無題(仮:異世界学芸会)

アタオカしき(批評会開催中)

無題

「だからザナが」


 壊した。そう続けようとした。


「言い訳するなお前が悪いんだから非を認めなさい」


 耳と頭を貫通する、神官さんの降り注ぐ怒鳴り声にさえぎられた。


 びくりと肩が震え、涙が目じりからこぼれた。


 立っている自分のとなりで、べたりと座り込んで大泣きしていた、自分より小さいザナ。


足元には、お天道様の眷属を写した、その石像の首。ぼっきり折れていた。


 大きな共用部屋での出来事。しんと静かで、みんな、目を吊り上げて、わたしを、八つ裂きにするように、見ている。


 私のせいじゃない。私は壊してない。ザナが悪い。ザナが壊した。


「ちがう」

「ロールス来なさい!」


 怒鳴り声に体を震わせる暇もなく、手首をつかまれて、ひきずられる。


 石床の、冷たくて固い反省部屋に放り込まれた。


 みんなの目の色が思い浮かんで、自然と、ちぎれそうなくらいの強さで自分の長い髪の毛を引っ張っていた。


 扉越しに神官さんの声がして、“わたしはわるくない”と大声を出した。


 2回、3回。


「ごめんなさい」


“でもわたしはわるくない”うつむいて髪で隠して、口だけを動かした。


 嘘つきなら舌を引き抜かれる。心の一番底から、根こそぎ舌が引きちぎられた気分だった。


「はあ……いい子だ。特別にスープをあたためてある。みんなには内緒だよ。さあおいで」


 よく覚えている、手足が短い小さな頃のできごと。







__________________________________________










 かすかな光を感じて、うつぶせの体勢から目を開ける。つむじ側にある窓から、紫の薄明が見えた。


 布の切れ端を、木板の下から取り出し、汗でじっとりとした額、首、すそを拭いたあと、髪を結ぶ紐をほどいて、結びなおして整える。


 今日は朝当番の日。


 布団をめくり、木板に布をかぶせた寝台から体を起こす。近くに畳んで置いた、ふたつのうちひとつ白い服を被るように着て、立ち上がる。もうひとつ青い服を、同じく被るようにはいて革帯できゅっと締める。


 革靴、直した痕だらけ、形崩れて、よれよれのものに裸足をさしこんでべたべたと出入口へ向かう。


 3人くらい並べる縦長の部屋、自分の寝台の下で、あのにくい顔が口を開けている。


「朝来たねザナ」

「んが、朝来たね」

 紺色の癖毛の散らすように頭を掻いて、すぐに寝息を立て始めた義兄おにいちゃん。あれだけ小さかったこの大男は、背伸びして手を伸ばしてたっても、頭なでなでができない。


 踏んでいた靴のかかとを履きなおして、そっとかんぬきを外して壁に立てかけた。


きしむ扉をあけ、廊下へ出る。たくさん並んだ扉から、15人が自分と同じように出てきていた。


 同じ朝当番の人たち。


 顔ぶれを見て、ため息がこぼれる。


“いつもの”仲良し組が多い。当番仕事はきちんとこなせる人たちだけど。


 当番は、早い者勝ち。3番めに大事な洗濯、2番めの調理、1番に大事なほこり取り。


 悟られないような自然な動きで、ほとんどのみんなは今回の顔ぶれを把握している。


 そして、普段仲良くなくたって、だいたい2人1組。それ以上の3人1組の時もある。でもそれは仲良し組の集まり方。


 仲良し組じゃない人たちは、そいつらと同じ場所にならないよう、足早に当番へ向かう。けれど、それをわかってる仲良し組は、流れる水より速い動きで組を作って、固まって歩いて廊下をふさぐ。とろとろ歩かない速足だから、邪魔だからどいてという建前も使えない。


