ガイコツ灰崎のけだるげな一日

杉野みくや

ガイコツ灰崎のけだるげな一日

 黄泉の国。

 生を全うしたものが行き着く、第2の故郷。

 ここでは、いわゆる”妖怪”と言われるような者たちが暮らしている。

 陽が沈み、月が昇り始める時、この国の住人は目を覚まし、新たな一日が幕を開くのだ。


「ふわあ、だるっ」


 全身真っ白のかたいお肌に月光を浴びせ、体中の関節をボキボキ鳴らす。顔を洗ったら、保存液に漬けておいた眼球を節穴の両目に嵌めてパチクリまばたき。しっかり馴染んだことを確認したら、歯を磨いてはあ、とため息をつく。

 ガイコツ人間の灰崎冬弥はいざきとうやは今日も眠い頭をこすりながら支度をしていた。


 だるい。めんどい。帰りたい。

 どれも仕事に行く日の口癖だ。

 どうして死んでからも働かなきゃならんのだ、と不満をたれながらワイシャツに袖を通す。あの世でもこんなに資本主義がまかり通っているなんて、生前の誰に言ってもきっと信じてもらえなかっただろう。

 時計を確認すると、長針が数字の6を通り過ぎていた。もうそろそろ出る時間だ。


 アパートの鍵をちゃんと閉めたことを確認してから、仕事場に向かった。一度だけ、鍵をかけ忘れた時があった時に悪餓鬼たちが侵入し、盛大に散らかしてくれたという事件があったのだ。あの日以来、ちゃんと戸締まりを確認するクセがついた。


 行きがけにお店で買ったおにぎりをむさぼりながら、目覚め始めた町の中を歩いて行く。寂れた空き地では座敷わらしとおぼしき子どもたちが追いかけっこをし、夜空をヤタガラスやいったんもめんが飛び回る。

 道を行けば、ぬりかべ、ろくろっ首、人面犬に雪女と、いろいろな姿形をした妖怪ともすれ違う。


 今でこそ慣れはしたものの、黄泉の国に行き着いた当初はとても驚いたものだ。 

 そして同時に、現世に近いレベルで文明が発達していることも知り、思わず無い目を見張ってしまってもいた。現世と同様に現代化が進んでいる黄泉の国では、おどろおどろしさと現代文明とが混ざり合った独特の社会風景が形成されている。ススキがあちこちで生えているかと思えば、それらをこなきじじいが芝刈り機で刈っていたり、ボロボロの屋台が開いているかと思えば、小柄な海坊主が移動式ガスコンロを使っておしゃれな和風料理を提供していたり。挙げだしたらキリがない。


 すっかり見慣れた光景の中を通り過ぎ、いくつか角を曲がれば、仕事場である書店『黄泉ヨミ』の看板が目に飛び込んでくる。裏口から入り、「っざいまーす」とけだるげに挨拶をしながら更衣室に直行。お店のエプロンを身につけ、タブレットをひとつ持って倉庫に向かう。


 黄泉の国にはハイテク化の波も到来しており、現世と同様、扱えないと仕事にならない。小さな書店ではあるが、それでも料金はレジが自動で計算し、在庫と発注はパソコンで管理。最近じゃ、QR決済も浸透してきている。


 そう、丑三つ時に怖がらせるなんてのはもはや昔の話。そういうのはいまや訳ありか、物好きな妖怪しかやらないのだ。


 しばらくはパソコンやタブレットとにらめっこしながら届いた荷物を確認し、店内に配置する分の本を仕分けしていた。ガイコツになってから眼精疲労に悩まされることはなくなったが、腰や背中へは依然として負荷がかかる。

