それでは良い夢を
@kafu-
それでは良い夢を
「それでは良い夢を」
5000円を受け取りながら、帰り際の客に向けて放つ言葉としては珍しい台詞を口にする。
真二は古めかしいレジを素通りし、棚の上の財布に5000円札をしまい込んだ。
胡散臭い商売の割に、予約は後を絶たない。
特に宣伝した訳では無いのだが、SNSのクチコミの力というのはなかなか侮れないものだ。
望むと望まざるとに関わらず勝手に拡散していく。
今では遠方からわざわざ尋ねてくる客も少なくない。
井田沢 真二は客に思い通りの夢を見せることを生業にしている。
とはいえ超能力のような類では無い。
子供の頃からの訓練で身に付いたものだ。
平たく言うと催眠術。
そういう技術が扱えるように小さな頃から育てられてきた。
父親は催眠術師という肩書きで、一時はテレビでも持て囃されていたようだ。
だが、芸人が、催眠術にかかったふりをして笑いをとることで返って眉唾物扱いされ、ブームは過ぎ去り、結局は催眠術とは無縁の会社員として生涯を終えている。
しかし真二は、父の技術が本物だったことを知っている。
何しろうんざりするほど自分がテスターになっている。
父は知らないはずだが、真二は高校生になる頃には、当時の父親を軽く超える技術を既に身につけていたはずだ。
しかし、目立つことをあまり好まない性格の真二は、同級生に披露してあっと言わせるような快感や承認欲求を持ち合わせていなかった。
催眠術とは、本来は相手を眠らせることではない。
テレビでよく見るお決まりの「あなたは段々眠くなる」の言葉は、見ている第三者に説明するための演出のようなものであって、声帯の周波数さえ自在にコントロール出来るようになれば台詞はなんでも良いのだ。
相手の脳の側頭葉のスイッチさえ押せれば、あとは脳と脳の直接の対話でほぼ支配下における。
しかし、子供の頃から理不尽なテストを行われてきた真二は、支配下におくというイメージがあまり好きではなかった。
正直、父親に良いイメージはなく、父と同じ道は歩みたくないという気持ちが本音だった。
とはいえ、他に出来ることがなかった真二は選べる道も限られており、様々な職を転々とした挙句、「催眠術」という名前を前面に出さずに済むということで辿り着いたのが、この「夢屋 井田沢」だ。
昭和っぽい名前もどこか気に入っている。
成功率は今のところ100パーセント(だと思う)、相手も望んだ夢を見ることが出来、自分も食うに困らない程度の身銭が手に入る。
考えついた時は自分の天職が見つかったと有頂天になったものだ。
真二が「夢屋」を始めてからすでに数年が経っていた。
最初は思いつきのようなものだったが、奇妙な満足感を覚える仕事だった。
夢というのは不思議なもので、目が覚めれば消え去ってしまう一方で、心に何かを刻み込む力を持っている。
加えて、真二の見せる夢は、目が覚めた後でも映画を見た後のように相手の記憶に残すことが出来るという優れた一面を持っていた。
これがリピーターが絶えない理由の一つだ。
客は、現実では叶わない願望や、失った何かを再び手に入れる機会を得る事が出来る体験に対し、5000円という価格設定を意外とリーズナブルに感じているようだった。
この仕事で大切にしている決まりが2つある。
1つは、予約は1日3件までにすること。
ノーリスクではないのだ。
3件以上行うと、自分が一睡も出来なくなってしまう。
相手の情報が一気に流れ込むため、処理が必要になるのであろう。
1日3件に留めておけば、何とか3時間ほどは眠ることが出来る。
開店当初はこの事に気付かず、不眠が続いてとても仕事にならなかった。
2つ目は、自分が相手の記憶の中まで覗けてしまうということは決して公表しないこと。
もし覗かれてると分かれば、プライバシーがどうのこうのと訴えられる可能性が大いにある。しかし、記憶を覗かないことには、本当に相手が望んでいる夢を見せることは出来ない。
依頼の文章や言葉でのヒヤリングだけだと、フワッとした内容を数分見せるだけの内容に留まってしまう。
彼の店には様々な客が訪れる。
日々の生活に疲れ切ったサラリーマン、若くして挫折を味わったアスリート、亡くなった家族との再会を求める人──
彼らは皆、自分の望む夢を見たいがために真二の元へやって来る。
そしてその度に真二は、丁寧にヒアリング(実際は少しの間眠らせて記憶を覗いているのだが)をし、細部まで綿密に
構築された夢を提供してきた。
そして真二にはひとつだけポリシーがあった。
それは、「その夢がその人の現実に悪影響を及ぼすような
結果になってはならない」ということ。
夢の中で幸せを感じてくれるのは大いに結構だが、それが依存に発展し、現実を見失わせるものであってはならない。