朝来おはようたね」


 鼻をつく臭いに、顔をしかめそうになる。


 いちばん近くにいた人から朝の挨拶。ねぐせがいつもひどい1つ年上のラーリア、ほうきみたいに逆立った、少し長くて黒い髪を、ほぐすように下へなでている。


 ちょっとだけほっとした。今日はほんの少しいい日になるかもしれない。


 ラーリアの首へと、緑がかった黒髪を結んだ人が後ろから手をまわしてきた。


朝来おはようたラーリア」


 心の中で、ちょっとだけ肩を落とす。そこまでいい日なんかじゃない。


この人はラーリアと同い年で、当番ではふたり一緒のことが多い。


 ちらりと見まわす。もう組はみんな決まっていた。


 列の後ろあたりでとぼとぼと、当番へ向かう。


めぇいてる?めっちゃはれてるじゃんぶっさ」

「うっさ。口臭いよ」

「もっと臭いのいるだろ」


 ラーリアをちらちらくすくすと見る、蛇のように細い目。


 がやがやと、寝ているみんなを起こしそうな声ではしゃいでいるのは仲良し組。言葉は強いけれど、毒はなく、楽しそうにしている。


 みんなで廊下を進んで、共用部屋についた。


 小さいころからなじみのある場所で、背も伸びたけど、あのころと変わらず空みたいに天井が高い。


 目のいい人たちから、1番大事なほこり掃除へ向かっていく。仲良し組ではないひとりが、いやそうな顔しながらそこへ向かった。調理当番とほこり掃除当番では、自分たちを監督する神官さんが数人いる。掃除当番の神官さんは決まって、特に目がよく、まじめな人が多い。


 目が悪い人だと一生懸命やっても嫌な思いをすることがたくさんある。


 列の前から、どんどん当番が早い者勝ちで決まっていく。1番人気は神官さんがいない洗濯だけど、今回は仲良し組が多い。調理場へ続々人が向かい、残った自分と仲良し組は洗濯当番。行く人数は決まっているので、それ以上の数で向かうことは空気が読めていないと怒られるし馬鹿にされるので、全員というわけじゃないけどみんなこの暗黙の了解は守っている。


 仲良し組の神経を逆なでしない程度の距離感、離れすぎず、近づきすぎないように緩い一体感を持ちながら歩く。


「ねえロールスぅ」


 ひとりから話かけられた。この、とげとげしくて高い声はエーレ。肩にかかるさらさらの金髪、耳の近くでおしゃれな三つ編みを一本垂らす、顔の整った人。悪口を聞こえるように言うから苦手な人は多い。でも当番の日でもしっかり三つ編みして頑張っているし、神官さんたちからの覚えを良くするためだけど、具合の悪い子がいるなら率先してあらゆる当番を交代してあげているところをよく見る。


 そこはすごいと思うけど、こんなのはみんなに言っても分かってもらえない。


 いじわるな笑みを浮かべているエーレは大きな声。


「ラーリア今日も臭くない?」


 みんなあまり口にしないけれど、ラーリアの体臭は息を止めたくなる。"勧めの書"では、物や人に対して傷つく言葉、とげ言葉を言ってはいけないと書かれている。釘とかうんち、椅子とかの物ならわからないけれど、“くさい”と言われてうれしい人はいないし、実際にそうであっても、言ってはいけないと教えられる。


「うーん鼻詰まってるからわかんない」


 鼻をすすりながら、もごもごと小さい声で、目を合わせずに口を動かす。


「えー?鼻詰まってても臭いと思うんだけど」


 だけど同時に"勧めの書"には、身だしなみは整えないといけないとも書かれている。その身だしなみに、体臭は例外なんてことは書かれていない。"勧めの書"で悪いことだと示唆されているものは、直さなければいけない。だけど、傷つくように言ってはいけない。ここのやり方は、大人たちの間でも考えがばらばら。


「てか鼻ほんとに詰まってる?」


 人の体調に敏感なエーレが、いじわるそうに、目を細めながら口をにっと裂けさせて自分の瞳をのぞき込んでくる。


 嘘はつかないほうがいいけれど必ずしもそうではない。


と、"勧めの書"と常ににらめっこしている神官さんがそうよく話してくれる。でも、基本的に嘘はよくないのでばれると白い目でみられる。だから嘘は使わない遠まわしな言い方が便利に感じる。


