「私、東京行ったらきっとこの香り、恋しくなるんだろうなあ。」


「実家の香りが恋しくなれよ。」


「無理だよ。実家の臭い、意外にも無臭だもん。」


「自分じゃ気付かないもんだよ。一旦離れて、久々に帰れば自分ちの匂いがわかるもんだもん。」


「でもこの店の香りは嫌というほど自覚してるよ?」


「ここ、実家じゃないだろ。」



こんな風に気兼ねなく話せる友達、他にいないからさあ。マスターと離れて悲しくなるのは実際私だったりするんだろうね。



「マスターってなんで彼女いないんだっけ?」


「眩しい女性たちに目潰しされたから。もういいやーって。」


「適当にもほどがあるよ。」  

 

「ほんとだって。僕の見た目から入るせいか、高望みする人ばっかだったんだって。」  

 

「へえ。さらっと自分のビジュアル認めたね。」


吉見よしみさんほど僕のビジュアル認めてる人いませんけど。」

 

「推しに似てるからね。」

    

「吉見さんの推しに似てるからね、僕。」



茶葉をサラサラと調合する沢尻さんが、目を細めて笑う。不思議なんだけど、笑うと沢尻さんだなって思う。笑顔だけは推しに似ていなかったりするから。



「東京の専門学校行ったらさ、私も眩しい女になっちゃうのかな。」


「なって僕に目潰しするつもり?」


「しないよ。でもせめていい女にはなりたいとは思ってる。」


「目潰ししなければ、十分いい女性になれるよ。」


「ハードル低ぅっ」


 

いつもつい長居してしまうため、今日は早めに退散しようと鞄から財布を出す。


 

とはいえ時計を二度見すればすでに2時間は居座っている。どんだけこの店好きなんだと吐いたタメ息は、カモミールの香りと共に舞い上がった。




「もう一杯飲んでいきなよ。二杯目無料だから。」



席を立つ寸でのところで、ドン、とカウンターにカモミールティーが置かれた。しかもさっきと打って変わってマグカップに入ったカモミールティー。波うつように、中のカモミール液が揺れる。



そんな量飲ませて依存症になったらどうすんの。  

 


「二杯目無料なんて制度、この店にあったっけ?」


「今作ったの。」


「ほんと適当。」 


 

マスターの柔らかい雰囲気に呑まれて、4時間コースのレッテルを貼られる私。



「いつでも待ってるから、東京行ってもちゃんと帰ってくるんだよ。」

 


親戚のおじ……お兄さんのような口ぶりが、大して嫌とも思えず。


 

「好き」と伝えられないもどかしさがあるとはいえ、それすら私に居心地の良さを与えるもんだから、いい具合に延長戦に持ち込まれそうだ。


 

   



【fin】

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いっそ醸せばカモミール 由汰のらん @YUNTAYUE

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