そのさじ加減は、見せる側にとっては非常に難しい。
真二は「夢屋」としての仕事を続けることで、相手に幸福感を与えるとともに、その危険性も加味しなければならないことを学んでいた。
その日も真二は、予約が入った客を迎え入れる準備をしていた。
予約表を確認する。
1人目の予約は「新谷雅子」
今どうしているのか分からない初恋の人とのデートをもう一度見たい…
よくある依頼だ。
2人目の予約は「早川幸恵」
仕事で旅行に行く時間が無いため、ハワイで1週間のバカンスをしている夢を鮮明に見たい。
これもイージーだし、彼女はリピーターでもある。
予約表に書かれた3人目名前は「向坂達也」。
自分と同い年の30代後半の男性で、予約のLINEには「何か忘れているものを思い出したい」と書かれていた。
真二は少なからず違和感を感じた。
通常、客はかなり明確な要望を持ってやってくる。
「忘れているものを思い出したい」という漠然とした依頼は初めてだ。
そもそも夢を見せるという行為とはかけ離れている気もした。
しかし、それだけ真二の技術に可能性を感じているということだろう。
依頼は引き受けることにした。
(まあ断ったこともないのだが)
新谷、早川の依頼は予定通りにこなした。
おそらく今晩は自宅でオーダー通りに構築した夢を見て満足してくれることだろう。
午後、3人目の予約の時間になると、達也が現れた。
ちなみにコースは2種類設定してある。
客が家に帰って自宅でゆっくり夢を見られる標準コースが5000円。
その場で30分だけ見られるお試しコースが2000円で、向坂達也はお試しコースを選択している。
異性の場合、ほぼ100%標準コースを選ぶことは言うまでもない。
達也は整ったスーツを着た背筋の伸びた男性で、表情は硬く、どこか焦燥感に包まれている。
「向坂達也さんですね。お待ちしていました」
真二が笑顔で声をかけると、達也は申し訳なさそうに軽く会釈した。
「すみません、あまり具体的な依頼内容が思いつかなくて……ただ、最近ずっと胸の中に何かが引っかかっている感じがして。
それが何なのかを知りたいんです。
カウンセリング等にも通いましたが、何か大事なことを忘れている気がして…」
真二は頷きながら、「了解しました」とだけ答えた。
実は何も了解してはいないのだが、中を覗いてみればはっきりすることだ。
真二は催眠の準備を始めた。
相手をリラックスさせる。
脳の扉を開く手順はもう身体に染み付いている。
目を閉じるように指示し、穏やかな声で話しかける。
「これからあなたが見る夢は、あなた自身が一番望んでいるものです。
どんな形であれ、それを受け入れてください」
いつもの決まり文句だ。
実際は悪い夢を見せるつもりはないのだが、こういう台詞があった方が信憑性が増して、受けが良いようだ。
真二の言葉が達也の意識に響くと、彼は深い眠りに落ちていった。
真二は達也の脳にアクセスし、彼の潜在意識を読み取る。
通常であれば、客の心に眠る願望や記憶がすぐに浮かび上がる。
しかし、達也の場合、そこには奇妙な空白がいくつもあった。
不思議に思いつつ、さらに意識の奥へ進もうと試みる。
やがて一枚の古びた写真の形をした記憶を見つけた。
それは、幼い少年と彼の両親らしき人物が写っている家族写真だった。
写真はぼやけており、顔のディテールははっきりしない。
しかし、真二にはその写真が達也にとって重要なものであることが直感的に分かった。
真二はその写真を元に夢を構築する方向で方針を固めた。
達也が幼い頃に過ごした家、両親の姿、そしてその家での何気ない日常風景を再現する。
しかし、夢を完成させようと情報を探るたびに、何かが阻害してくるような感覚を覚えた。
真二は一度目を開けた。
額に汗が浮かんでいる。
何かが違う。
これは単に、忘れていることを思い出したいというだけの案件では無い、そう感じた。
真二は自分の能力に絶対的な自信を持っていた。
これまで何人もの依頼をこなしてきたが、夢を構築できないことは一度もなかった。
しかし今回の達也のケースは別だった。
彼の潜在意識に触れるたびに、何か得体の知れない力が真二を拒んでくる。
真二は意識の中に漂う違和感を逆手にとり、達也の潜在意識の奥底と思われる場所に到達した。
そこには、一種の「壁」のような空白があった。
それは単なる記憶の曖昧さではなく、意図的に造られた防御壁のようなものに見えた。
真二が壁のような空白を覗こうとすると、頭に鋭い痛みが走る。
「なんだ……?」
思わずまた目を開けた。
達也は深い眠りに落ちているが、眉間に皺を寄せている。
普段の依頼では見ない反応だった。
真二は背筋を伸ばし、冷静になるために深呼吸をした。
どうする…断るか?
