伊勢物語異聞5

兵藤晴佳

たのむの雁

 授業開始のチャイムが鳴りまして、とある日の、古典の授業の一風景。

 教師と、とぼけた生徒とのやりとりでございますが、さて、どうにも話が噛みあわないようで。


「ええと、古典のテキスト、最後の課題は……」

「伊勢物語の第十段、『たのむの雁』です」

「では……昔、男、武蔵の国までまどひありきけり」

「先生、質問です」

「いきなりか」

「異世界転生系の話ですか」

「なぜそうなる」

「転生した宮本武蔵が支配する異世界に迷い込んだ男の話ですね」

「じゃあナニか、男が経験値溜めてレベルアップしてアイテム手に入れて、ラスボス武蔵を倒したらハッピーエンドってか?」

「違うんですか?」

「武蔵国ってのは今の東京都と埼玉県と、神奈川県川崎市と横浜市の辺りだ」

「つまり、現代に転生した武蔵がその辺を支配下に置いたんですね」

「転生からいい加減離れろ」

「男が迷い込んだのは間違ってませんか」

「その辺までさまよい歩いて行った、というのが正確かな」

「どこから?」

「京の都から」

「えらい遠くまで行っちゃったんですね……どこへ行くつもりだったんですか元々」

「どこへ行くつもりもなかったんだよ」

「散歩にしても遠すぎる」

「居場所ががなくなったんだよ都に」

「お父さんがタバコを吸う場所を探しに行ったら帰れなくなっちゃったみたいな」

「もともと帰るつもりなんかないんだよ」

「家出ですか」

「そういうことにしとこう……さてその国にある女をよばひけり」

「やることやってんじゃないですか」

「それとこれとは別ってことだろう」

「夜這いかける元気はあったんですね」

「違うんだがまあ、結局はそういうことだな……それが求婚だったわけだし」

「オレと一発って? いきなり? 女の方はそれでOKなの?」

「じゃないときもある。この場合は親の反対だな……父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。」

「1000光年彼方の宇宙語でしゃべられても」

「1000年ちょっと前の地球の言葉だ」

「ここから遠いっていうのは同じですし」

「じゃあ、今、ここの言葉で……父親は別の男と結婚しろと命令したんだけど、母親はこの高貴な男がいいっていうんだな」

「本人の意志は……」

「いい質問だな。まあ、親次第というのが当時の風潮だったろう。そもそも、女は名前すら残らない時代だったから。

「あ、親の名前が書いてある」

「そんなはずは……」

「母親が藤原なりける、父親がなおひと」

「父親が一般人で、母親が藤原氏の出身だったんだよ高貴な!」 

「で、お母さんのほうが娘を差し置いて、はるか年下の男と……」

「しょぼいAVか! 女のほうがOKじゃなかったら、母親もそこまで男にこだわらなかったろう。だから……さてなむあてなる人にと思ひける」

「ネアンデルタール人?」

「そんなわけで! 母親も高貴な生まれなので……このむこがねによみておこせたりける。住む所なむ入間の郡み吉野の里なりける」

「仕事人の嫁さんの母親か! 『婿がねえ……住所はここで』なんて井戸端会議してるところで」

「微妙には合ってるが……その住所に男が住んでいたから、手紙が届いた」」

 

  みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞ寄ると鳴くなる


「机のこの線から入ってくるなって?」

「小学生の喧嘩か」

「寄るぞ、いや、なくなるって」

「頼りにしてます、あなたの方へ行きますよって意味」

「空中やったらええやろって、アレですか」

「羽があるからなあ、雁だけに……それで男も」


  わが方に寄ると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ


「私のところに寄ると、料亭『みよし野』で頼んだ料理の借りはなくなるので、いつだったか忘れてしまった……接待でもしたんですか、親を」

「おぬしも悪よのう……って、仕事人か!」

「先生のノリツッコミにネタをパクられるとは」

「男も損得抜きだよ……私を慕ってくれる娘さんを忘れたりはしませんよ……となむ」

「となむちゃんっていうんですか? その子」

「と詠みました、って意味……で、人の国にても、なほかかることなむやまざりける」

「武蔵が転生した異世界でも人の世界でも、悩みは同じなんですねえ」

「確かに都から見れば異世界だろうな、武蔵国は……それでもやっぱり、恋の悩みは変わらないってことだよ」


 そこで授業終了のチャイムが鳴りました。

 最後まで噛みあわない話ではございましたが、教師も生徒も、何やらお互いに良い顔をしておりますのは面白いことでございます。

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伊勢物語異聞5 兵藤晴佳 @hyoudo

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