言葉はラムネ瓶に消えて

景華

言葉はラムネ瓶に消えて


「ふはーっ勉強頑張った後のラムネ、最高ーっ!!」


 ドンッ、と先ほど口にしたラムネ瓶が机に戻される。

 しゅわしゅわとした白い泡が上気して、それを見るだけでも幸せな気持ちになる。


「このくそ寒いのにまだラムネがいいの? 売ってるところ探すの大変なんだけど」

 机を挟んで目の前。

 頬杖をついてこちらをじっとりと見つめるメガネの男に、私はニカッと笑って瓶を掲げカランと鳴らした。


「頭を使って脳みそ沸騰した後だからこそ、この清涼感が良いんですよ!! わかってないですねぇ、せんせ」

「ごめん、俺、都築みたいに脳みそ沸騰させながら勉強した記憶が無いからわかんなかったわ」

「さりげなくディスるのやめて!?」


 数学教師の御影先生に、受験で最も危ない数学の個人授業をお願いして半年。

 もうすぐ本番を控えた私、都築唯つづきゆいは、今日も最後の追い込みをするため放課後に先生の数学準備室へと足を運んでいた。


 先生はいつも勉強終わりに「皆には内緒な」と冷蔵庫からラムネをごちそうしてくれる。

 冬になった今でも変わらずぶつぶつ言いながらも夏の風物詩をストックしてご馳走してくれるのだから、なんだかんだ言って先生は甘い。

 24歳と歳もそんなに離れていないからか話もしやすいし、勉強終わりのこの時間が心地いい。

 そしてそんな毎日が、この半年の私の楽しみでもあるのだ。

 私だけの、特別な時間。


 だからだろうか。

 少しだけ、気になってしまった口に蓋をすることを知らない私は、聞いてしまった。


「先生、他の子たちにもしてるんですか? 個人授業」

 生徒は私だけではない。

 他の時間に先生とこうして時間を過ごしている生徒だっているだろうことはわかっていても、つい、口から出てしまったのだ。

 これまで口にしていなかった、口にしないようにしていた、心の奥底にしまっていたもの。


「そりゃしてるよ。俺、一応先生だもん」

「……そっか。はは、そう、ですよね!! 一応、曲がりなりにも先生ですもんね!!」

「おいこら、そこまで言ってないぞ」


 何を当たり前のことを聞いてしまったんだろう。

 わかっていたのに。

 他の生徒にも同じように個別に教えてあげてるのも。

 本人の口から聞いた方がダメージくらうのも。

 わざわざ受験前に自分を痛めつけることないのに。馬鹿だな。


 私は瓶に半分残っていたラムネを一気に飲み干すと、そのまま荷物を持って勢いよく立ち上がった。


「さってと!! じゃ、私帰りますね!! 今日もありがとうございました、せんせ!!」

「あ」

「?」

 扉を開けるところで背後で小さく声がして、私が振り返ると、先生はラムネ瓶を持ってそれを見つめながら言った。


「放課後こんなに時間取ってやってるのも、ラムネごちそうしてるのも、一人にだけだったな……」

「え……」

 そして私へと視線を移すと、いたずらな笑みを浮かべて続けた。


「バレたらヤバいから、内緒、な」

「~~~~~っ!!」

 先生は、私を操るのがとっても上手だ。


 ***


 準備期間に反してあっという間に受験が終わって、私は希望大学に合格した。

 受験が終わってから先生の所に行ったのは1度だけ。

 合格報告をした時だけだった。

 先生はまるで自分のことみたいに嬉しそうに笑って「おめでとう」の言葉と、ラムネをくれた。


 カランとビー玉を鳴らしながら、あの日は先生も一緒にラムネを手にして乾杯をして、いつもみたいにわちゃわちゃと話をして、解散した。

 それが、数学準備室で飲んだ最後のラムネだった。


 それからは、どこかもうその部屋に行くことは憚られて、先生とは授業以外で会わなくなった。

 雑談をすることも無くなった。


 そして卒業の日。

 今、私の目の前には先生が悪い顔をして立っている。


「卒業おめでとう、都築」

「え、あ、はい。ありがとう、ございます?」

「何で疑問形なんだよ……」

 いや、だって思わないじゃないか。

 クラスメイトや担任と感動の別れを終えて、クラス委員だからと最後の仕事に帳面を職員室に届けに行った帰りに屋上に拉致られるとか。


「はぁ……まぁいいや。ほれ」

「へ? ──これ……」

 手渡されたのは赤いリボンが結ばれた、ラムネ。


「いつでもおいで。俺はここで、いつでも待ってるから。……だけど、2年経ってもまだ俺のところに来たら、その時は俺も言いたいこと言わせてもらうからな」

「へ? 先生、それ──」

「じゃ、気を付けて帰ってね」

 そう言って呆け顔の私をそのままに、先生は屋上から出ていってしまった。


 2年後。

 私は20歳。

 大人になった私に、先生は何を伝えてくれるのだろう。

 今は言葉にできない“私が伝えたいこと”と同じだといいな。


「よっ、と……」

 カランと小さく音を立ててビー玉を落とせば、白い泡がゆっくりと浮上する。


「ありがとう。大好き。また──」


 頬を緩め小さくつぶやいた“まだ誰も知らない言葉”は、ただ静かにラムネ瓶の中に消えていった。


END


☆あとがき☆

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言葉はラムネ瓶に消えて 景華 @kagehana126

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