夢を構築する詳細の素材に辿り着けない…
だがここで断ってしまうと今まで培ってきた記録が途絶えてしまうような感覚に陥ることは間違いない。
それは真二のプライドが許さない。
再び目をつぶって達也の深層意識に入り込んだ。
壁のような空白を目の前にして、真二は声を低く抑え、慎重に語りかけた。
既に寝てしまっている相手に話しかけるのは初めての試みだった。
「達也さん、この壁の向こうに、あなたが探しているものがあるかもしれません。
怖いかもしれませんが、ただ、それを受け入れてください」
真二の言葉が達也の意識に響いたのか、空白に少しだけ色がついて景色が浮かんだ。
それは、達也が幼少期に住んでいたとおぼしき家の記憶だった。
先程の写真をより具現化した景色に思える。
古びた木造の家、敷地内に広がる小さな庭、そこに立つ一本の大きな桜の木。
達也の心がその記憶に強く反応しているのが分かる。
真二は先程見えた写真に加え、この記憶を元に夢を再構築しようとした。
達也が子供の頃の姿で、家の庭に立っている。その向こうから、両親らしき二人が現れる。
この夢を見せれば何か思い出すかもしれない。しかし、感じ取れる情報が鮮明になりそうな瞬間、異変が起こった。
両親の顔がはっきりと浮かび上がる直前に、急に場面が揺らぎ始めたのだ。
そして、達也の潜在意識の奥から、鋭い声が響いた。
「触わるな」
真二は驚いて意識を戻した。
目を開けると、達也は今度は激しく身をよじりながら呻き声を上げている。
達也を落ち着かせるため、催眠から解放した。
達也の顔は真っ青で、額には汗が滲んでいる。
「……いったい、何があったんですか?」
達也が震える声で尋ねた。
真二は慎重に言葉を選びながら答えた。
「信じ難いことですが、達也さんの記憶には、誰かが意図的に介入しているかもしれません。
それが誰なのかは分かりませんが、何らかの記憶を封じ込めようとしているように感じられます…」
「封じ込める……?それは一体なぜ?」
真二は答えられなかった。
こっちが聞きたい。
先程聞こえた「触わるな」の声が、達也と全く違う声だったからというのが他者の介入を感じさせた理由だが、それを伝えては返って怯えさせるだけだろう。
イレギュラー過ぎてどう対応するべきか分からない。
ただ、確信しているのは、この記憶の空白の中には達也自身が思い出すべき何かが隠されているということだ。
もしくは思い出すべきではない何か。
しばらくの沈黙の後、達也が小さな声で言った。
「もう一度……試してもらえますか?」
あまり良い予感はしなかったが真二はゆっくり頷いた。
この依頼をこなさない限り、達也が前に進めないような気がしていた。
そもそも、真二が真相が知りたくて仕方がない。
真二は再び達也を深い催眠状態へと導いた。
慎重に空白の壁へと近づき、再び語りかける。
「あなたが探している真実は、きっとこの向こう側にあります。
一緒に受け入れてみましょう」
何分経っただろうか。
ものすごく疲れる。
真二は、「触わるな」と何度も頭に突き刺さるように入ってくる言葉を無視し続け、意識を集中し続けると、空白が再び色付き始めた。
真二の視界に信じがたい光景が広がった。
そこには、達也が幼少期に経験したであろう、とある出来事が記録されていた。
それはただの家族の思い出ではなかった。
映像ははっきり見えていないが、彼の両親が命を奪われているイメージが伝わってきた。
そして、その事件の全貌を知っているのは、達也の潜在意識の中に眠る「もうひとりの達也」のように感じた。
達也の深層意識に入り込むたび、彼の記憶の中で目にしてきた断片的なイメージが少しずつつながり始めていた。
最初はぼやけた光景だったが、根気よく意識を集中し続けることで、記憶の輪郭が徐々に鮮明になっていく。
そして、コンセントを挿したかのように、それは一気に流れ込んできた。
フラッシュバックというのだろうか。
そこには、幼い達也が立ち尽くしている光景があった。
彼の前には、崩れ落ちた木製のベランダの手すりと、その階下に横たわる二人の大人の姿──両親だと思われる姿が見えた。
達也の手には小さな道具箱が握られており、顔は恐怖と後悔に歪んでいる。
真二はなんとなく状況を理解した。
達也が古い木製の手すりを工具でいたずらにいじってしまい、その結果両親が転落して命を落としたのだろう。
その記憶が流れ込んだ直後、また別の視界に切り替わった。
次に映し出されたのは、見覚えのある部屋だった。
