あの子に売り子を!

渡貫とゐち

コミケでハロウィン


「――同人即売会? ですか? ……あー、聞いたことありますよ、オタクがめちゃくちゃ集まるハロウィンみたいなやつですよね?」

「正確にはコミケと言う……冬の陣だ」

「まるで夏の陣があるみたいな……」

「あるのだよ、嬉しい悲鳴というやつだ」


 レンズが光り輝くメガネをかけた先輩に背後を取られていた。

 背中をツンツンと突かれているが、確実に先輩の指でないことは確かだ。ま、まあ、刃物ではないとは思うが、しかし分からない……先輩ならやりそうだ。

 ぐっと体重をかければぐさっといきかねない。

 先輩は、実際に悪事を働いたわけではないのだが、噂と、やる寸前までの勢いがあるから既成事実のようにやった扱いされてるんだよなあ……なにもしていないのに。


 誤解がある前例があるから警戒されているし、今みたいにするわけがないのにするんじゃないかと思わされる。先輩の前に立つとあっという間に手玉に取られる。

 後輩を(に限らずだが)弄ぶことに関しては右に出る者がいなかった。


「コミケについてはあとでたっぷりと教えてやろう。さて、質問に答えてもらおうか。私も参加するのだが――同人誌の販売……を、手伝ってはくれないかな?」

「今更ですけど、同人誌ってなんですか?」

「そこからか……」


 肩を落とした先輩の隙を狙って、くるっと体を半回転。やっぱり、先輩が俺の背中をつついていたのはただのボールペンだった。って、芯が出てるじゃねえか。刃物ではないけど体重をかければ刺さる可能性はあったわけだ……怯えておいて正解だったわけか。


 先輩――蛇崩(じゃくずれ)先輩はスケバンみたいな格好をしていた。

 コスプレだろうけど……、髪もボリュームがあり、昭和みたいだ。この人、いっつも違う格好しているけど、本当の先輩は、どれなんだ?

 というか俺が今まで見てきた中にいるのか、本物の先輩が……。


 オフショットさえもコスプレしてそうな人だ。


「あれ? 同人誌――って言うくらいですから本なんですよね? それを、売るんですか? 先輩がコスプレして写真を撮られるんじゃなくて?」

「それもある。だから販売だけにかかりっきりとはいかないわけだ。コスプレをして、販売もして……さすがに私もふたりにはなれない。分裂するというコスプレは無理なわけだよ」


 分裂はコスプレじゃないし……いや、別人が先輩そっくりの格好をすれば分裂したと見せることもできるが……似せる必要はないのか。

 目的を見失っていた。手を借りたいだけなのだ。コスプレをして分裂を装う必要はなかった。普通に人を呼んで手伝わせればいいわけだ。


「私が抜けている間、君に販売を任せたいのだよ――もちろん、報酬は高くする。売上から、なんてことは言わない。今、私の手元にあるお小遣いから君にあげようじゃないか――どうする? 断ってもらってもいいがやってくれるかね?」


「え、断ってもいいんですか?」

「君が本当にそれでいいと思っているなら」


 ……嫌な言い方だった。

 具体的に断った後のことを言わないのがなんとも……やり慣れている感じがする。

 断りづらいが、しかし、俺は断れてしまうわけだ。先輩と何年の付き合いだと思ってる……一年も経ってねえ。

 数年も付き合わされていたように感じるのは、それだけ先輩との時間が濃密だったからだろう。嬉しくねえ。が、後悔はなかった。


「…………はぁ、じゃあ手伝いますよ。――手伝えばいいんでしょッ?」

「その態度はなんだ。報酬、あげないよ?」

「じゃあ手伝わないけど!?!?」


 言うと、先輩が口を尖らせ手を伸ばし、俺のネクタイをがしっと掴んだ。

 そして斜め下に引っ張られ、俺の視線が低くなる。

 ……狙ったな? 先輩の、主張をしない、だけどしっかりとした大きな胸がそこにある。

 当たって弾むくらいに、俺を胸へ押し付け――――


「ご褒美だ、坊主」

「アンタ、最低だよ……」

「最高の間違いだろう?」


 どっちにしろだ。

 最低で、最高である。


「……手伝うよ。手伝わせてくれ、このとおり」

「頭を下げずに真っ直ぐ見つめてくるところが気になるが、その言い方は及第点だな。いいだろう、手伝わせてやろう――初コミケ、私が徹底してマナーを叩き込んでやるから安心したまえ」

