしを見つめる汐里の目は、ひどく優しかった。


「反対のホームに電車が来るから、それに乗って。そしたら帰れるよ」

「汐里は……?」

「わかるでしょ」


 わかりたくない。

 本当はそう叫びたかった。

 汐里にはもう、帰る場所がないなんて。わかりたくもない。

 眉根を寄せて愚図るわたしを宥めるように、汐里は優しく言う。


「ほら、もう帰りな」

「…………うん」


 一歩、後ろに下がる。


「ねえ、汐里」

「なに?」


 こんなこと、言っていいのかわからないけど。


「わたしの番が来たらさ、お迎えそのときは汐里がいいな」


 往生際悪く縋るわたしに、汐里はけらけら笑って、


「任せて!」


 そう言って手を振った。


 なにもかも捨てて改札を飛び出したい気持ちを振り切るように、わたしは踵を返し階段を駆け上がった。振り返ったら泣いてしまいそうだったから。

 ホームから発車を知らせるベルが聞こえる。駆け込み乗車は良くないと頭では理解していたけど、いま乗り損なったら今度こそ汐里の元へ戻ってしまいそうだったから心の中で運転手さんや車掌さんに全力土下座しながら、近くの扉に飛び込んだ。

 さっきの汐里みたいに肩で息をしながら、シートの端っこに腰を下ろす。窓の外は相変わらず橙色だったけど、景色が流れていくうちに夜になっていった。

 ぼんやりとそれを眺めているうちに眠くなってきて、うとうとし始める。


『――次は~桜木公園前、桜木公園前。お出口は右側です。お降りの際はお忘れ物、落とし物などございませんようお気をつけてお降りください』


 ハッとして目を覚ますと、もうすぐ最寄り駅だった。

 周りを見回せば、疲れた顔をしたお姉さんや爆睡しているサラリーマン、部活後に散々遊んできたと思しき高校生なんかがいて、実に見慣れた光景が広がっていた。

 バス停みたいな名前の最寄り駅は、本当に目の前に公園がある小さな駅だ。春には名前通り桜が大量に咲くので、地元ではちょっとしたお花見スポットになっている。


 さっきのは夢だったんだろうか。

 そう思いながら鞄を手に立ち上がると、なにかが膝から転げ落ちた。カツンと固い音と一緒に微かな鈴の音が聞こえて、視線が床に向く。


「これ……」


 拾ってみるとそれは、いつの間にかなくしていたキーホルダーの飾りだった。

 体の部分に桜が描かれた白兎の根付で、紐の部分が色違いになっている。わたしはピンクで汐里が緋色。

 修学旅行の日に汐里とお揃いで買ったもので、いつも鞄につけていた。小さな鈴が同じ音を奏でるのが好きだったのに、気付いたときには鎖の根元からぶっつり切れていて、わたしは幼児みたいに泣きじゃくりながら汐里に謝ったのを覚えている。

 汐里はまた旅行に行って買おう。今度はポーチにでもつけたら大丈夫だよと言ってわたしを宥めてくれて。

 あの日も――――汐里が事故に遭った日も、汐里の分は鞄についていた。そして、お揃いのキーホルダーは、どちらも失われてしまった。

 それでもわたしの鞄には、未練がましく根付の紐だけが残されている。


『桜木公園前、桜木公園前です。お降りの際はお足元にご注意ください』


 到着アナウンスが聞こえ、わたしは慌てて白兎の根付を握りしめながら降車した。

 暖かい車内から一歩外に出た瞬間、冷え切った風が頬に突き刺さる。北関東特有の情け容赦ない空っ風は、まるで目を覚ませとビンタするような強さがある。


「そうだ、京都行こう」


 汐里との約束を果たしに。

 次に会ったとき、お揃いのキーホルダーを渡せるように。


 スマホが鳴って、ラインの受信を告げる。

 待ち受け上部に表示されている名前を見て、わたしは息を飲んだ。


「またね」


 差出人は汐里だった。

 すぐにライン画面を開いて返信したけど、既読はつかなかった。

 代わりに母親からの鬼電が届いて、通話越しにもの凄く叱られた。こんな時間までいったい何処でなにをしていたの、なんて。部活のあとは寄り道もせずいつもと同じ時間の電車に乗ったつもりだったのに、言われて見れば辺りは真っ暗で。

 怖々見上げたホームの時計は、あり得ないくらい深夜をさしていて。


 わたしが乗っていた電車はなんと、終電一本前だった。

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たそがれ駅の約束 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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