その部屋は真二が幼少期に過ごした自宅の居間だった。
目の前に真二の父親の顔がすっと現れ、こちらに向かって静かに語りかけている。顔が近い。
「この記憶は思い出さないほうが、きっと幸せになれる。
だから、今から私の声をよく聞いて……」
真二はアクセスの途中にも関わらず、思わず目を開けてしまった。
それは紛れもなく自分の父親が催眠で達也の記憶に蓋をしようとしているシーンだった。
達也……おれは達也を知っている…
もしかして荻久保 達也くん……?
真二の心の中で記憶のピースが一気に埋まった。
おそらく今目の前にいる向坂達也は、昔、荻久保達也という名前で同じクラスにいた同級生だ。
子供の頃、荻久保達也の両親が亡くなったという話は聞いていたものの、断片的な噂話程度でしか聞かされていなかった。
その後達也は親戚に引き取られて転校していった。
おそらく向坂という親戚の元へ養子に入ったのだろう。
目の前の達也に結びつかなかった理由にも合点がいった。
よく見ると顔に当時の面影がある。
それよりも、自分の父親が彼の記憶を封じていたことの方に少なからず動揺した。
大して仲良くもなかった達也と、自分の親にどういう接点があったのかが気になって集中出来ずにいた。
目を閉じて何度か深呼吸する。集中しなければ。
真二は意識を保ちながら、自分の父親がかけた催眠をどうやって解除しようかと考えていたが、ふと迷いが生じた。
果たして解除してこの記憶を思い出させることは、達也の望む結果になるのだろうか。
ここに尋ねてきた時の達也の表情は疲弊しきっていた。
思い出したくても思い出せない大事な記憶に触れることが出来ないことからくるものだろう。
しかし、真実を知ったら更にとてつもなくショックを受けるに違いない。
迂闊に今記憶の蓋をあけるのはきっと正解では無い気がする。
これも直感だ。
真二は目を開け時計を見た。
達也が来てから3時間も経っている。
お試しコースのはずだったのに…
ひとまず達也を起こすことにした。
達也がゆっくりと目を覚ます。
目の焦点が合うまでにしばらく時間がかかっているようだ。
彼の顔には困惑と疲労が浮かんでいる。
「どうでしたか?」
達也は低い声で尋ねた。
真二は一瞬、答えるべき言葉に迷ったが、落ち着いた声で切り出した。
「達也さん、先程の続きを行って少し進展がありました……完全に明らかになったわけではありませんが」
達也がかつてのクラスメイトだったことを打ち明けたい衝動に駆られたが、ひとまず言わないことを選択した。
「やはり誰かがあなたの記憶に働きかけ、特定の部分を封じた可能性があります。
その理由や内容はわかりませんが、無理に思い出させることが、あなたにとって良い結果をもたらすとは限らないと判断し、今回は中断しました」
いつくか嘘をついた。とても見たままを伝える気になれない。
達也は眉をひそめる。
それでは納得出来ないと言わんばかりの表情でしばらく考え込んでいた。
「それでも……その記憶が何なのか知りたいんです。
何かがずっと引っかかっているんです。
昨年ぐらいまでは何とも思ってなかったんですが、急に何かが異常に気になり始めて…
このままでは前に進めない気がして……」
おそらく催眠術の効果が切れかかって、違和感を感じ始めたのだろう。
真二は達也の言葉に心を動かされながらも、自分の直感を無視することはできなかった。
「達也さん、記憶というのは、本人の心の準備ができた時に自然と思い出されるものです。
無理に引き出すことは、時として心に深い傷を残します。
私は慎重に進めるべきだと思います」
達也は苦々しい表情でうつむいたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……わかりました。もう少し考えてみます。すみません、こんなにお手数をかけてしまって……」
真二は優しく微笑んだ。
「謝る必要はありません。もし何か気持ちが変わったり、思い出したことがあったら、いつでも来てください」
達也が店を出た後、真二はしばらく椅子に座り込んだまま、深く考え込んでいた。
達也の記憶の奥に見たもの、そしてその中に現れた自分の父親の姿――。
父さん……一体どういう経緯があって達也にあんなことを…
彼の親戚に頼まれたのだろうか。
いや、そもそも催眠術師としてテレビに出たことがあるとは言え、本当にそんなことが出来るとは誰も思っていないはず…
達也本人が頼んだ?
