第23話:夜襲

 酒場の外、仄暗い広場に立ち尽くしたラントシュタイヒャーは深呼吸をした。遠くから漂う血の臭い、獣の臭い。遊撃に加わると言ったが、かと言って今村の只中に行けばニコラウスの身を守る事は出来ない。それに、青と白という彼らの軍装を持たないことから同士討ちになるかもしれない。


 背後ではがたがたとあわただしく窓を塞ぐ音が聞こえる。村の柵の外をどかどかと走り回る借金取りの騎馬隊の襲歩も聞こえる。


 その時だった。突然頭上で物音がしたかと思えば、何かがどさっと落ちてきた。――鉛色の肌。猿のような骨格だが毛が全く生えていない。ああ、これが怪物なのだろう。ラントシュタイヒャーは自分でも驚くほど冷静にそう思った。武器を構える必要がないのは一目瞭然だ。こいつが既に後頭部を矢で射抜かれているからであった。


 耳元まで裂けた口に並ぶ歯は半円状であり、細くやせ細った腕の先にある手は酷く骨張り、鋭く伸びた爪はまるで狼や熊のようであった。


「スタニスワフ! ぼさっとしないで。来るよ! あいつらいっぱいいる! 矢には限りがある!」


教会の鐘楼から聞きなれた声が聞こえた。見上げるとサエルシギルが上半身を鐘楼の柵から乗り出していた。


「後ろは守る! 正面からくるよ!」


 ラントシュタイヒャーはようやく剣を抜いた。鋭く分厚いロングソードの刃に月が反射した。唸り声。それは人の呻きとも、狼や熊の唸りとも違う聞いたことのない音だった。暗闇から宿屋の灯に照らされてそいつは現れた。


 四つ足で地面を踏みしめる見れば見るほどに見苦しい生き物。疥癬の猿とも、貧しくて服もない子供にも見える。しかし、その白濁した瞳に浮かぶ敵意と口元から漏れる生臭い息や唸り声はそのどちらでもない事を物語っている。


 じりじりと、まるで猛獣がそうするように距離を縮めてくる。切っ先を向けてもこれは恐れを知らず、近づいてくる。


 彼には不思議と恐怖はなかった。プレートアーマーで守られている事、武器を持ち、敵意を向けてくる人間の群れの中にいるよりもよほど気は楽だった。足を踏み出す時の筋肉の動きを、その呼吸や脈拍を、前足、いや、その手が地面を掴む動きを観察した。


 後ろ足がぐっと縮まったのを見た瞬間、怪物は一気に飛び掛かってくる。ラントシュタイヒャーはその単調な動きを見切り、その大きく開いた口に切っ先を突き立てる。刃は口から後頭部を貫き、突進の力によって根本まで貫き通した。


 なんだ、狼よりも他愛のない生き物じゃないか――次の瞬間、彼の左側の茂みの中からもう一匹が飛び掛かってくる。反射的に振り上げた左手にわざと食いつかせる。狼や熊よりも鈍いその刃がガントレットを貫くことはできない。しかし、その細い腕が信じられない程強く思い力で彼の腕にしがみつき、執拗に噛み千切ろうとする。


「このっ……!」ラントシュタイヒャーはそのまま全体重を左手に乗せ、地面にたたきつける。べきっという鈍い音と共に怪物の首が奇妙に捻じれた。


「サエルシギル! 守ってくれるんじゃなかったのか!」


彼は立ち上がり、薄らと笑いながらそう叫ぶ。


「言ったでしょ! 矢は有限だって!」


 ラントシュタイヒャーは剣で殺した怪物の方に近づく。深々と突き刺さった剣を引き抜こうと柄に手を掛ける。足蹴にしながら引き抜こうとするも、直ぐに横から唸り声が聞こえ、剣は捨て置いてウォーハンマーをベルトから抜き出し、右手に握りしめた。



 村の中でこの怪物に襲われた村人は幸いにもいなかった。何せ晩鐘が鳴れば人々は家に帰るからだ。真っ暗闇の中で歩くのは破落戸や盗人の他に用もなく出歩くバカはいない。不幸なのは勤勉で、職務に忠実な、誠実かは不明だがこの村を守る衛兵たちであった。


 彼らは借金取り団が鳴らした警鐘でようやく異変に気が付き、その上襲撃者がヒトではない事を知らなかった故に、この男は背後から首に噛みつかれ、二匹の怪物に食い荒らされている。


 怪物どもは兜を引き離し、ガントレットを脱がせ、その肉を食いちぎる。下卑た咀嚼の音が畑の一角でくちゃくちゃと聞える。高い茂みの影で、誰にも見つかることはなく、肉が食われていく。


 この怪物は屍食鬼と言った。だがしかし、死体だけを喰らうわけではない。熊や狼は肉を喰らう。その肉が生きていても死んでいても、腹が減っていれば喰らう。グールも同じだ。


 彼らには知能も知性も理性もない。あるのはごく単純な食欲と恐怖という本能に根差したものが備わるのみであり、日が昇れば森の奥へ、土の下へと消えていく見苦しい生き物だ。


 魔王が死んで何十年も経った今、こうした穢れた生き物は害獣にカテゴライズされていた。彼らは絶滅したわけではない。ただ、意図的に彼らを呼び寄せ、使役する者がいなくなったから、積極的に人間を襲う群れが減っただけにすぎず、条件がそろえば彼らはどこからか集まってくる。


 名は体を表す。死体が増えると彼らの食事が増え、多方から集い、食いつくして欠食すれば、起きることは分かりきっている。あの炭焼きに、この衛兵。


 ある司祭はこういった。これは殺しを行う人間への天罰だと。しかし、罰を受けるのは殺しを行わせる机の上や城の中の人々ではない。奇妙な話だ。積極的に人を殺し、殺させる人々はなぜこの天罰を逃れられる?


 魔物と戦ったすべての人間はこう考える。これは害獣だと。そこに全能の人格神の意志は介在しないただの自然現象の一つであると。

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騎士崩れ〝ラントシュタイヒャ―〟流浪の旅 小清水 不知音 @Strashno-Vse

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