雨色のインク
芳岡 海
ワールドワイドインク店
ワールドワイドインク店には、世界中にあるどんな色も売っています。
なんきょくの氷のすきとおった白色や、サハラさばくのすなの赤色や、エーゲ海の深くてまぶしい青色。
「ぼくは世界中をたびしてたくさんの色を見てきました。どんな色でもご用意します」
それが店主のじまんです。
「こんにちは。インクをいただけるかしら」
お店に上品なマダムがやってきました。毛なみの良いねこをだっこしています。
「こんにちは。どんな色をおさがしですか」
カウンターから店主があいさつします。
「青色のインクをさがしているのよ。この子はきれいな青い目をしているでしょう。これと同じ青のインクはあるかしら」
マダムはねこを見て言います。ねこは、グレーの毛に宝石のような青い目でのどをゴロゴロならしています。
「かしこまりました。ご用意しましょう」
店主は白いエプロンのひもをきゅっとしめなおし、せすじをぴんとのばして答えました。
お店のかべには一面にたくさんのインクびんがならんでいます。青色のインクがずらりとならんだところは深い海のようです。
店主はその中から深い青色、明るい青色、緑色のインクびんを取り出してカウンターにならべました。そのとなりには新品のびんを置きます。
店主は深い青色をスプーン三ばい、明るい青色はスプーン一ぱい、緑色のインクはスポイトでほんの一てき、新しいびんに入れます。それからそうっとていねいにまぜてゆきます。
三色のインクは、ゆっくりとまざりました。そしてマダムのねこの青い目とそっくり同じ、あざやかな青色になりました。
「まあすごい。やっぱりここのインクが一番きれいね。今日からこのインクを使って日記を書くわ」
マダムはまんぞくそうに言いました。
「うちにはどんな色でもありますから、いつでもお待ちしています」
店主はれいぎ正しく言いました。
お店には大きなたながあって、かべ一面にずらりとインクびんがならんでいます。青色のびんだけでも、両手を広げた先から先までならんでいます。赤も、黄色も、緑もです。
「こんにちは。インクをください」
お店に背広の男の人がやってきました。
「こんにちは。どんな色をおさがしですか」
カウンターから店主があいさつします。
「仕事でお世話になった人へ、お礼の手紙を書きたいのです。とてもえらい人なので失礼のないように、けれどもすてきな手紙になるようにすてきな黒色をさがしています」
男の人は言いました。仕立ての良いこん色の背広にえんじ色のネクタイをぴしっとしめています。
「かしこまりました。ご用意しましょう」
店主は白いエプロンのひもをきゅっとしめなおし、せすじをぴんとのばして答えました。
黒色のインクがずらりとならんだところはくらい夜のようです。店主はたなの中から、深い黒色、明るいはい色、それからこげ茶色のインクを取り出してカウンターにならべました。そのとなりに新品のびんを置きます。
店主は深い黒色をスプーン四はい、明るいはい色をスポイトで二てき、こげ茶色のインクはスポイトでほんの一てき、新しいびんに入れます。それからそうっとていねいにまぜてゆきます。
三色のインクはゆっくりとまざりました。そしてセンスの良い黒色になりました。
「これはいい黒だ。これなら気のきいた言葉でお礼の手紙が書ける」
男の人はまんぞくそうに言いました。
「うちにはどんな色でもありますから、いつでもお待ちしています」
店主はれいぎ正しく言いました。
お店にはたくさんのインクがそろっています。朝から夜まで、店主は白いエプロンのひもをきゅっとしめて品ぞろえのチェックをかかしません。
「こんにちは。インクを買いたいのですが」
お店にコックさんがやってきました。白い背の高いぼうしをかぶり、赤いエプロンをして、なんとオムライスののったお皿を持っていて、いいにおいがしています。
「こんにちは。どんな色をおさがしですか」
カウンターから店主があいさつします。
「ついにかんぺきなオムライスができたんです。世界で一番おいしいオムライスですよ。だから世界で一番おいしそうなメニューの絵がかけるように、赤と黄色とオレンジのインクをください」
コックはオムライスをうっとり見つめて言いました。
「かしこまりました。ご用意しましょう」
店主は白いエプロンのひもをきゅっとしめなおし、せすじをぴんとのばして答えました。
赤や黄色のインクがならんだところはみずみずしいやさい売り場のようです。店主はそこから赤色を三つ、黄色も三つ、オレンジを二つ取り出してカウンターにならべました。そのとなりに新品のびんを三つ置きます。
店主は三つの赤色を新しいびんに入れ、それから三つの黄色も新しいびんへ入れ、少しずつまぜてゆきます。オレンジのインクは、オレンジだけでなく、さらに赤と黄色をスポイトで一てき、二てき、そうっとまぜてゆきます。
三つのびんはそれぞれゆっくりとまざりました。そして、コックのオムライスとそっくり同じ赤と黄色とオレンジになりました。
「わあ、このオムライスとそっくり同じ色ですね。これでメニューの絵をかいたら、お客さんがふえることまちがいなしだ」
コックはインクをうっとり見つめて言いました。
「うちにはどんな色でもありますから、いつでもお待ちしています」
店主はれいぎ正しく言いました。
「お礼にオムライスはインク屋さんが食べてください」
「ありがとうございます。よろこんで」
店主はさっそくスプーンを手にお礼を言いました。どんなお店番でもおなかはへるものですから。
お店にはたくさんのインクがあります。朝から夜まで、店主は白いエプロンをつけて新しい色のけんきゅうをかかしません。
「こんにちは。インクをください」
お店に女の子がやってきました。青色のワンピースを着て、むらさき色のリボンをかみにつけてとってもおしゃれです。
「こんにちは。どんな色をおさがしですか」
カウンターから店主があいさつします。
「雨色のインクがほしいんです」
女の子はカウンターの向こうから店主を見上げて言いました。
「雨の色? 水色のことでしょうか?」
「ちがうわ。空から水がふってきたとは言わないでしょう。雨は雨なので、雨の色のインクがほしいんです」
「ううむ。少々お待ちくださいね」
店主は考えます。水色ではなく雨の色? でも雨って暗くて、じめじめしていて、きれいな色になんかならないじゃないか。
かべ一面、たくさんのインクがあるのに、どれも雨の色ではありません。
ぼくのインクはもっときれいな色をつくるのになあ。店主は頭をぽりぽりとかいてため息をつきます。
そこへにわか雨がふり出しました。
「わあ、雨だ」
さっきの背広の男の人があわててタクシーをひろいます。ねこをつれたマダムはフリルのついたかさを広げ、コックはレストランのまどから空を見上げました。
けれども店主はインクをさがすのにしんけんで雨に気がつきません。
にわか雨はざあざあふるとあっというまにからりとやみました。
「見て! 町が雨の色よ」
女の子が外をゆびさしました。
雨にぬれた道や屋根や木の葉の水てきが日の光をうつして、町中きらきらしています。
「こんなふうに町がきらきらするのは雨のあとしかないのよ。だからこれは雨の色なの」
日の光だけではありません。空の青、木の緑、道の花の黄色、レストランの屋根の元気な赤、マダムのかさのピンク、タクシーの黒、水てきは町中のたくさんの色をうつしています。まるで町中の色をみんな集めたようにきらきらしているのでした。
「世界中をたびしたのに、雨あがりのこの町がこんなにきれいだなんて知らなかった。きれいな色はどんなところにでもあるんだ」
店主が言うと女の子はにっこりします。
「この町みたいにきらきらした色のインクがほしいんです」
「ご用意しましょう」
店主もにっこり笑って、答えました。
雨色のインク 芳岡 海 @miyamakanan
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