それもない。
そもそも学校以外で会った記憶もないし、家に呼んだこともない。少なくとも真二の知らないところで、真二の父親に頼みに来るとは思えない。
尋常じゃない疲労感に包まれていた。
疲労はしているが、おそらく今日は一睡も出来ないだろう…
予想に反して、かなりの時間寝ていたようだ。
朝の8時。
10時間も寝ていた。
そして、何年かぶりに夢を見た。
皮肉なことに、この仕事を始めてから自分はほとんど夢を見ることが出来なくなってしまっていた。
夢は、昨日見た達也の記憶の中の一部。
目の前には父の顔があった。
「この記憶は思い出さないほうが、きっと幸せになれる。
だから、今から私の声をよく聞いて……」
続きがあった。
「お前は何もしていない。
この件には絡んでいない。
達也くんには気の毒だが…彼にも蓋をさせてもらった。
2人のためだ。」
………!?
昨日見た彼の記憶…と思っていた記憶は、もしかしたら自分の記憶ということなのか…?
お前は何もしていないとはどういうことだ…
いや、これは単なる夢に過ぎない。
あまり考えすぎないようにしようとため息をついた直後、仕事用の携帯にLINEが入った。
達也からだ。
仕事の依頼ではなく、どうしても会って話がしたいという内容だった。
何かを思い出したのだろうか。
彼とはその日の夜に食事をすることにした。
レストランに着いた時には、達也は既に席に座っていた。
「お待たせしました」
「急にお呼びだてして申し訳ありません」
大人の挨拶を済ませたあと、2人は食事をオーダーした。
「思い出せたことがあるんです」
コップの水を飲みながら達也が切り出した。
「昨日夢を見ました。
夢屋さんでは見れませんでしたが、自宅で…」
達也には家で夢を見る施術はしていない。
今まで経験はないが、そういうことも有り得るのだろうか。
「井田沢さん、あなた、井田沢真二さんではないですか?」
まさかのセリフにギョッとして目を見開いてしまった。
言葉が出てこない。
彼も自分が以前のクラスメイトということを思い出す夢を見たのだろうか。
父親に催眠術をかけられているシーンも見てしまったのだろうか…
何も否定する言葉を出せずにいたことが肯定する意味になってしまっていた。
「真二さん。いや、当時は真ちゃんと呼んでいました」
「え?」
「昨日は向坂と名乗っておりましたが、当時は荻久保という名前でした。
荻久保達也です!覚えてませんか!?」
達也は昨日とは打って変わってエネルギーに満ちた顔をしている。
「夢を見て色々思い出せました。
あなたが昔私の親友だったことも、一緒に色んなイタズラをして笑いあっていたことも」
「ちょっと待ってください…
確かに…達也さんがクラスメイトだったことは、実は昨日の時点で気付いていました…
隠していてすいません…
ただ、一緒に遊ぶような、親友だったような記憶は私には…」
達也が思い込みでそういう夢を見ただけか?
