閏の乱

嶋尾明奈

第1話

ピロロロロロ。ピロロロロロ。

 ……電話が鳴りやまない。それどころかもう一件、また一件と増えてどんどん重なり合っていく。

 ピロロピロロロロロピロピロロロロロピピロロロ。

 増えすぎて、重なりすぎて何だか笑えてくる。まるで輪唱だ。

こうなりゃヤケだ、いきますよーさんっはい!

 

♪ピーローローローピーローロ ピーローローローピーローロー

   ピーローローローピーローロ ピーローローローピーローロー……


「……さん! ……ヅカさん! 手塚さん!? 手塚さん、早くとって!」

 やべっ! 隣の席の町田さんがしばらく呼び掛けていたらしく、我に返って慌てて受話器を持ち上げる。

「お電話ありがとうございます。イナホミノル生命五反田営業所でございます。」

『あちょっとききたいんだけれどもね、おたくのところの新しい保険、アレ、アレ、いまCMしてるやつね、アレについて教えて欲しいんだけれどもね。』

「お問い合わせありがとうございます。新商品【ミノルコウベセカンド】は、従来型のものでは対応できかねておりました病気にも幅広く対応しおりまして、」

『おれの病気も大丈夫ってこっちゃ?』

「……恐れ入りますが、こちらのお電話ではお客様の体況、つまりお身体のご状況が分かりかねますので」

『おれはアレやんか、手首のとこによぉ、ちょっとデキモンがあるっちゃよ。去年の春やったかなぁ、かあちゃんが「あれ! なんかあるでぇ」ゆうて騒ぐけ、痛くはないけんどちょっと診てもらったんよ。』

「さようでございましたか。ただ申し訳ございませんお客様、こちらのお電話ではお申し込みを承っておりませんでして、一度お会いしてですn」

『なんでよ! 調べてみればわかるでしょよ! 入れるか確かめてからって言ってんの!』

「(言ってねぇ)それでは、可能なかぎりお調べさせていただきますので、その際の入院期間や診断名をお教えいただけますでしょうか?」

『ええーそんなん覚えてないわ。かあちゃーん! おれの病気の名前とか教えてくれってやーー! かあちゃーん!?(ガタガタゴソ、遠くから「かぁちゃーん!」』

「…………(そっと電話を置く)」

 ふう、と息をつく間もなく次のコールがピロロロロ。

「お電話ありがとうございます。イナホミノル生命五反田営業所でございます。」

『あのさぁ? 新商品入りたいからうちのダンナの生命保険のことを教えてほしいんだけど』

「申し訳ございません。ご契約内容につきましては、ご契約者のみにお伝えできることになっております」

『は!? 私妻なのに、教えてもらえないワケ!?』

「申し訳ございません。」

『は~!? めんどくさ! え、いいじゃない別に。なに、私が悪用するとか思ってるワケ?』

「いえ、そうではございませんでして、こちら規則でございますので」

『融通利かないわね! もういいわよ!』

 ガチャ! 相手は力いっぱい受話器を叩きつけたようで、耳がキー……ンとする。

 私は、ふぅ~~~~っと深く息をつく。今吸い込んだ全てのマイナス成分をこの息に込めて出し切り、自分の中に入ってこないイメージで。そしてデスクに飾ってある、推しのバンドヴォーカル・ライトの卓上カレンダーに焦点を合わせ、思いっきり息を吸い込む。推しから発せられるあらゆるマイナスイオンを吸収するイメージで。

 そうやって私の身体中が推しで充たされ、ようやく私はさっきの電話のオバハ……もとい、ご婦人の声を頭の中から追い出すことが出来た。ふす~~~~~ん。

 

 推しは生きる力だ。彼らの発するまばゆい光のお蔭で、私という照らされることのないような女の人生の頭上にも灯りが届き、上を向くことが出来る。

そのあたたかな光で光合成し、すこーし背筋を伸ばすことが出来る。

 推しに課金するというのは、感謝を形に、そして推しが更に伸びやかに活動するために絶対に必要な事であり、つまりは私が生きるぞとやる気になるために必要な物であり、したがって私の支出グラフの5分の2ほどで、一番の比重を占めているし、私はそのことに誇りすら感じている。

 なのに、なのに。半年前に前職が突然倒産してしまった。未払賃金立替払制度で一部は何とか確保できたが上限80%でしかなく、残りは泣き寝入りせざるをえなかったので、一刻も早く収入源を確保しなければならなかった私は派遣会社に次の就職先を依頼しつつハローワークにも足を運び、目を皿にしてパソコンの求人にかじりついていた。