 でもその言い方、大人には褒められても、みんなからは気取っているって嫌われるから結局使いたいときに言えない。


「うるさい鼻水飛ばすよ」


 乾いた鼻をすぅっとすする。


「きったな」


 かしゃかしゃと、骸骨に見えるような笑い声出しながら自分から離れていくエーレ。


 冗談でごまかした。これ以上絡まれたらもうどうにもできない。


「朝の空気がおいしいですねみなさん」


 中庭へと通じる小部屋に着いた頃、女性の神官さんがやってきた。心の中で、ふぅっと、人が吹き飛ばせそうな息を吐く。


「量多いけれどお昼ご飯までには終わらせるようにしなさいね」


 栗色の髪を丸くまとめている神官さんはみんなの様子をじっと見る。主に見ているのは体調。


 笑みを浮かべて頷くと、洗い場へ向かい、みんなもその背中についていく。


「ほらいくよぉ」


 歩いていた仲良し組は、みんなの背中を押してふざけるような調子で走った。


 団子髪の神官さんは振り返って口を開く。


「こら騒ぐな」


 仲良し組は“へへへ”と笑みを浮かべて、歩き出す。


 洗濯場は、教会裏の川沿い。石造りの小屋にみんなの洗い物が集められている。よそから来た神官さんが、水場が近くにあって便利だねと言っていたことがあった。その人の話をいろいろ聞いて、教会も場所によって雰囲気も当番の数もやり方も人数も違うということを知った。


「ロールスぅ」


 歩く足が止まる。中庭から外へと抜けて、川の水辺、そこに建てられた石の小屋まで来ていた。


 仲良し組のひとりが両手を組んで、自分へ小首をかしげる。


「ねぇロールスぅ開けてもらえる?」


 小屋の扉は、どろぼう対策のために重い。にしては無駄に重い。小屋の鍵を必ず神官さんが開けるのだけれど、神官さんでも開けるのは一苦労なので、その場にいる一番の力持ちか、まりょくの浸透得意な人が開けることになっている。


 浸透を極めると、山を手の平で吹き飛ばしたり、空を砕けるようになる、って男の子たちがはしゃいで言っているのを聞いたことがある。


 男の子たちが言うには、自分は力の浸透が得意。時間をかけず、しかも、疲れずに10割の力を出すことができていると。


 扉の開錠をした神官さんは唇の上をきゅっと結ぶと、すぐに解いて自分へと口を開いた。


「お願いしますね」


 神官さんは埃掃除へ向かった。背中をみんなで見送る。


 目の前へ視線を戻した。


 扉へ手を伸ばしながら、体の芯から熱を、その力を、つま先からつむじまでまんべんなく広げる。


 重い扉は片手で押し開けることができた。


 乱雑に積み上げられた服の山が3つ見えてくる。


「え~だる」


 何かで支えないと扉は閉まる作りになっている。自分が腕で支えている間に、みんなが中の洗い物をそそくさと、胸で抱えるように、大きな桶に入れたりして運び出す。


 服の山を抱えているエーレが自分に近づいてくる。唇を尖らしていて、いたずらっぽい笑みで、目が蛇のように細くなっている。


「ふぅー」


 ひゃう


 半袖から、脇に息を吹きかけられた。鉄壁の表情を作って我慢する。


 エーレは満足したようにみんなと塊になって川岸へ降りていく。

 扉から手を放し、私が運ぶ分の桶を頭と両手に乗せる。ゆっくり閉じていくそれに背を向けてみんなの後を追った。


 桶に積まれた服を、川の水いっぱいの小桶に移し、複数枚まとめてみんなが洗う。


 神官さんには一枚一枚丁寧に洗いなさいと怒られているけれど、仲良し組はそんなことしない。もしばれても、普段の素行がいいから本気で怒られることはきっとない。彼女たちは常に気配りができるように、周囲の気配に敏感だからズルは基本的に神官さんにみつかることはないし、相手の機嫌と心の距離感を正確にわかっているから。


