雪中の菊花

司馬亮次郎

前史 日本とロシア

19世紀後半に明治維新を成し遂げた日本はその目を外へ向け、大陸への進出を虎視眈々と狙っていた。朝鮮における甲午農民戦争、清における義和団の乱はまさにその好機であったと言える。しかし中国および朝鮮への進出を狙っていたのは無論日本だけではなかった。日本の前に立ちはだかったのは欧米列強の超大国ロシアであった。不凍港を求めて南下政策をとるロシアと日本の衝突は必然であったと言える。

1904年、日露両国は満州朝鮮の利権をめぐって遂に開戦した。日本軍は開戦当初、遼東半島先端部のロシア租借地であった旅順大連の攻略を最優先事項とした。

しかしここで史実に反する事象が発生する。

日本軍は遼東攻略のために満州の遼陽を最前線とする防衛線を築こうとしたが、その地で予想外の大敗を喫したのである。

小国日本にもはや立て直すだけの力は残っていなかった。

開戦半年にして日本陸軍は遼東半島にて包囲され、奮戦むなしく殲滅された。

日本政府は無条件降伏を申し出たが、ロシア帝国政府からの回答は残酷なものであった。回答にはただ一言「全土併合」と記されていた。

回答の内容が全国民に知れ渡ると、国民は進んで総力戦の構えを見せた。

しかし、1904年12月17日に東京湾に出没したロシア極東艦隊を見た途端、国民と政府の継戦意思は完全に破壊された。

明治天皇は勅令をもって全国の武装解除を命じ、大日本帝国は1904年12月25日に旅順艦隊旗艦ペトロパブロフスクの艦上で降伏文書に調印した。

日本降伏の一報は世界を駆け巡り、それは欧米列強によるアジア支配を促進した。

ロシアは朝鮮を併合し、清朝を滅ぼして満州に傀儡国を建てた。

日本は国名すら奪われ「ロシア極東植民地」と呼ばれるようになった。

天皇制はロシア皇帝の臣下としての存続を認められたが、天皇は宮殿に幽閉された。

東京はノーヴィ・ニコラエフスクと改称され、極東総督府が置かれた。

日本の統治はこの極東総督府によって行われることになる。

こうして、ロシアの南下政策は完全なる成功を収めたのである。

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雪中の菊花 司馬亮次郎 @yamato2006

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