剥いで、纏う

いろは杏

剥いで、纏う

 一目惚れなんてありえない――少なくとも私はそう思っている。

 出会い頭の印象が良いと思うことはあっても、というフェーズにはいくらか時間をかけてその人のことを知ってからでないと移り得ない。


 とまぁ、こんな面倒くさく頭でっかちな考え方をしている私は当然のごとく彼氏などできたことはない。

 私自身が惚れるというフェーズに至らないということもそうだけれど、そもそも分厚い瓶底メガネをかけて教室の隅っこで読書ばかりしている私に好意を抱いてくれるわけがない。


 高校1年生の春――そんな私が人生で初めて、惚れるフェーズに突入したのだ。


 ❦


 きっかけはベタもベタで出席番号順で私の前の席になった彼が話しかけてきてくれたことだ。


「――仁科にしなさん、いつも何の本読んでるの?」

「――っ! え、えっと……そ、その……」


 男の子――それもスタイルも良く、顔も整った、所謂イケメンと呼ばれる部類から話しかけられた私は動揺のあまり言葉に詰まってしまう。


 それでも彼は優しそうな笑みを浮かべながら私の返事を待ってくれた――これがきっかけだった。


 ❦


 それから色々なことを話した。

 彼は意外にも読書が好きで、どのジャンルの本でも気になったものは読むらしい。

 恋愛ものか誰も死なないミステリーしか読まない私とは大違いだけど、彼と本の貸し借りをしたりもした。


 次に彼の過去を知った。

 過去と言っても昔に誰かを亡くしたとか大層なものではない。

 なんでも県民でも存在を知らないほどの田舎の出身らしく、学生の人数の関係で小学校と中学校が合同、かつ全校生徒が6人というところだったらしい。


「そんなところがあったんだ……毎日そこから通学してるの?」

「いやいや、流石にそれはできないよ! この学校、公立なのに寮があるからさ、そこに入ってるんだ」

「寮なんてあるんだ……!」


 徒歩通学県内に家がある私は、寮の存在など知らなかったためひどく驚いたものだ。


 それからさらに彼の色々なことを知った。

 部活はサッカー部で本人の自覚はないけれどエース候補だとか、スマートフォンを持っていないだとか、弟と妹がいるだとか――本当に色々。


 彼のことを1つ知るたびに、まるでパズルを完成させるかのように、惚れるフェーズへ一歩ずつ進んでいるような気さえした。


 ❦


 そして彼というパズルの全てのピースをはめ終えた時――それを知ってしまった。


 偶々、母親に頼まれた買い物のために立ち寄ったスーパーで彼を見つけた。


 せっかくなので声をかけようかと思ったその時――彼の隣に女の姿があることに気がついた。制服からして同じ高校の生徒だ。


 というより、私はあの女のことを知っていた。彼のことを知る過程で同じく寮生であることを聞いていたし、なにより同じ中学の出身なのだ。


 もう一度彼らの方に目をやる。

 すると、彼があの女に向けるその視線が――私が彼に向けるそれと同じであることに気がついてしまった。


 思わず胸がキュッっと痛んだため思わず座り込んでしまう。


 なんで――どうして?

 あの女はどう思っているの?

 まさかもう付き合ってる?


 そんなことばかり頭の中をぐるぐると回っている。


 結局、母親に頼まれた買い物も忘れて、家に帰るなり部屋に閉じこもり頭を整理することに努めたのだった。


 ❦


 どれだけ考えても何も変わらなかった。ただ1つだけはっきりさせておかないといけない――彼はあの女と付き合っているのか。

 だから私はあの女のもとへ足を進めた。


「あれ? 紗季ちゃん――久しぶりだね! どうしたの?」


 私はこの女が嫌いだ。

 誰にでも愛されそうなその容姿も。

 大して話したこともない私を名前で呼ぶところも。

 醜い嫉妬だとはわかっているけど一々癇に障るのだ。


「……あのさ、彼と……その……つ、付き合ってるの?」

「えっと――彼って?」

「……き、昨日スーパーで見たのよ」

「昨日って……あっ――! やだ!見られてたの!? 恥ずかしいなぁ……」


 そう言って顔を赤らめる。

 そんなことしてないで、さっさと質問に答えろよ――そんなことを思って催促する。


「……で……ど、どうなの?」

「つ、付き合ってはないよ! 寮が同じでたまたま一緒にご飯を作ろうってなっただけなの!」


 瞬間――目の前が絵の具をぶちまけたように真っ赤になった。


 この女は――

 彼からあんな視線を向けられながら、

 あまつさえ一緒にご飯を作りながら、

 付き合っていないなんて――!!!


 この世に奇跡や魔法があるのなら私は迷わずこう願うだろう――目の前の女と入れ替わらせてくれと。


 いや、奇跡や魔法などなくとも目の前の女の全身の皮という皮を剥いでから、私がそれを纏って成り代わってやりたい。


 内から溢れ出そうになる慟哭を血の滲むような思いで抑えつける。


「……そ、そう……なんだ。……彼と同じクラスだからさ……ちょっとびっくりして聞いてみた……だけなんだ」


『そういうことだったのね!』等とのたまっているこの女は放っておいて教室へと戻る。


「あれ、珍しいね。仁科さんが休み時間にどこか行ってるの」


 私が席についたと同時に彼が話しかけてくれたことで真っ赤に染まっていた視界に優しい白が混ざる。


 そうして切に願うのだ。

 が――私たちの前から消えていなくなりますようにと。


 私が私でいる間に……ね。

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