 しかし探せど探せどなかなか仕事が見つからない。連日ハローワークに通い始めて一ヶ月目、今日も無理だった……と意気消沈し建物を出たところで、

「もしかして、お仕事探してらっしゃいますか?」

と声を掛けてきたのが町田さんだった。

 ここから出てきた人間なのだから、仕事を探しまくっているに決まっている。いつもの私であれば「見てわかりますよね? 急いでますので」ぐらいのかわし方をスマートに出来るのだが、切羽詰まりすぎていた私は事もあろうに

「そうなんですぅぅ! もう、聞いてくれますかぁぁぁ!?」

と、いきなり声を掛けた怪しさ満点の人間に対して泣きついてしまったのだった。

 町田さんはそんな私を近くのドトールに連れて行きミラノサンドBセットとホットカフェモカをおごってくれ、二時間近く話を聞いてくれた。我ながらどうかしていると思うのだが、そんな安い懐柔で私は町田さんをものすごい良い人だと思い込み、彼女が鞄から出して「いっしょにやらない?」と言われ差し出されたパンフレットに書かれていたそれ――保険営業の仕事をやることになったのだった。

「うちの会社は業界イチ優しい会社だよ」「最初の二ヶ月は,試験受けてもらったり保険販売のための勉強期間で楽勝だから。もし合わないなって思ったり途中で転職出来たら遠慮なく辞めちゃっていいから」そう言われいやいやそんなわけはなかろうもんと思っていたが確かにその通り楽勝で、暗記漬けの受験が得意人間だった私は、こんなことでお給料もらっちゃっていいの!? この会社すごくない!? などと思っていて、それはそれで前職のブラックさ加減が今ならわかるなぁ辞めれて正解ジャン★ と調子乗った私は思っていたのだが、問題はそこからだった。

 三ヶ月めに入るとこれまでが嘘のようにぽーんと実戦、つまり営業に放り出された。営業地域の顧客データを渡され、この人たちのケアしながら自分でも新規開拓するんだよ~ってな感じである。

 毎週毎週、現在交渉中の顧客名を三人は書かされた。毎日毎日、誰かいないの? どこか行かないの? とチーム長から言われた。イケそうなら同行するから、遠慮せずに連絡してね~と組織長から言われた。

 だが、そんなにも毎日毎週、自分の周りに保険のことについてまさに考えている人間が居るだろうか。

 少なくとも私には居なかった。し、私の数少ない友人や推し仲間を売るような気がして私は前のめりに営業しなかった。できなかった。

 そうするとどうなるか。インセンティブ制なお給料はほぼほぼ基本給のみになっていき、生活費もギリギリになってしまう。日々を食いつなぐために夜は賄い付きの飲食バイトをこっそりやり、日中はなるべくカロリーを消費しないようにデスクでじっとしておにぎりと水でくいつなぐ。いくら時間の縛りなく自由度が高くても生活はカッツカツ、推しへの課金どころではなくなっている私は、息をする意味がわからないほど生きる屍となり果てていた。

 そしていよいよあと一ヶ月後の査定までに、大口の新規を一件入れるしか生き残る道がなくなってしまい【詰み】の状態の三日前に、会社から新商品のリリースが発表された。それは生命保険業界にはなかなか画期的な内容で、恐らく反響はすごいであろうという予想ではあったが、それを逆ナナメ上をいくありえないほどの反応で、既存顧客からも新規の問い合わせもひっきりなしに来ているのが現状である。

 これは食いつなぐ最大のチャンスである。私と繋がりが無くかついま保険に入りたいという純度の非常に高い顧客をこの電話の中からゲットし、なんとしても査定を通らなければいけない。そして可能ならば何件か成約してインセンティブも稼いで、来月のライトのバースデーイベントに行くのだ。絶対に。

 だから、こんなガチャ切りどころでめげている場合ではないのだッ!