「芸祭さぁ。あれきしょすぎん?」


 芸術祭。下品に略して芸祭。この国は8の大教会があって、3年に1度私たち教徒が集まって歌と武を披露する。各教会はそれぞれ上級生下級生含めて千人くらいいて、主催は王様、場所は王宮。


 上級生は歌と武の劇で、私たちの教会は“創世の書”から“灰と日陰の駆逐”。


「自己中ぶすがこんなときだけ張り切ってからさまじきもい」


 その人は、ちょっと、頑固で、融通が利かないことで知られてる。仲良し組のズルがばれたり、ほかに黙認されていることで罰を受けるとき、例外なくその人が関わっている。


 仲良し組のひとりが自分へ、うるうるとした目で口を開く。


「ロールスも大丈夫?しょっちゅうやり直させられてがちだるくない?」


 彼は、劇の台詞だけでなく動作もうるさく指導してくる。


「うーん大変だけど頑張った分みんな褒めてくれるから」


 洗濯の手が止まる。


 ひとりは口を手で隠すようなしぐさ。ひとりは目を大きくして。


 ひとりは八の形のような眉。


 エーレは三角みたいな口を作る。


「えーえらーい!」


 何か話したそうな顔をしていた。だからお礼のように聞き返す。


「みんなはどうなの」


「えあたし?あたしはさもうなんかやばい。毎回我慢しすぎて血ぃぶちぎれそう」

“血ぃぶちぎれる”という耳慣れない言葉で声を荒げるのはサーヴ。目が夕日みたいな色で、この国とは空気がちがうような、たぶんちょっと遠いところから来た人。訛りが少し強いけど、その独特な調がむしろ仲良し組らしさを高めている。