「お手柔らかに頼む。……ところで先輩、知り合いを連れていってもいいか? 報酬は俺から出すから気にしないでいいんすけど……」


「? 構わないが、君の知り合い……?」

「はい。妹みたいな――そして箱入り娘です。幼馴染というやつなんですけどね。社会経験として、コミケにぶち込んでみようと思って」

「いきなり過酷なところへよくもまあ……。おっと、そう言えば過酷さを君は知らなかったのだよね。夏よりはマシとは言え、しかし、なかなかハードな現場だ。箱入り娘に堪えられるかは疑問だが……」


「泣かせても構いません」

「鬼畜……いや、別にコミケは地獄ではないのだけどね」


 経験者がそう言うのだから相当きついのだろう。それでこそ、ぶち込みがいがある。


「販売の手伝いですよね? レジをすればいいんですか?」

「ああ……それと、妹さん? が参加するなら売り子をやってほしいね。コスプレをして客引きと、レジと――まあまた説明するよ」


 詳しいことはまた後日、となり、先輩とは今日は別れた。

 事後承諾になってしまうが、これで妹のような幼馴染の参加も決まったようなものだった。



 夕方、家へ帰ると俺の布団の上でポテチを食べていた(殺すぞ)――妹であり幼馴染である箱入り娘がいた。まだ中学生である。

 ……としても、成長してなさ過ぎる気がするが……まるでフィギュアだな。


「おかえりーお兄ちゃん」

「ただいま……、布団の上でポテチを食うなって言ったろ。カスが落ちる……誰が掃除すると思ってんだ」

「お兄ちゃんがするわけじゃないじゃん」


 それはそうだが。

 母さんがやってくれるはずだ。知らぬ間に、俺に気づかせないように。いつどのタイミングで掃除をしているのか……当然、学校へいっている間に、だろう。感謝感謝だ。


「おい、フィギュアみたいな妹よ」

「せめてお人形さんみたいって言って! ……なに」


 妹の首根っこを掴んで引っ張り起こす。

 彼女は不満げに、だけど再び寝転ぶことはなくベッドに腰かけてくれた。あ、こら、服の上の食べカスをぱっぱっと手で払うんじゃねえ。床に落ちるだろ。

 絨毯の隙間にポテチのカスが……あぁ……。まあいいや。

 ベッドを掃除するなら、床も掃除するのだから同じことだ。

 どうせ母さんが全てやってしまうのだから、俺が考えることではなかったな。


「妹よ、バイトをしないか?」

「バイト?」

「ああ、コミケ、とかいうハロウィンに参加することになった。お前はそこで売り子をやることになった――理解したか?」


「コミケなの? ハロウィンなの?」

「コミケでハロウィンだ」


 妹は「??」と首を傾げていたが、詳しい説明は後日なのだ。

 今日、俺が説明できることはほとんどない。


「とにかくだ、お祭りがあるんだが、そこでお前には売り子をやってもらいたい――報酬は高くする、手伝ってくれるよな?」


「売り子……? えっ、あたしが売り子!?!?」


「……お、おう。売り子、だけど……なんだよその取り乱し方、まずかったか?」


「う、売り子……お兄ちゃんはあたしが売り子でいいの!? う、売り、売られてもいいってこと!?!?」


 まるでお姫様みたいな格好の(私服らしい)妹が立ち上がり、長いスカートの裾を自分で踏んでバランスを崩していた。

 前のめりに転ぶ彼女を両手で支えると、転んだ勢いで、妹が俺の首に腕を回して急接近してくる――頭突きでもする気かてめえ。


「お、お祭りで、あたし、売られちゃう……でも、お兄ちゃんがそれを望むなら別に……そういう、ぷ、ぷれい、ってことも……?」

「ちょっと待て。なんか勘違いしてるな……。売り子がなんなのか分かってるか? ほら、言ってみろ」


「売り子なんだから、? だからあたしが、リボンを付けられて商品棚に座って、売られちゃうの。まさにお人形さんみたいに」


「フィギュアみたいに、か――違うぞ、売り子って、そういうことじゃない!!」


 じゃあなんなのかと言われたら、はっきりと言葉にはできないが、きっと客引きの、マスコットみたいなことを言うのだろう。

 夢の国のネズミみたいな、メイド喫茶の外にいるメイドさんみたいな……だよな?

 先輩がいないと詳しいことはまだ分からない。


「あ、売られないんだ……」

「決まってるだろ。なんでちょっと残念そうなんだ」


 売られ願望でもあるの?

 箱入り娘ゆえに常識と非常識が偏ってブレンドされていた。

 先輩も大概おかしいが、この妹も、負けず劣らず――だ。



「コスプレするんだってさ。お前はどんなコスプレがしたい?」

「んー、っと、じゃあれ! ゾンビ……よりも、ミイラ女子!!」


「ごめん、俺の言い方も悪かったな……たぶんハロウィンではないぞ?」




 …おわり

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