どこまで話していいものか…
自身が両親を死なせてしまったことも見てしまったのだろうか…
混乱してどこに視線を向けるべきか分からない。
「今朝、夢を見た後、真ちゃん…失礼、井田沢さんのことが気になってアルバムを探しました。
この写真を見てください」
達也が内ポケットから差し出した写真を見た。
そこには達也の意識の中で見た子供の頃の達也と、仲良さそうに肩を組んでピースをしている自分が写っている。
全く記憶にないが、どう反応するべきか分からず写真を凝視する。
よく見ると、背景に達也の古びた自宅も写っている。
「どうです?子供の頃の井田沢さんですよね?」
「…ええ。確かにわたしです…」
「その反応を見る限り、一緒に遊んでいた頃のことは覚えてなさそうですね…」
達也は寂しそうな表情になりながら、写真を引っ込めた。
気まずい空気が流れたが、問題はそこではない。
自分が達也を覚えているかどうかではなく、達也が両親のことまで夢で見てしまったかどうかだ。
「達也さん。昨日見た夢の内容を聞かせてもらえますか?」
テーブルに置かれた料理に手をつけながら、達也が話し始めた。
「見た夢は、井田沢さんと遊んでいた頃の夢ですよ。
恥ずかしながら、私も夢を見るまで井田沢さんのことはすっかり忘れてしまっていました…
ですが、井田沢なんて珍しい苗字なのでもしかしたらと思ってアルバムを見返したら、ビンゴですよ。
写真の面影もしっかり残っている」
「では思い出したかった記憶というのは…」
「そこのつっかえはまだ取れていないんです。ただ、昨日会った井田沢さんがあの真ちゃんだ!と気付いて、興奮して思わず連絡してしまいました」
なるほど、事件の事は夢には出てきていなかったようだ。
これで、どう話に対応するべきか分かってきた。
「そうそう、井田沢さんのお父さんも夢に出てきました」
「!?……何か言ってましたか?」
「何か言ってた気がしますが、聞き取れなかったというか、覚えていないというか…」
「いや、ちょっと待ってください…
何故その人が私の父親だと思ったんですか?」
「何故も何も、井田沢さんの家に行った時に何度も会っていますから」
「うちに…何度も来ていた…」
「本当に私のこと思い出せないんですね」
苦笑いしながら達也は料理を食べている。
達也の記憶を思い出せないというレベルではない。
仲が良かったという記憶がごっそり抜けているということだ。
真二にゾッとする考えが浮かんだ。
今朝見た夢。あれはやはりただの夢ではなく、自分の記憶の片鱗なのでは…
「お前は何もしていない。
この件に絡んでいない。
達也くんには気の毒だが…彼にも蓋をさせてもらった。
2人のためだ。」
彼にも蓋をさせてもらったと言っていた…彼にも…
必然的に、おれも蓋をされていたということになる。
なんてことだ…
おれもあの事件に絡んでいたということなのか…
達也が何か話しているが入ってこない。
「ちょっと待ってください。
整理させてください。
達也さんと私は昔仲が良かった。
それは理解しました。
忘れていて申し訳ない…
それで、達也さんはいつだったか引越しをしましたよね。
それはいつでしたか?」
「引っ越したのは10歳の時です。
両親を交通事故で亡くしてしまって、群馬の親戚に引き取られました。」
交通事故。
確定だ。
達也は記憶に蓋をされただけではなくて、記憶の改ざんまでされている。
そしておそらく自分も。
あの事件に自分も関与しているのだ。
知りたくなかった。
けどここまでくると、真実を知らないまま過ごすことは出来ない。
それこそ昨日の達也の状態になってしまう。
どうしても知りたい。
これはもう達也だけのためではない。
自分のエゴだ。
「達也さん。胸のつかえを取りたいのは今でも変わりませんね」
「はい、もちろんです」
「それが自分にとって苦痛な内容であっても?」
「そんな苦痛な内容なんですか?」
「ええ、おそらく。」
「…分かりました。
もしかして昨日の時点で何か分かってたんですか?」
真二は一瞬躊躇ったが、覚悟を決めた。
全てを打ち明けることにした。
「全てを見た訳ではありません。
ですが、少なくても達也さんのご両親が亡くなったのは、交通事故ではないと思われます」
「交通事故ではない?」
全てを話すと覚悟したのだ…言おう。
「達也さんの記憶は何者かによって蓋をされていると昨日言いましたよね。
おそらくですが、私も同様に蓋をされているようです。
そして、蓋をしたのは私の父親です」
「ちょっと待ってください、唐突過ぎて入ってこないです」
「そうですよね、私もです。
そして、ご両親の事故には、私たち2人が関わっている可能性が高いです。
少なくても私は、達也さんと親友だったという記憶が根こそぎ改ざんされて、消されているようです」
「えっと…最初に戻っていいですか?
