デルフトの風景をもとめて

アイス・アルジ

デルフトの風景をもとめて


 額縁のように切り取られ、白い漆喰の壁に塗り込められた視線の記憶。その部屋に、時と共に混ざり合い閉ざされていた一冊の画集。画家の名はフェルメール。私はその画集を手に取って開いた。左側の窓からは柔らかな朝の光。ミルクとパンの匂い。その窓にはデルフトの風景が広がっていることだろう。 

 

 私は、17世紀に書かれたフェルメールの絵画〝デルフトの眺望〟に描かれた風景をもとめてオランダを訪れた。この絵は現在、デンハーグのマウリッツハイス美術館にある。当時の貴婦人たちが暮らした邸宅のような美術館の中に、その絵はあった。まるで17世紀のデルフトの街を、窓から覗き見るように緻密で、時を超えた光を纏っていた。しかしこれは実際の風景ではない。縦97cm、横116cmの額縁の中に、フェルメールが計算を尽くし、彼の理想の風景を閉じ込めた傑作だ。

 雲の浮かぶ奥深い青空、運河沿いの煉瓦造りの街並み、運河の右手に停泊している船、さざ波には街並みが映り、手前の岸の左手にたたずむ人々。画面の右側から朝の光がさしている。画面中央では運河に流れ込む水路の水門があり、視線がいざなわれる。水門の脇に立つ対照的な尖塔、右手側の塔は朝日を浴びて明るく、左側の塔は影となり対比となる。意図された対照的な構図は、静的な完全性から逃れ、静の中の動となる。時の移ろいまでもが閉じ込められている。見つめ続けると、まるで生きているかのように吸い込まれて行く。

 

 私は実際の景色に触れたくて、デルフトの街を彷徨さまよった。しかし、かの運河沿いの街に、かつての面影は記憶のかけらとしてしか残っていなかった。それでも十分だったのかもしれないが、その思いは連なって心を離さない。

 私はその後も〝デルフトの眺望〟をもとめて彷徨さまよい続けた。アムステルダム、ブルュージュ、ストックホルム、タリン、パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京、上海、水辺の都市にはデルフトの運河と同じ匂いが漂う。しかし私の求める風景を見い出すことはできなかった。失われつつある記憶に、静謐と秩序と対称性の美をもたらす。並ぶ街並み、平面的なラインに奥行きを与える光。時間の止まった美しい一瞬は奪われ、戻ってこない。

 いつしか恐れ震えて、ゴッホの〝ローヌ川の月明り〟のような夜の千葉港、川崎コンビナートの光にさえ惑い、疲れて眠る。やがて迎える静かな目覚め、モネの〝印象、日の出〟のような朝に癒される。

 小樽、函館、門司もじ、神戸港、横浜港、諏訪湖すわこ畔、倉敷、柳川、潮来いたこ、佐原、巴波川うずまがわ沿い、天王洲てんのうす、日本橋、墨田川沿い、港から川沿いから。私の心のよりどころは、湖畔や水辺の景色に宿る。類似性を求めてめぐる。

 私はネットの中にもぐり、水辺の都市の映像のフレーム彷徨さまよう。思いは水に浮かぶ船のように漂い水面にさざめく。朝日が心に差し、ゆっくり白く、光りを包む雲は未来への贈り物。

 

 そして私は、時を超えて江戸の街を彷徨さまよう。江戸の空気をとどめる浮世絵。葛飾北斎の〝江戸日本橋〟広い青空、手前から奥へ続く運河、運河沿いに並ぶ蔵、計算された構図、意図的にずらされた対称性。左手奥の富士、運河の右手に泊まる小船、手前の橋を渡る人々、運河の先の江戸城に視線がいざなわれる。ここには江戸の静けさと賑わいの音が、和紙の繊維に刷り込まれている。

 かつて生きた人々の心は、私の心と重なり、その瞳たちのループを通して〝デルフトの眺望〟は再生される。なんと清らかな朝の景色だろう。画家はこの一瞬の時を、永遠に残そうと瞳を閉じて息を止める。そして私も息を止め、私の心は、心の額縁の中にくっきりと焼き付けられた。

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