さなぎのようなホームにて

にのまえ(旧:八木沼アイ)

かぜをひいた。

22:39 

 冷たい、色なら青色を彷彿とさせる場所で、多少の冷たい人間が、動く冷たい四角を待っている。

 隣にいる彼女は寒そうにじっとしていた。なかなか乗らない俺にしびれを切らしたのか、こちらを睨みつけるような顔を向ける。


 「一本逃がそうか」


 俺がそう言うと、再び沈黙がホームに広がった。ふと周りを見渡してみると、酔っ払ったサラリーマンがホームの椅子と溶け合っていたり、壁に寄りかかっている仕事帰りのおじさんがいたり、はたまた、俺らのようなカップルがいたりする。ここは再建中なのか、ビニールが所々に見える。このホームはさなぎなのだ。

 

「はぁぁ...もう二月か。思い出したくない月だな」

「...」

 独りごちると、白い息がとぐろを巻いて宙へと浮かぶ。二月、彼女の誕生日は祝えなかったな。いやな記憶が流れ込んでくる。



 さようなら、そんな一言があればもう少し、マシになったかもしれない。

 数か月前、俺は彼女から貸してもらっていた本を指定の場所まで行って、返すつもりだった。彼女との関係は冷めきっているのに、DMでだらだらと会話をする俺を俯瞰してい見ると、気持ち悪くてたまらない。しかし、その液晶の画面を以降見ることはなかった。


 指定の場所に行ってみたものの、結局、彼女は現れず、俺はその場所の近くにあった椅子の上に本を置いて帰路についた。近くに隠れて探っている、おどかそうとしているんじゃないのかと勘ぐってみたが、彼女との関係からを顧みると、振り返らずに足を進めた。


 家に帰った後、イヤホンを装着し、好きな曲を爆音で聴きながら彼女と関連性を持つ情報をすべて消した。イヤホンをつけているのに、近くで誰かが咽び泣く声が聞こえる。誰の声なのか、わからない。


 次の日の朝、例の場所に行ってみると、椅子に置いてあった本がなくなっていた。きっと持ち帰ったんだ、そう思うと心が軽くなったような気がした。



22:56

 二十分は経っただろう。まだ来ない。来てと言ったらすぐに来てくれる今どきの不埒な女性とは違い、気難しい性格なのかだろうか。上の電子版に目を通して、遅延していることを知る。シャワー前の落ち着きのない様子、まさしく鉄の処女であった。まだ、彼女の中に入ることは許されない、お預けにされた気分だった。


 「おおええええ」


 震源の方に目を向ける。椅子にサラリーマンが吐いたみたいだ。こちらに漂う胃酸と、溶け切っていないおかずが、このホームの雰囲気を最悪にさせる。吐しゃ物から出る湯気が、今日は寒いことを強調していた。吐いて楽になったのか、サラリーマンは嗚咽しながら地面に眠りこける。

 壁に寄りかかっている仕事帰りのおじさんが携帯で動画を撮っていた。いつしかSNSにこのホームが映ると、完成したホームと比較して、「こんな綺麗になったのか」「すごい、私が何年前に行ったときはこんな風景になるんて想像できなかった」「別人のように見違えたなこのホーム」というのがコメント欄に沸くだろう。

 残りは、おじさんを賛美した声だ。「日本のサラリーマンはこんなにも頑張っている」「こんな夜まで頑張ってお疲れ様過ぎる」「街中で普通の顔しているサラリーマンみんなすごくね」などと、このサラリーマンに向けたコメントから、主語を大きくして日本全国のサラリーマンの株が上がる。



23:26

 三十分が経つ。まもなく来るそうだ。轟音が響き渡るのを想像しながら待つ。そういえば、人が電車を止めても、さほど影響はないらしい。困るのは終電で電車が止まることだな。そうなっては家に帰れないだろう。ここにいる全員、次の電車で帰る意思を感じた。不公。そんな表情を浮かべている。


「はぁ...」


 あの撮影をしていたおじさんもため息を漏らす。どんなに頑張っているヒーローも、顔を下に向ける時だってある。みんな疲れているのだ。だから悪いとは思う。


 何度も聞いた轟音が、さなぎに響き渡る。


「さようなら」


 俺は彼女が入った安いスーツケースを線路に落とした。その瞬間目の前で破裂音がした気がする。短い音が鳴った後、冷酷な機械音に全てをかき消されてしまった。電車が緊急停車する姿に、そこにいた俺以外の全員が絶望していた。ホームのビニールは頬を染めているように、多少の血飛沫が付着した。変態に失敗してしまわないように慎重に工事を進めていただろうに、一人の人間が好奇心を持ってしまうだけで、組み立ててていたものが崩れ落ちてしまう。蝶になるまでもう少し時間がかかるようだ。


「あぁ、ああ、ああ。」


 隣のサラリーマンは膝から崩れ落ちていた。大丈夫だろう。だって、まだ終電あるがあるじゃないか。一説によると、蝶は希望や生まれ変わりの象徴になっているらしい。あの浮気女が善良な人間に生まれ変わることを祈る。数秒後にサラリーマンは、「あ、そうじゃん」と一言こぼす。希望に気づいたらしい。


「終電一本前だった。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さなぎのようなホームにて にのまえ(旧:八木沼アイ) @ygnm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