交通事故ではないというのは?」
「…昨日私が達也さんの記憶に触れた時に見た映像では、達也さんがイタズラ心に分解してしまった手すりの影響で、ご両親がベランダから落下死している映像でした」
「なんですって!?」
「慌てないでください。
おそらくこれも改ざんされた映像だと思います。
実は、壊れた手すりで2人同時に落下するというところに違和感を感じていました。
それと、達也さんの実家は二階建て、ベランダの下は土で出来た庭。打ちどころが悪かった可能性があるとしても、2人ともというのが引っかかっていました」
「……昨日何故言ってくれなかったんですか?」
「ただでさえ憔悴しているあなたに、今の話をする気にはなれませんでした。
きっと自分を責めるだろうと。
ただ、この話が改ざんによるものだとすると話は変わってくる。
最初は、自分のせいで親を死なせてしまったという記憶を、達也さんの心を案じて蓋をしただけだと思っていました。
父親も粋なことするじゃないかと。
しかし、その記憶すら創られたものである可能性が高いと分かった今、2人とも真実を知るべきだと判断しました。」
「まだ今ひとつついていけませんが、2人とも関わっているというのはどういう…」
「そこは私も分かりません。
そこであなたの協力が必要になります。
あなたの記憶の蓋を取り除けば全てはっきりするという訳ではなさそうだ。
どこからどこまでが改ざんされたものかを判断するのは非常に困難だと思っています。
ですが、少なくもと蓋を取り外せば何かがはっきりすると思うんです。」
「確かに…でもそんなこと出来るんですか?」
「残念ながら、自分の記憶の蓋を開ける方法は知りませんが、達也さんの記憶の蓋は解除出来ると思います。
2人にとって、知りたくない真実かもしれませんが…」
「もちろんお願いします。
元々思い出したいと依頼したのは私です。
両親が亡くなったのはもう30年ぐらい前のことです。
真相がどうであったとしても、生き返る訳ではありません。
ただただ知りたいのです。」
「分かりました。
では都合のいい日を教えてください」
帰宅後、ソファに腰掛け、目をつぶって考えてみる。
何故親父はあんな施しをしたのか。
達也を傷付けたくないだけなら、達也の記憶に蓋をするだけで事は足りたはず。
偽の記憶を植え付けるということは、誰か(おれしかいないが)が記憶を探ることを前提に、2段構えの準備をしていたということだろうか。
そう考えると、おれは事件に関わっていたのではなく、自分から達也に接触しないように、達也と仲が良かった部分の記憶だけを消されたというのが濃厚だ。
少しだけ気が楽になった。
約束の日、達也は前回と違ってラフな服装で登場した。
仕事は一週間休みを取って東京まで来ているらしい。
「今日はよろしくお願いします」
「心の準備は出来ていますか?」
「もちろんです」
「では早速始めましょう。
あ、そうそう、もうとっくにお気づきかと思いますが、わたしは相手の心の中を覗くことが出来ますが、そのことはオープンにはしていないんです。
この事はご内密にお願いします…」
「今さらですか(笑)そんなこと子供の頃から知ってましたよ。
あ、そうか、子供の頃のわたしとの記憶は無いんでしたね…」
「なんですって?知っていた?」
「ええ、内緒だぜって言って、わたしには面白がって一度試していましたよ。
まあその記憶も先日一気に思い出した思い出の中のひとつですけどね」
「なるほど、そうでしたか」
平静を装っていたが、かなり動揺していた。
目立つ事が嫌いで、地人には一切試したことがないという記憶が、一気に当てにならないものになってきた。
「それでは始めましょう。
目をつぶってください」
達也は心無しか、少しワクワクしているように見える。
前回達也の記憶に入った時とは明らかに違う。
所々空白だった記憶がいくつか埋まっている。
子供の頃のわたしの姿もちらりと見える。
問題の、空白の壁に辿り着く。
やはり前回同様、拒絶してくる反応があったが、今回はこの創られた壁を取り除くのが目的だ。
おそらくこの下に封じられた記憶の蓋があるはず。
壁に近づいたが、今回は「触わるな」の声は聞こえない。
その代わり、意識を集中しても映像も浮かんでこない。
ただの空白の壁になっている。
発動するのは一度きりということか。
壁は思いのほか簡単に動かす事が出来た。
役目を終えたからだろうか。
その下に、マンホールのようなイメージの蓋が見つかる。
「外すよ、達也さん」
目を開けて、達也の顔を覗き込むと、達也もパッと目を見開いた。
目を見開いたまま、一点を見つめている。
時折、「あっ…あっ…」という声を出している。
おそらく上手く出来たはずだ。
あとは達也が落ち着くのを待とう。
携帯がアプリをダウンロードする時のような感覚だ。
おそらく今正に失くしていた情報がダウンロードされているのだろう。
コーヒーでもいれよう。
達也がこちらを見た。
処理が終わったのだろう。
「達也さん、具合はどうですか?」
「大丈夫です」
「何か思い出せましたか?」
「ええ」
放心状態で全然大丈夫そうには見えない。
もう少し待った方がいいかもしれない。
「あの…」
「はい。ゆっくりで大丈夫ですよ」
「何から話せばいいか…」
「……」
「受け止めてくれる人はあなたしかいない。
正直に話させてください。
まず、結論から言うと、両親を殺してくれたのはあなたのようです」
「!?」
事故に関与していたではなく、殺した!?