「え!てかキャスもやばくね。なんもしゃべらん」

「わかるまじ意味不。裏役させようみたいな空気だったのにあいつ邪魔してから」


 めらめらと目の奥が燃えている。


「やっぱくそじゃんあいつ」


 すぐにそのめらめらは小さくなって消える。


「はーもうお腹すいてきた」

「あたしもーお腹すいたー」

「てかやば見て魚泳いでる」


 それを聞いてると、こっちもお腹すいてきた。平日はパンと魚の汁物だけだけど、祝福の日は鶏と魚の汁物になって、チーズも食べれる。


「あ」


 泳いでいた魚が、しゅっと勢いよくどこかへ逃げていく。


 川の水面が揺れていた。

 ぎゃいぎゃいとしゃべっていたみんなもはっとする。

 男子たちが起き始めた証拠。朝の鍛錬が始まった。


「そろそろちゃんとやらんとじゃん」

「早く終わらそ」


 ちゃんとやる、というのは言葉通りの意味ではない。


 みんなは、一度にもみ洗う服の数を増やし、良く言って素早く、悪く言って雑にこなしていく。


 神官さんたちの、それぞれ怒った顔、がっかりした顔、しょうがないと思う顔、関心があるように装う顔、すごく怒った神経質な顔が心の中思い浮かぶ。


 消さずに抱えたまま、みんなより少なめに取った服を素早く丁寧にまとめ洗いした。




___________________________________________




教会の高い塀に囲まれた中庭、ある少年たちは拳を握って互いを打ち合い、ある少年たちは棒で打ち合いをしていた。


日は上り、斜めへ向かって降り注ぐこの刻。


少年たちは打ち合いを止めて、中庭と教会をつなぐ広い廊下の日陰で腰を降ろした。


「げほっっげほ」


ひとり、手で口を押えて、血を吐くような勢いでせき込む少年。


周囲の者は一瞥する。


すぐに関心を失ったように視線を戻し、口を開く。


「はぁ~緊張してきた。うわ。俺汗臭いからあんま近づかんで」

「もう再来週とか。吐きそ~」

「うわくっさ。近づかんで」

「だから近づくなって言ってるだろ」


それぞれ小さい塊になって腰を降ろす集団その中のひとり、空よりも青い碧眼の少年は、天井まで伸びる、開かれた扉を見ている。


「何見てん」


少年へ声がかかる。


「おい何見てん」


少年の瞳は、じっと遠くを見つめている。


「おーいこらすけべじじい」


軽く頭を叩こうとするように、手が振りかぶられる。


その気配に、はっとした碧眼の少年は体を傾けて避けた。


「聞こえとんのか、えぇ?」


碧眼の少年へ、人差し指を槍のように何度も突き出すのは、青みかん色の目を持つ少年。


その隣、ぶどう色の目を持つ少年はにやにやとした口を開く。


「またロールス見てたんだろすけべやぁ」


「は?」


そのとき、碧眼は細い人影をとらえた。肩を覆うように伸びた、その長い髪。


祝福の同じ証を持った、血は繋がらなくとも魂の兄妹である、碧眼の少女ロールス。


「ん?」


ではない。よく似た体格だが、琥珀色の髪をした者だった。


その被っている桶型の帽子から、商人であることがわかる。


「お、来たやんけお待ちかね」


その後ろ、人の集まりと少し離れた距離にいるその人影。中庭へ歩いているのは、少年にとって見慣れた碧眼の少女、ロールス。


碧眼の少年へと近づく少女は、少年の汗ばんだ白い肌、紺色がかった黒髪を見ている。


「ぜんぜん汗かいてないね」


近くで聞き耳を立てていた者は頭に疑問符を浮かべた。紺髪の少年は、霧吹きを掛けられたような汗を額に浮かべている。


ぶどう色の目を持つ、槍眉そうびの少年は、紺髪の少年の背中を一度叩いた。


「だらだらやってんだよ」


少女はすました表情を変えずに、たんたんと口を動かす。


「そんなのしょうがないからちゃんとやれって言ってるよね」


紺髪の少年はぐるりと周囲を見渡して、少女へ訴えかける。


少女は、唇の先をへの字に曲げた。周囲の少年たちはほとんどあざだらけで、ぼーっとしている。


その少女の顔を見て、青みかん色の目を持つ、棒眉ぼうびの少年は顎を引いてひきつった表情になる。


「えっぐ意気地なしとか思ってんの?」


少女は棒眉の少年に目を合わせた後、無視するようにそっぽを向く


少女の目は人影を探しはじめた。


「フリューどこ」


棒眉の少年は苦い声を出す。


「劇作家様?あーなんか、いねえけど……話あんの?」


険しい表情の少年とは対照的に、少女は淡々としている。


「振付けややこしいから、フリューがいないと間違って覚えちゃう」


少年は顎を引くひきつった顔をする。


「お前あれをそんくらいにしか思ってないの?」


「恥かきたくないじゃん」


その言葉を聞いた者は、前回の芸術祭で最も低俗と評された教会の有様を思い出した。


「いや~それほどか……?」


褒めることしかしないと思っていた大人たちが嫌味を使わずに酷いと言っていた当時の空気間が頭の中で漂う。


