傘の行方
@d-van69
傘の行方
帰宅すると出迎えてくれた妻が俺の全身を嘗め回すように見ながら言った。
「あれ?傘は?」
そうだ。雨が上がっていたからすっかり失念していた。
「あっと……。忘れてきちゃった」
「どこへ?」
浮気相手のアパート、なんて言えるはずがない。
「多分、会社だ」
「多分?」
「いや、会社だよ、会社」
すると妻は携帯電話を手に取り靴を履きだした。
「あなたはお風呂入っておいて。その間に私、傘を取ってくるから」
「ちょ、待て待て」
出て行こうとする彼女の腕を引きとめた。
「なんで?別に明日でもいいじゃん。明日も出勤だし」
「だめよ。あれ、私がプレゼントした傘でしょ。高かったんだから。誰かに持っていかれたら嫌だもん」
「誰も持ってかないって。会社の人間信用しろよ」
「会社以外の人だって出入りするでしょ。例えば清掃の人とか」
「ああ、確かに」
「だから行ってくる」
強引に出て行こうとする妻の前に立ちはだかると、
「ごめん。今思い出した。傘、会社に忘れてきたんじゃないわ」
「え?だったらどこ?」
「えっと……。電車だな。きっと」
「だったらJRよね」
言うなり妻は携帯電話を操作し始めた。
「ん?なにするの?」
「問い合わせに決まってるでしょ」
「あの、ちょっと……」
「しっ」と人差し指を口に当て、私を睨む。しばらくしてから会話が始まった。視線は私に向けられたままだ。
ありがとうございましたと言って妻は通話を終えた。
「今のところ届いてないって」
そりゃそうだろと思いつつも、悔しげな表情を作り、
「まあ、誰かに持ってかれたのか、もしかしたら俺の記憶違いで別の場所に忘れてきたってこともあるし。案外ひょっこり見つかることもあるかもよ」
妻は難しい顔で俺のことをしばらく見つめてから、
「しょうがないわね。奥の手を使うか」
靴を脱いでリビングに向かう。
「え?奥の手って?」
慌てて追いかけると、彼女はソファーに腰掛けて携帯電話をいじり始めた。
「なに、またどこかに問い合わせか?」
「違うわよ。あなた、気づかなかった?傘にキーホルダーみたいな飾りがついてあったの」
確かに、取っ手の部分に大き目のコインのような飾りがいつの間にか取り付けられていた。別段気にも留めなかったが……。
「ああ、あったけど、あれが?」
「電子タグなのよ。GPSが入っていてね、無くした時に、地図で探し出せるの」
「へ?GPS?」
ヤバイ。そんなもの使われたら傘がどこにあるのかバレるじゃないか。このアパートはなに?なんて訊かれたらどう答えよう。友達の家か?そうなると取りに行きましょうなんて言い出すかもしれないし……いや、待て。GPSだと?
「なあ、お前、その機能、今までにも使ったことあるの?」
携帯電話の画面からちらりと視線をこちらに向けた妻は無言で微笑んだ。
こいつ、この状況を楽しんでやがる。最初から分かっていたんだ。俺が傘を忘れてきた場所が。思い返せば浮気相手と初めてことに及んだのが雨の日だった。ゲリラ豪雨に見舞われて飛び込んだホテルだった。妻は、それ以前から傘のGPSで俺の行動を監視していたに違いない。俺が浮気していることを知っていながら泳がせていたのか……まさか、俺が自白するのを待っているのか?
嫌な汗が額から流れ落ちた。
「どうしたの?」
妻に目を向けると、揶揄するような表情を浮かべ、
「顔色、悪いわよ」
「い、いや。別に」
「そう?」
妻は携帯電話に視線を落とす。
「なあ、わかったのか?」
恐る恐る訊ねると、彼女はとぼけたような顔で、
「なにが?」
「だから、傘だよ。GPSで探してるんだろ」
「ああ、それウソよ、ウソ。GPSなんてつけてないもん」
「は?じゃあ今なに見てんだよ」
「SNSだけど?」
こちらに向けられた画面には地図ではなく、様々な写真が並んでいた。
「そうなのか?」
体の力が抜け、たまらず妻のとなりに座り込んだ。
「なんでGPSつけたなんてウソを?」
「なんでだろうねぇ」
その声には一切の感情が感じられなかった。どうしたんだと思い妻の横顔を見る。
「これ、私の友達をフォローしているんだけどね、アップされた写真の中に時々彼氏の姿が登場するのよ。まあ顔は映ってないから誰だかわかんないだけど。でも身に着けているものが映りこむ訳よ。そうしたらほら」
こちらに向けられた画面を妻がタップするたび小さな写真が大きく拡大される。次々に映し出される画像には見覚えのある品々があった。
「それでね、これがついさっきアップされた写真。彼氏が傘忘れていっちゃったー。ですって」
妻は俺の目を覗き込むと、
「忘れてきた傘が私の友達のころにあるの、なんでだろうねぇ」
「なんでだ、ろうねぇ……?」
そう答えるのが精一杯だった。
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