「どうやらわたしは両親から虐待を受けていたようです。
ただ、友達が家にいる時はその間は虐待されない。
その中の1人が真二くん、あなたです。」
「……」
「友達にはもちろん虐待のことは言いませんでした。
しかし、ある日、あなたは面白半分でわたしの記憶の中を覗きました、そして残酷な虐待シーンを見たのでしょう。
あなたは憤慨してくれました。
そして、その日の夜になるまで家にいてくれました。
正直心強かったという感覚があります。
帰宅した両親が揃うと、あなたは両親に催眠術のようなものをかけていました」
達也は興奮しているのか、徐々に饒舌になっていった。
黙って聞いている。
黙って聞くしかない。
「両親は、フラフラと立ち上がって、玄関を出ていき、私達も後を追いました。
暗い国道で立ち止まって…その後は…言わなくても分かるでしょう」
「ええ…」
「わたしは恐怖と困惑と安堵で…何と表現すればよいか分からない気持ちで突っ立っていたと思います。
そして、そのまま私の手を引き、真二さんはあなたの自宅に私を連れて行ってくれました」
「その時のわたしは何か言ってましたか?」
「後先考えずにやっちゃったけど、まずかった!?と言ってました」
まずかったではないだろう…破天荒な行動、言動、今の自分からは想像出来ない…
「その後真二さん、あなたは私の目の前で、お父さんに相談していました。殺してしまったことではなく、わたしの今後の生活をどうしたら良いかということを…」
「それで、親父はあなたの記憶に鍵をかけたってことですね」
「ええ、おそらく。
今流れ込んできた情報では、あなたのお父さんが私に何かを語りかけているところで途絶えました」
「……」
「しかし、今話しながら気持ちがやっと追いついてきましたが、あなた方親子は恩人です。
わたしを虐待から救い出し、虐待されていたという記憶も失くしてくれて、きっと親戚への橋渡し等もやってくれたのでしょう」
恩人?バカ言うな…自分の息子が人を殺してしまったことに対する火消しに必死だっただけだろう…
しかも、万が一オレのことを思い出したとしても、殺してしまったのは自分だと錯覚させるようなトラップまで仕掛けて…
そしておれに対しては、二度と達也に近づかないよう、達也との思い出を消され、同じような過ちを犯さないよう、他人に自ら催眠術を披露するような性格ではないという性分まで
書き加えられたってわけか…
正直、自分の父親の力量を見誤っていた。そんなことまで出来たとは…
昨日見た夢は…親父が「2人のため」と語りかけてきた映像は、やはりその時の記憶を断片的に思い出した自分だった。
事実だった。
2人の子供の記憶を封印して、書き換えて、普通の交通事故に見せかけ、その後は何事も無かったようにのうのうと暮らしてきたのか。吐き気がする…
「想像もしていなかった驚きの内容で取り乱しましたが、落ち着いてきました。
お陰様でこの一年ずっと引っかかっていたモヤモヤがスっと取れた気分です。
もちろんあなたを恨んでなんかいませんよ、むしろ感謝しています」
「そうですか、それは良かったです」
真二は立ち上がって、達也の頭に手のひらを当てる。
今なら父親の気持ちが自分にも分かる。
真相は知れたし、これ以上の厄介事はごめんだ。
「それでは良い夢を」
真二は達也の、この一週間の記憶にだけ蓋をした。
それでは良い夢を @kafu-
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