その評価は大人たちの間だけだと思われている。子どもたちの間では、完成度の低い劇そのものに笑いどころがあり、それを敢えて表現に取り入れられていた。


「ん?」


手をついて座っていた槍眉の少年の指に、何かが這う。その感触に誘われて手の甲へ目線をやると、手の大きさ程度の虫、半分になったむかでがうねうねとのたうち回っていた。


頭上では鳥が数羽飛んでいる。


槍眉の瞳には、その残り半分をくわえたくちばしが映っていた。


「お!」


それを眺めている槍眉の下の青みかんに気づいた棒眉の少年は、むかでを素手でつまむ。


紺髪の少年と会話している少女へ声をかける。


「ロールス」


「はーい」


口を開けずに、鼻へ息を通すような声出して少年に応える少女。


その鼻に向かって、ちぎれたむかでが下手しもてで投げられた。


高い鼻に沿って張り付くむかでの尖った足。


「うぼゃぁぎゃっ!」


野太く短い悲鳴が、石造りの教会にまんべんなく響いた。


同時に手でむかでは斜め上へ振り払われ、天井にべちゃりと潰れる。


硬い殻は豆のようにはじけ飛び、天井に濡れたしみだけが残った。


棒眉の少年は手を叩いて大笑いし、槍眉の少年はぽかんとしたあと口を隠してにやにや笑い、紺髪の少年は目を丸くし口を縦長に限界まで開いた。


別の集団で騒いでいた仲良し組たちは、冗談っぽく少女の声を真似して下品な笑いを響かせる。


少女は、両手を組み、下腹部へ向かって強く腕の伸ばすようなしぐさで、顔が真っ赤になる羞恥の痛みをぐっとこらえた。


いまだ棒眉の少年は笑みで口をゆがませている。


「うわ~まじで早いなロールスが女王様なら暗殺とか無理じゃん」


まりょくを浸透させて生活すると、扉の取手をひねれば扉が外れるほど筋力は増す。そのため“勧めの書”ではまりょくをむやみに浸透させないことが説かれている。空を砕く力がある者でさえ、日常生活では大木を押し倒せないほど非力だ。


こつこつと、中庭をつなぐ大きな扉から歩く音が、場を静かにする。


「おっほん。みなさん始めますよ女子たち戻りなさい」


白と青を基調にした法衣を纏う面長の神官が咳ばらいをする。


その言葉に、座っていた少年少女たちは立ち上がって、それぞれ中庭、教会大共用部屋へと歩く。


移動の列を乱す信徒数人へ面長の神官が大声を出した。


「全体練習ですよどこ行くんですか」


騒いでいた信徒たちは、その大声がまるでなかったように振る舞いながら列へ戻る。


日照り増す午前、少年たちと、その紅一点少女は神官の前で整列をした。


「えー本番まであと二週間を残すところになりましたえー雲もなくて天気もいいえーこのままずっと晴れだとよいのですがえー話を戻してえーそろそろ細部にもこだわって完成度を高めていきましょうえーとはいえ力みすぎには注意えー最近あざの多い子が目立ちますよえー力加減のうまさも強さの一種ですえー欠員がでないよう怪我なく無理なくあなたたちの役に変わりはいませんということでやっていきましょう。上級生たちは通しをやっていなっさいっえー下級生たちは私と一緒に」


上級生と呼ばれた信徒たちは神官の指示なく中庭の隅へ移動、それぞれ3つの年に分かれた後、丸く円を作って慣れたように、劇における最初の出番の者が配置につく。


人でできた円の中へ、碧眼の少女と、棒眉の少年が進み出た。


棒眉の少年へ、手垢で鈍い色になった人丈の木の棒が渡される。


少女は腰を低く落とし、拳を軽く握った。


それは武劇、“灰と日陰の駆逐”より、序幕。





少年は、少女の顔へ棒の先端を突きつけるように構え、少女は皮一枚分間合いを離して棒へと指先を近づける。


息を吸い込み、止まったとき。


それが合図。


顔を突く少年。少女は棒を掴む。強く握り込まれる前に棒を引いた少年。少女は引っこむ棒と同じ速さで間合いに踏み込んだ。


右脇腹へ拳で突くように一歩進む少女。少年は盾のように膝を上げ、蹴りの構えを作る。


左脚で左のふくらはぎを蹴る少女。下段の少女へ、下がりながら盾の脚をとっさに降ろして少年は棒を払う。


棒を右腕で受け止め、からめとるようにそれを掴んだ少女。引っ張られた少年はその勢いで少女の顔へ押しつぶすような膝蹴り。


棒を手放した少女は顔を逸らして接近、膝の軸を鎖骨付近で受け止め、衝撃点をずらす。直後、少女は蹴りを繰り出す。少年へ背中を見せるように翻し、手を付いてばねのように伸ばし、足裏をその顔へと突いた。


首吹き飛ぶようにのけぞった少年はやみくもに棒を振り上げる。


立ち上がった体勢の少女はその棒の先端を、挑発するように自らの顎にかすめさせた。


少年のみぞおちへ、体当たりをするような肘打ち。


転がって倒れる少年を、日輪冠する少女は鷹のように見下ろした。






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