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『俺らって……友達やんな?』
終わった、と思った。
あの不可思議なマンションの一室で過ごした1週間、その最後の夜。
隣に並んだベランダで突然、春斗はそんな事を言った。
そして今回に限っては残念な事に、保紀はそこまで鈍い人間にはなれなかったのだ。
春斗の表情から、彼が保紀の気持ちに気付いてしまっているというのは明白だった。
それもそうだろう。元々保紀は嘘をついたり、物事を誤魔化すという事が苦手だった。
これまで好きになった相手は、皆別の誰かに恋する姿を見せてくれたから、諦めるのも簡単だった。
その時は多少の胸の痛みに目を瞑りさえすれば……気持ちを切り替えて、ただ素直に彼女達の恋路を応援することができたのだ。
しかし今回は違った。
春斗は誰か別の人間に心を奪われるということがなかったし……それどころか、出会ってから日が経つに連れて、彼と共に過ごす時間は増えていった。
そんな中で、きっと取り繕いきれなかったことが何度かあったのだろう。
保紀自身にも、思い当たる節が全くないわけではない。
それでも保紀は春斗に嫌われるのが怖くて、『友達だと思っている』と答えてしまった。
既にバレている嘘を重ねたところで、事態が好転するどころか……信用を失うだけだと分かっているのに。
あれから春斗は時々、保紀の心を見透かすような目を向けてくる。
*****
二人がこの世界に還ってきた雨の日から二週間。
案の定……というべきか、本人も予想していた通り、京都府内にあった春斗の実家は事件に巻き込まれ、家族は全員消息不明となっていた。
そして警察からは無情にも、生きて発見される見込みはほとんど無いと告げられたらしい。
保紀はそんな春斗を一人にしておくことができず、病院での検査入院が終わった後はしばらく自分の実家に泊まらないかと誘った。
春斗は少し遠慮していたようだが、現状はそうするのが良いと判断したらしい。
事情を聞いた保紀の母と祖母もそれに賛成し、実家ではちょうど一室が物置状態になっていた事もあり、話はとんとん拍子に進んだ。
そして今、二人はまた同居生活を送っている。
「そういえば、保紀」
「ん〜?」
二人で並んで、洗面台で歯を磨いてた。
時刻は二十二時過ぎ。すぐに寝るわけではないが、とりあえず就寝準備は済ませておこうという時間帯である。
しゃこしゃこと歯ブラシを動かす保紀に、口を濯ぎ、タオルで口元の水気を拭いた春斗が話しかけて来た。
「二人で一緒に住むって言ってた件、いつ頃にする?」
「ぶっ」
突然の彼の発言に、保紀は思わず口内の泡を吹き出しそうになるが何とか堪えることができた。
半ばえずきながら洗面台にしがみつき、口の端に泡を残したまま、信じられないものを見る目で春斗を見る。
「お、お前……急に何言うねん……」
「だって、あのでっかい保紀『OK』ってしてたやん。あいつお前の感情の具現化やったんやろ?」
「それは、そうなんやけど……!」
挙動不審な保紀に対して、春斗はさも当然の様に言った。
保紀はどうしたものかと頭を抱える。
春斗は自分の気持ちを知っているはずだ。それなのに同居の話を持ちかけてくるのは……一体どういうつもりなのだろうか。
しかしこれまで通り友達としてやっていくと告げてしまった以上、ここで断るのもおかしな話なのかもしれない。
ただ、たとえそうだとしても、保紀の中に不安は残る。
自覚はないとはいえ、どうやら自分は……深夜に春斗の寝込みを襲った……らしいのだから。
正直全くもって、意味がわからない。
確かに、保紀は春斗に対して恋愛感情を抱いている。それは否定のしようもない事実だった。
しかし彼に対して性的な欲求を覚えているかと言われると、そうではないと考えていた。
ただ彼のことが本当に大切で、笑顔が見たい、ずっと隣にいたい、幸せでいて欲しい、自分が彼にとって一番特別なひとになりたい、そういう幼気な恋だったのだ。
それでも深層心理でそういった物を抱いているのだと言われてしまえば、保紀には言い訳のしようもなくなってしまうのだが……。
ともかく、無意識だろうが何だろうが、同意なしに春斗に手を出したというのが本当なら、ルームシェアなんてもってのほかだろう。
「逆にお前、肝座りすぎやろ……」
「なんで?」
「だって大事にならなかったから良かったものの、襲われたんやぞ!?俺に!!」
「あー……うん。せやな」
「反応薄っ!」
保紀は春斗の「何だそんなことか」とでも言いたげな返しに、思わずずっこけそうになる。
「あんまり騒ぐと、お母さん達に聞こえんで」
「う゛っ……」
保紀の母親と祖母は気優しい春斗のことを気に入っている様だった。
しかしそれは当然、保紀の友達としてだ。そんな二人に、まさかこの様な爛れた(?)会話を聴かせる訳にはいかない。
保紀は口をつぐんで春斗から視線を逸らす。
視界に入った鏡の中で、春斗がじっと自分の方を見ているのが分かった。
「……前も言ったけど、頼むからもうちょっと自分を大事にしてくれや」
保紀が小声で呟く。これは本心だった。
春斗はどうも保紀の事を許容し過ぎている節がある。確かに保紀にとっても、彼が心を許してくれているのはこの上なく喜ばしい。
しかし今回の件に関しては、そう簡単に受け入れて良い事ではない様に感じたのだ。
「保紀なら知っとるやろ。俺の性格」
「……え?」
春斗は少しの間黙り込んでいたが、内緒話をするように小声で言う。
保紀はそれがどういう意味か尋ねようとして、彼の顔を見た。
ぱち、と視線が合う。
春斗の金木犀色の瞳が、優しく微笑んだ。
「泡ついてる。はよ、洗面済ましぃや」
そう言った彼の指先が、保紀の口元を拭った。
呆然としている保紀の前で春斗は手を洗うと、タオルを洗濯かごに入れ、何事もなかったというようにその場を後にする。
一人その場に残された保紀は、手に持っていた歯ブラシを取り落とす。頭の中が真っ白になり、一呼吸遅れてばくばくと心臓が早鐘を打ち始めた。
「な、なっ……な、何やねん、あいつ……!」
揶揄われたのか、何なのか。
保紀は春斗の言動の真意が理解出来ず、その場に蹲る。
ただ一つ分かるのは、春斗は保紀の気持ちに気付いた上であの様な顔をした、という事だけだった。
なんとか歯ブラシを拾い上げて、よろよろと立ち上がると……洗面台の鏡が目に入る。
それに映る、真っ赤になった自分が見ていられなくて、保紀は冷水で思いっきり顔を洗うのであった。
わかんないよ君のこと はるより @haruyori
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