 すっかり冷めてしまった水筒の中の白湯を一気に飲み切ると、ぷはっと声が出る。そういや最近大好きなビールも飲めず発泡酒である。

 ピロロロロロ。ピロロロロロ。

「お電話ありがとうございます。イナホミノル生命五反田営業所でございm」

『あっ間違えましたー』

 プツッツーッツーッツーッツーッ

 ピロロロロロ。ピロロロロロ。

「お電話ありがとうございます。イナホミノル生命五反田営業所でございます。」

『いまのを解約して新商品にしたいから、藤田さんお願いできる?』

「代わりますのでお待ちください。」

 ピロロロロロ。ピロロロロロ。

「お電話ありがとうございます。イナホミノル生命五反田営業所でございます。」

 ピロロロロロ「お電話ありがとうございます」ピロロロロロ「ありがとうございます」ピロピロありがとうございますピロロロありがとうございますピッピロッピッピロありありありありありがとうございますありがとうございます。


 脳内DJにバチバチかましまくらせつつ、かくして私は何とか四件のアポイントを取ることに成功した。入社して以来一番頑張ったのではないだろうか。

一応設定されている終業時刻も間もなくで両耳も電話のし過ぎでキンキンしているし、今日のところはこんなものにしておこう。今日はユニットバスにお湯を溜めてライトの声に癒されながらゆっくりお風呂に使って英気を養おう。

 そうやってだらだら帰り支度を始めたその時。


ピロロロロロ。ピロロロロロ。


 もう今日は聞きたくない音が無情にも鳴り始める。

 いやー今日は取らない、これ以上取りたくないよ。誰か頼むよ。

 助けを求めてフロアを見渡すと、いつの間にか人はまばらになっており、残っている人たちもデスクから離れ談笑し全く電話をとる気配がない。

 集中とやる気をついさっきオフにしてしまったので、どうしてもどうしても電話を取りたくない。どうしようと目を泳がせると、朝と同じくデスク上に置いたライトの卓上カレンダーが目に留まった。

 ライトのためにもうひと踏ん張りだけするしかないのかな。

でもさ、ぼくもう疲れちゃったんだよパトラッシュ。

 電話から受ける負のエネルギーを、きみを見てどうにか体内からデトックスしていたけれど、今日はそれももう限界なんだ。

 電話口での相手からのいくつかの暴言や態度が頭をよぎり、目の奥がツンとしてくる。

くそ、こんなところで涙なんて絶対に流したくないのに。

 こみ上げるものを押さえようとぐっと瞼を閉じると、いきなり

「アタックチャーーーーーーーンス!!!!!!」

 という声がこだました。え?

「さぁここで閏の29番がカレンダーの盤上に飛び込んだ。そうすると配置が微妙に変わってくる。そうして完成した暦上では、赤の手塚さんがゲットした四件のアポイントが斜め一直線に並び、あとはこの、たったいま入ってきた29番をゲットすることで見事挑戦権を獲得することになります。」

 えなに? なんの挑戦権? ていうかこれアレ? あの懐かしい番組?

 私は驚いて目を開け卓上カレンダーに目を移すと、確かに今年はうるう年であり、今日取ったアポイントが偶然にも斜め一直線でビンゴリーチしている。

 写真のライトの強いまなざしが私の脳内に訴えかけてくる。

「さぁ【赤】の手塚さんはあと一件のアポ取得で、来年のドームライブのアリーナ最前列への挑戦権を取得することが出来ます。手塚さん、今のお気持ちはどうですか?」

「え!? あ、はい、ここまでで正直とても疲れてはいますが、ライトが直接応援してくれるというラストエリクサーのお蔭でHPMPがぐんぐん回復しています。私、やれます。もしかしたらアリーナ最前にいけるかもしれないという最幸の時間を狙えるのであれば、あと百件の電話も大丈夫な気がしてきました!」

「それでこそボクのファン! ぜひ頑張ってゲットしてくださいね。ドームで待っています。」

 そこで脳内ライトとの交信は途絶えた。カレンダーの写真はいつも通りの微笑みをたたえているが、そこには私を見守るあたたかみを感じた。

 

 ドームで待っています。


 バンド公式からはドームライヴの発表はされていない。でもあのバンドはいつだって私たちをやきもきさせるし、行けば行けで幸せな時間を与えてくれる。

来年なくても再来年、その先と、こちとらいくらでも待つ覚悟は出来ているし、その為に稼いで稼いで準備しておくのだ。無問題もうまんたい



 夕方の誰もが疲れ切っているオフィスフロアでひとり、私は生気に満ちた顔つきでゆっくりと受話器を取った。

「お電話ありがとうございます。イナホミノル生命五反田営業所でございます。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閏の乱 嶋尾明奈 @shimaoakina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