別離
冬部 圭
別離
故郷に残している父さんが倒れたとの連絡が、父さんの緊急搬送先の病院からあった。
慌てて休暇をとって、故郷へ帰る。
もともと、父一人、子一人の二人きりの家族だった。僕は就職して首都圏に配属されたので、離れ離れに暮らしていた。年末年始の休暇もここ三年は帰っていなかったので、久しぶりの帰省となる。我が事ながら、不義理だと思う。
病室で横たわる父さんは弱弱しく、昔の面影は見当たらない。目が合ったので、何か声をかけようと思ったけれど、なかなか言葉が見当たらない。口をついて出たのは、
「どんな具合?」
とぶっきらぼうな言葉だった。父さんは口をもごもご動かしたけれど、何を言っているのか聞き取れない。
「悪いけれど、聞き取れない」
そう言って、父さんの口元に耳を寄せる。
「元気にしてたか?」
やはり聞き取りづらかったが、多分そう言ったのだろうと解釈した。
「元気だよ」
余計なことを言わないよう、短く答える。
「俺は、たぶん」
そこまで言って父さんは黙り込んだ。僕もかける言葉が無くて、黙って父さんの顔を見ている。
たまの帰省の際も不摂生の様子が見て取れた。たぶん、それは変わらなかったのだろう。僕はそれをたしなめることをしなかった。父さんを、ひとり酒におぼれる哀れな老人としてしまったのは僕なのかもしれない。そんなことを考える。
再び父さんが何か言おうとしているのを感じて、口元に耳を寄せる。
「迷惑を、かける」
そんな言葉が聞こえる。
「気にするなよ、親子だろ」
なんて軽くて薄っぺらい言葉をかけているのだろう。僕はバツが悪くなったので、
「先生にあいさつしてくる」
と言って、病室を離れた。
父さんの主治医は若いしっかりした体つきの男性だった。はきはきと色々な説明をしてくれたが、僕に理解できたのは、父さんの体は非常に厳しい状態にあるということだけだった。
医師から手術という選択肢も提示されたけれど、どうしていいのかわからない。
「本人の意思を確認します」
絞り出すように答えて面談室を後にする。
すぐに病室に戻る気が起きなくて、外来の待合室まで行って椅子に座る。
僕たち親子の関係は、いつからこんなになってしまったのだろう。詮無いことを考える。家に帰らない決心で、就職を決めたとき? 進学のために僕が家を出たとき? それとも、母さんを失くしてからだろうか?
母さんは僕が中学生のときに病で亡くなった。それまで、父さんとうまくやっていたように見えたのは、母さんがいたからだとすぐに気づいた。父さんもたぶん、同じだったと思う。父さんと僕はそのことに気づいたけれど、世間に対しては普通の親子であるようにふるまった。お互いに昏い思いを抱いたまま、取り繕って、普通の仲のよい親子を演じた。
普通の親子。なんだそれは。
たぶん、僕も父さんも弱かったのだろう。母さんを失くして心のよりどころがなくなってしまった。だけど、母さんを悲しませたくない、なんて言い訳をして、上辺だけの家族を続けてしまった。母さんは既にいなかったのに。
そう、僕は弱かった。だけど、父さんはもっと弱かった。僕が出て行ってから、父さんは取り繕うことをやめてしまった。近所づきあいもほとんどしていなかったようだ。そうしてひとり無為に時間を過ごしていた。そんな父さんがこの期に及んで延命を望むだろうか?
続けて思考は自分自身のことへ向かう。きちんと父さんと向き合えていたら。ぶつかることができていたら。こんな形だけの親子にならないで済む方法はあったのではないか? そもそも僕は今、父さんに永く生きてほしいと思っているのだろうか?
父さんが取り繕うのをやめたときに、僕も取り繕うのをやめてしまった。だから、今、こんなにも薄情な悩みを抱えている。これは僕の業なのかもしれない。
僕には決めることができない。だから、父さん本人に聞く。それでいいんだ。そう自分に言い聞かせることができたことを確認して、父さんの病室に戻る。
「手術をすれば回復する可能性はあるらしい。僕には決められない」
薄情だから。という言葉は飲みこんだ。
「父さんの希望を尊重したい。どうするかゆっくり考えて」
そう告げると父さんは、何か言いたそうにする。耳を近づけると、
「もう、いい。手術は受けない」
と答えが返ってくる。安堵と諦観。訳の分からないごちゃ混ぜの感情が僕の中に生まれる。
「そうか。わかった。先生にはそう伝える」
言葉に感情がこもらないように気を付ける。
これは儀式なんだ。父さんとの決別の。いや、僕たち親子は既に決別していた。ならば、決別を再認識するための儀式なのかもしれない。
儀式ならば、決められたことを決められたとおりに行うだけ。僕は粛々と父さんの気持ちを父さんの主治医に伝える。
少しだけ父さんのことを気にしながら、仕事のために家に帰る。
普段通りに仕事にしながら、薄情だなと改めて思う。
そうこうするうちに病院から父さんが危篤との連絡が入る。
再び休暇をとって駆け付けたが、最期には間に合わなかった。壊れた親子にはお似合いの別れかもしれないなんてことを考えた。
葬儀の忙しさは悲しみを紛らわすために必要だと昔誰かが言った。あれを聞いたのは母さんの葬儀のときだっただろうか? あの時、僕の心は悲しみ一色だった。
今の僕には悲しみより、なんでこうなってしまったのだろうという虚しさが残っている。
僕と父さんは母さんに依存しすぎていたのだろうか? 母さんに甘えすぎていたのだろうか? だとしても、母さんがいなくても良好な関係を築くことはできたはずだった。でも、僕も父さんも見栄えを気にして、本当の意味での良好な関係を築く努力をしなかった。上辺だけは取り繕えていたかもしれないけれど。
「あなたがきちんと兄さんの葬儀を取り仕切るとは思わなかった」
父さんを荼毘に付すと、叔母がそんな風に声をかけてきた。
「一応、これでも親子だから」
軽口で答える。言ってしまった後で葬儀の後なのに不謹慎だと反省する。
「あいつは俺よりずっと立派になる。俺は邪魔しちゃいけないんだって。結構足を引っ張っている自覚はあったみたいだった。黙っとけって言ってたけれど、まあ、今日のあなたに免じて」
叔母が何か言っているけれど、内容をすぐには理解できない。一言一言反芻して理解しようとする。
父さんの悔恨。それを理解していたのなら何故? いや、理解していたからか。
身近な人でも理解しあう努力をしなければ判りあえないままと言うことか。どうにかしたいと思ったときにはすでに手遅れだった。
「兄さん、久しぶりにあなたの顔を見れてよかったって言ってた」
叔母はそんなことを言う。
「兄さんにもいろいろ後悔はあっただろうけど、まあ、いい人生だったんだと思ってあげなさい」
叔母なりに僕を励まそうとしてくれている。わかりあえなかった僕たち親子のことを憐れんでくれている。そして、残った僕のことを心配してくれている。それがわかるのに、僕は返事ができない。
「元気でね」
叔母が帰り支度を始める。
「今日はありがとうございました」
頭を下げる。叔母の優しさに感謝しながら。
叔母のおかげで僕はきちんと父さんを見送ることができた気がする。生きているときにわかりあえていたらという後悔はあるけれど。
さよなら。父さん。一番身近だったはずの人。僕は薄情で親不孝なことを自覚しつつ、心の中で別れの言葉を紡いだ。
別離 冬部 圭 @kay_fuyube
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