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 大学に内接されたカフェテリア。

 その片隅の席を占領した保紀が、手に持っていた紙袋を逆さまにして中身を机の上に広げた。


 中から出てきたのは二十近くの袋。

 クッキーやらカップケーキやら、手作りの焼き菓子が入っている。


 今日はバレンタイン。

 そしてこれは、保紀が受け取ったという数々の『義理チョコ』達であった。


「よし、やるか……」


 重々しい表情で保紀は椅子に座る。

 春斗はその様子を困惑した様子で見ていた。


「それ、ほんまに全部食べるつもりなん?」

「しゃあないやろ、手作りのものは日持ちしやんし。捨てるのは流石に忍びないしな……」


 学科やゼミの友人以外にも、保紀はやたらと団体に所属していたりする。

 どれもこれもサークルの数合わせだとか、そこそこ運動神経の良い事を買われて幽霊補欠として登録されているとか、そういった内容ではあったが……一応、メンバーには違いはない。

 ということで、それぞれの団体の女子が気を遣って彼の分も用意してくれた結果、このような有様になったというのだ。


「これだけ見ると、めっちゃモテてそうなのになぁ……」

「おい。哀れむんやめぇ!」


 ピンクやら黄色やらの可愛らしい包装紙に包まれた菓子類をバレンタインに大量に持っている。確かにその事実だけを見ると、モテ男っぽい。

 春斗の呟きに、保紀は肩を怒らせた。


「……俺はどれ食えばええん?」

「あー……これとかどう?」


 恐る恐る、席に着く春斗。

 保紀はすまんな、と言いながら机の上の山から、焼きチョコ?のようなものが入った袋を選んで取り出す。


 春斗としては味覚も食感もないのだからどれだろうが変わりない。

 素直に差し出されたものを受け取った。

 その後保紀は、ぱん、と手を合わせて頭を下げる。


「いただきます!」


 戦にでも行くのか?と言いたくなる気迫であった。

 それを見て呆気に取られながらも、春斗は手元の袋の留め具を外す。


 中の菓子をつまんでみても、感触はない。

 当然匂いもしないし、口に入れて咀嚼する素振りをしても、なんの味も食感もない。


「んー!これ結構美味いやん!」


 そんな春斗の目の前で保紀はカラメルをかけて固めたマシュマロのようなものを食べて感心しているようであった。


 春斗は食事中、ときどき自分が本当に目の前の物を食べているのか分からなくなる。

 ただ目の前にある食品は減っているし、保紀からおかしな目で見られた事もない。

 だから恐らく、食べられているのだと思う。そんな認識だった。


「あれ?もう食い終わったんか」

「……ほんまや」


 いつの間にか、袋は空になっていたらしい。


「『ほんまや』って。気付かんことあるか?」

「ごめん、ちょっとぼーっとしてたわ」

「疲れてんのか?なら無理はせんでええけど……」


 うーん、と保紀は小さく唸っている。

 やはり一人では処理に困る量なのだろう。

 そう思いながら春斗が様子を伺っていると、彼はまた菓子の山を漁る。


 その中から、装飾のないシンプルなクッキーが数枚入っている袋を取り出した。

 他の菓子に比べて、料理慣れしていない人間が作ったもののように見えた。


「あと、これだけいけるか?比較的甘くなさそうなやつ」

「ん、まぁ多分……」

「ほな、頼むわ!」


 味のしないものを食べても全く腹に溜まらないのだから、いけるもいけないもない。

 だが春斗はこの症状を隠している手前、下手なことは言えない。

 大人しく渡された袋を開封する。

 すると、ふわっと甘い香りが鼻先を掠めた。


「……?」


 春斗は意外に思って保紀の方を向いて言う。


「これ、ほんまに人から貰ったやつ?」


 すると、どういう訳か保紀は食べていた物を喉に詰まらせたらしく、盛大にむせ始めた。

 カフェテリアを使用していた周りの生徒たちが訝しげにこちらのテーブルを振り返っている。


「そう言っとるやろ!というか、じゃなかったらなんやねん!」

「えー……保紀の手作り?」

「俺が俺に義理チョコ送るの、一番意味分からんわ!」


 春斗は、そう言われてみればそうなのかもしれないと思う。

 だが、ここ一年と数ヶ月……彼が味を感じた食べ物は大抵、保紀と家で作ったものだったから、そう思うのも無理はなかった。


 こんな風にちゃんと香りのする菓子を口にするのは久しぶりだった。

 試しにクッキーを一枚取り出して、齧ってみる。

 焼き加減に失敗したのか、クッキーと言うには少し硬い。しかしちゃんと咀嚼すれば口の中で砕けるし、風味もある。


 普通の味覚を持っている人間からすれば、あまり良い出来のものではないのかもしれない。

 けれど、春斗にはその甘さが酷く懐かしく感じられたのだ。


 ふと、保紀の方を見ると目が合った。

 何を言うでもなく保紀が視線を逸らして、少しずつ低くなってきた山を更に崩しにかかる。


「保紀」

「なに?」

「これくれた人に、ここ一年で食った菓子で一番美味かったって言っといて」


 きょとん、とした表情の保紀。

 しかしすぐに春斗の言葉の意味を理解すると、声を上げて笑った。


「いや、いやいや!それは流石に大袈裟やろ!」

「人が作ったもんに対して、失礼な奴やな」

「……。……うわ。確かに」


 墓穴を掘ったことに気づいた保紀は、ばつの悪そうな顔をする。

 あの反応を見るに、やはりこのクッキーは彼が作ったものなのだろう。

 春斗には、どうして保紀がこんな風に回りくどい渡し方をしてくるのかが理解出来なかったが。


 もう一枚、齧る。

 こちらは更に焼きすぎたのか、最早煎餅のような食感だった。

 けれど、不味くはなかった。


「ありがとうな」

「……おう」


 春斗が素直に礼を言うと、取り繕うことを諦めたのか、保紀は苦笑いを浮かべながら頷いた。


 その後二人でなんとか机の上の物を消化し、カフェテリアを後にする。


「俺、しばらく甘いもん要らんわ……」


 口元に手を当てて気分が悪そうにする保紀を連れ、春斗は家路に着くのであった。

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2/14 春斗・保紀 はるより @haruyori

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