第15話 邂逅
薄野での不思議な体験から30年の月日が過ぎた。あと数年で退職を迎える年齢になった。不思議な体験をした百貨店はすでに取り壊されて今は別の商業ビルが建っている。
あの体験はいったい何だったのだろうと時々考える。証拠となる招待状は無くなっていたし、縄文の原始の森で落としてしまったと思っていたボールペンは背広の内ポケットに入っていた。本当にあの暗幕の向こう側に異空間はあったのだろうか?
私は、何らかの事情で仮死状態にあったのではないか。例えば、脳波が記録されている状態で医療を受けていた人が、偶然、仮死状態に陥った事例があった。その時、記憶を司る部位が活発に反応していることが分かった。
死ぬ間際の走馬灯状態は存在することが科学的に裏づけられたのだ。土岐は仮死状態だったのだろうか。ただし、記憶になかったものをたくさん見たのだからそれとは違うと思うのだ。
あるいは、一炊苑で教授たちが話し込んでいるときに疲れのため、転寝≪うたたね≫でもしたのであろうか。いわゆる一炊の夢である。邯鄲の夢ともいう。
ただ、道士の枕を借りたわけではないので、自分に壮大な夢を見る力があるのか、甚だ、疑問である。今では、本当にあったのかもしれないと思う程度である。
あの体験の後、城門弥生とそっくりな女性と結婚した。そっくりというのは語弊があるかもしれない。もともと私の心の中にある好みのイメージを城門が借用したのだとしたら、似たような感じになってもおかしくはない。
本当に似ていたのかさえも時間が経ちすぎて今では、それも定かではない。その後、3人の子供を授かり、起伏はあるものの、大きな禍福はない人生を送ってきた。好きな研究を続けていつの間にか准教授になり、そして教授職を拝命した。
学生の講義を担当したり、教室の運営方針を考えたり、工事現場で遺構が発見されると現場へ行って発掘調査をしたりしているうちに人生はなんとなく平凡に過ぎていった。これまで共著の論文を入れれば300編に近い論文を発表しているが、ブレークスルーを起こすような発表はまだない。
発掘して復元修復するという地道な作業の繰り返しである。教授室の壁際のケースに入れられている縄文土器を見るたびに城門が言ったことを思い出す。
現生人類は全盛を極めているが、それは危うい全盛なのです。先人たちが発見や発明をしたのにもかかわらず、歴史の中に埋もれてしまったものを再発見して、どのようにして生き延びてきたかを知ることです。文字がなかった時代、四次元の住人が記録を残さなければ何も残らないのです。遺物だけが先人の業績を伝えているのです。ものづくりをしていた人がいなければ何も残らないのです。先人たちの苦労が今の人類の繁栄を支えているのです。
仏教の言葉に、今日である、あること難き、今日である と、いう言葉があります。人類が今存在しているのはほとんど奇跡に近いことであることをかみしめて、知的生命体の頂点にいるという矜持を持って人類自身と地球上のほかの生命体を守ってほしいのです。
家族単位で生活していたネアンデルタール人は、新たな工夫がなされても他の家族に伝えることができずに滅んでいった。現生人類は、マンモスやナウマンゾウを食料として射止めるためにある程度の集団になる必要があったにせよ数百人の集団を形成していた。その中で工夫されたものは集団の中に広がり、技術の伝承を支えた。集団脳の力である。
今や、インターネットでつながった集団脳は、発展のスピードをますます加速させている。新たなフロンティアとなる月や火星に人類が移住する時が間近に迫っているときに、人類はそれを一瞬でふいにする戦争という行為を続けているのだ。
化石人類の仲間にはなりたくないが、自分にできることは発掘によって過去の人々の声を聴き、想いを知ることだ。いつの時代であっても人々は生き延びようと必死だったに違いない。
遺物には生きた証が刻み込まれている。定年退職した後でも足腰が丈夫なうちはボランティア活動で発掘現場に足を運ぶだろう。それが私の人生なのだ。自分の好きなことをしてここまで来られただけでも幸せなのかもしれない。
窓から差し込む光は赤みを帯びている。帰宅する時間が近づいていた。土岐は再び縄文式土器に愛おしそうに目を注ぐと部屋を後にした。
数か月後のことだった。山間部を抜ける道路工事をしている現場で遺構が見つかった。依頼を受けて土岐たち一行は、現場に赴いた。
初夏の日差しが燦々と注ぎ、セミの鳴き声が林から大合唱のように響いてくる。少し動いても額に汗が流れ出る暑い日であった。発掘調査が始まって1時間ほどが経った頃だった。
「土岐先生ぇ――――――」突然、研究生の叫ぶ声が聞こえた。
「先生ぃー、来てください、早く来てください‼」
声を聞いた瞬間空間が拡大して時間の流れが遅くなったような気がした。熱気を帯びていた空気は、しっとりとした涼しい空気に変わっていった。
その叫び声は王のいない王国、戦争がない平和な時代が続き、1万年以上繫栄した万年王国、縄文の鬱蒼とした原始林から聞こえてきたように感じられた――――――
現代と縄文を繋ぐ物語であって、用語と描写が必ずしも学術的に正しいとは限らないことをお断りしておく。例えば、九次元宇宙における六次元の余剰次元は原子核の大きさより小さい領域にコンパクト化されていると考えられているが、物語の都合上現世は、四次元の中に浮かんだ三次元スクリーンに投影された世界として描写している。
釈尊は、「自然界の法界にあること、なお、大海に一漚(いちおう)の浮かべるが如し」といったと伝えられているが、最近の研究では、我々の世界は、たくさんある宇宙の中の一つの泡宇宙に過ぎないらしい。
参考
大栗先生の超弦理論入門 大栗博司 講談社 ブルーバックス
なぜ宇宙は存在するのか 野村泰紀 講談社 ブルーバックス
レンマ学 中沢新一 群像 第73巻第2号~第74巻第1号
講談社
山形県立博物館 HP
世界 —ススキノで縄文と出会う ー 高安たつひろ @yayoi2728
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます