渋谷駅、23:45

山田あとり

さよならを過ぎた場所


 私は高校の卒業式に出られなかった。あなたに会いたくなくて、そうなった。

 なのにどうして七年後、混み合う山手線のホームなんかで再会するんだろう。終電近く、線路に人が立ち入ったという理由で電車がとまって阿鼻叫喚の渋谷駅。

 疲れきった人々の狭間で、私たちは吸いこまれるように互いを見つけた。瞬間、ほかには何も見えなくなる。あなたのくちびるが動くのがわかった。


「――久しぶり」


 視線が合ってしまえばもう逃げられない。私はゆったりと笑ってみせた。


「びっくりした、こんなところで会うなんて」


 歩みよるあなたはそっと腕を出して私をホームの端へと誘う。女に慣れたその仕草で傷ついた。

 そうなんだ。そうなったのね、あなたも。




 最後に言葉を交わしたのは高校三年生の春近いころ。

 名残の雪が積もっていた。地元の小さな駅の待合室は古いストーブが鎮座し暖かい。窓は白く曇って、垂れたしずくの跡から薄日の差す外がのぞけた。


「大学、離れたな」

「うん」


 合格報告に高校へ来た日だった。あなたは第一志望に落ち、受かった私のほうが何故かうしろめたかった。


「……もう会えなくなる」


 私を見ようともせずつぶやかれ、終わりをさとる。

 同じ場所にいるから付きあっていた私たち。並んでいられるから好きだと言えた二人。

 仕方ない。私たちはなんの力もお金もない十八歳だから。

 遠く離れてまで想い続けることはないと宣告されて、私に何ができただろう。好きなのは本当なのに。


「……うん」


 言ったのはそれだけ。さよならは告げなかった。せめてもの抵抗だった。

 家に帰ってから泣いて泣いて、卒業式の日は不思議なことに熱を出した。




「――東京で働いてたのか。同窓会にも来ないし、知らなかった」

「就職してからは一度しかなかったでしょ」

「そうだけどさ――会えるって期待してたんだよ」


 私は会いたくなかった。会ってどうするの。話すことなんてあるの。だから行かなかったのに、この人は何を言ってるんだろう。

 混みあうホームの人いきれの中、私たちのいる場所だけがぽっかりとしていた。

 帰宅できない人々の苛立ちではなく、あの雪の日の湿り気がよみがえって頬にまとわりつく。それが涙のようで不快だ。


「俺――子どもだった。ごめん」


 うつむいていたら思い詰めた声が降ってきた。


「第一志望、俺だけ落ちて。顔あげてられなくて逃げたんだ。くだらないプライドだった」


 目をあげると、後悔にゆがむあなたの顔。

 昔隣にいた男子高校生は、知らない大人になっていた。大学と仕事と、そしてたぶんいくつかの恋を経て。

 だけどその間、あなたのそばにいたのは私じゃない。私だってもう高校生じゃない。掛け違えた時は戻らない。


「――私も続けようとしなかったし。もういい」


 嘘だ。何もよくない。

 よくないけど、もういい。

 今さらの悔恨も謝罪も苦しいだけ。だから会いたくなかったのに。


「もういい、か。すごい拒絶」

「あなたが逃げたのと、どっちがひどい?」

「――俺。馬鹿だな、好きだったのに」


 「好きだった」と言われて心の棘が折れる音がした。力が抜けて、ふ、と笑った。あらためてあなたを見つめたら、二人の思い出がたくさんよみがえる――私だって、大好きだった。

 あなたは小さく笑い返してくれた。私を見て細めるまなざしが時を巻き戻す。


「今は――どうしてる?」


 探るあなたの声が熱っぽかった。

 それはどういう意味? 体の芯がふるえて痛い。

 好きって、昔の話でしょう。私たちはあの時のような高校生じゃない。高校生じゃないから――今なら越えられることがある。


「――どうって」

「どこ住み? 終電の接続は?」

「そろそろ危ないけど」


 こんな時間だし、あなただってそう。でもここは渋谷だった。街に出れば朝までいられる場所ぐらいあるはずで。

 二人の視線がからまる。あなたの瞳に宿る湿度は別れた駅の曇った窓のよう。

 雑踏が意識から遠のいた。小さく一歩、また一歩。人の多さを言い訳に距離が縮まる。

 あなたは私を好きだった。だから逃げた。

 私はあなたを好きだった。だけど無力だった。

 ここで出会い直した私たちはどうすればいい? あなたの腕がこわごわ私の背に回る。


[――安全確認が取れました、山手線外回り運行再開いたします――]


 ビクリ。ふれんばかりだった手がとまった。あなたが息をのむのが真上で聞こえる。


「帰れそう」


 我に返った私のつぶやきは乾いていた。

 見上げたあなたは間の抜けた顔。後ずさって私は微笑んだ。


「ずっと、会うのが嫌だった――でも話せてよかったのかも」

「え、おい」

「じゃあ」


 私はきびすを返し人混みにまぎれこんだ。


 付き合えば、今のあなたのことも好きになるのかもしれない。でも無理。帰るね。

 あなたの手を取れば幸せになれる――そんな気持ちはたぶん錯覚。私たちは終わったのだから。

 やり直したとして、私の心には折れた棘が溶けずにある。何かのたびにこの棘は私を傷つけるだろう。そんな関係は欲しくない――それが私のプライドだった。



 了


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渋谷駅、23:45 山田あとり @yamadatori

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