 生前の時のように用心しながらやっていると、上から「おい灰崎」としわがれた声が降ってきた。


「これを店頭の平台に運んでくれんか」


 顔を上げると、しわくちゃのババアと目が合った。この黄泉ヨミの店長であり、一番逆らっちゃならない妖怪である。


「うげ、こんなに」

「文句でもあんのかい?」

「イ、イヤナイデス」


 素直に受け入れると、ババアはムスッとした表情を変えずにその場を離れた。

 いなくなったことを確認すると、胸を大きく撫で下ろした。


「ため息ついてどうしたんだい?」

「おわっ!びっくりさせないでくださいよ」

「別におどかした覚えはないけどね。それより、頼んだ仕事は終わったかい?」

「まだに決まってるでしょう!」


 つい強めに反論してから、慌てて口を塞いだ。

 気をそらすかのように本の山に手を伸ばしたそのとき、レジの方からチャリン、とお金が落ちる音がした。その直後、灰崎の背後をものすごい風圧が通り抜けていった。


「イッヒッヒ!もうけもうけ!」


 気づけば、ババアがレジ前で高らかに笑っていた。

 さすがはターボババアだ、と関心していると、レジの奥から

「ちょっと和代さん。それ、お客さまのお金ですよ」

と別の声が飛んできた。


 身体を少しだけ後ろにそらすと、しかめっ面をしたひとつ目の女の子、小桜八宵こざくらやよいが堂々と注意していた。


「ふん。落とす方が悪いんだ」

「悪くないです。それはおつりですから、お客様にお渡しください!」


(見かけ上は)年の離れた女2人による言い争いを止められるものは誰一人としていない。

 まあよくも堂々と言えるものだ、とこれまた関心しながら、本を店頭の平台に運んでいった。

 こういうのは、我関せずが一番である。


「あ!また逃げる気ですか!」

「おめえじゃわしに追いつけんさ。しばらくパチンコ行ってるから、店を頼んだぞ。それから灰崎」

「はい?」

「そこどいてな」


 そう言い終わらないうちに、ババアはこちらに向かって突進してきた。

 もちろんかわせる訳もなく、骨身に重い衝撃が走った。

「ふぼぁっ!?」


 あばらがバキバキと音を立て、背骨が曲がってはいけない方へとひん曲がる。首より下はバラバラになりながら店の外へと吹っ飛び、残った頭が平台にボテッと落ちた。


「灰崎先輩!」


 駆けつけてくれた八宵が頭を拾い上げる。赤子のように抱えられることに気恥ずかしさを覚えた灰崎はそれ紛らわすように、

「あんっのババア……」

と小さく呟いた。


 既に見えなくなった小さな背中を恨めしく睨みつけている間に、八宵とお客さんが体のパーツをかき集めてくれた。そのおかげで、今回も無事に五体満足の体に戻ることができた。

 お客さんにお礼と多めのお釣りを渡したあと、平台に本を置く仕事の続きに取りかかろうとしたところで、八宵は強めのため息を吐き出した。


「あの人、ほんっと頭に来ます」

「お前はすげえよ。俺には到底マネできん」

「灰崎さんはイライラしないんですか?」

「俺が正面から刃向かったところで、とっ捕まってお洒落なインテリアにされるのがオチさ」

「たしかに、灰崎さんはそうかもしれないですけど!」


 冗談でもそこは否定してほしかったな、と心の中でツッコミながら、本を平台に置き終えた。

 てか、"灰崎さんは"ってどうゆうことじゃ?


「とにかく、あの人にはいつか痛い目見てもらいますから!」


 瞳いっぱいに熱い闘士を燃やす八宵を見て、なんだか暑苦しさを覚えた灰崎はここから早々に離れることにした。


「ああ、まあ、頑張れ。おっさんは遠くから見てるからよ」

「見てるだけですか!?」


 彼女のツッコミを背中で受け流しながら倉庫に戻り、パソコンとのにらみあいを再開した。

 その後は月が西に傾き始めるぐらいの時間まであくせくと働いた。結局この日は、退勤までにババアが帰ってくることはなかった。


「んじゃ、お先失礼しま〜す」


 レジにいる八宵にひと言声をかけてから仕事場を後にし、スマホに目を向けながら早足で家に向かった。

 この前に立ち寄ったコンビニで調達したビールとおつまみを取りだす。プルトップを手前に引っ張れば、炭酸がカシュッと吹き出す音に頭蓋骨が癒される。

 これよこれこれ。


「っ、ぷはーっ!」


 ガイコツになってからというもの、ビールがよりいっそう骨身に染み渡る気がしていた。余計な肉がついてないせいかもしれないし、ただの気のせいかもしれない。

 口から入れたものが体のどこに消えてるのかはいまだによく分かっていないが、それでも味を堪能できることの喜びを享受できるのは、けだるげ日々の中の数少ない癒やしである。


 おつまみを食べながら、たまっていたアニメを見る。この世界に現世と同等レベルの娯楽があるのもまた、数少ない救いだ。歴史の教科書に載っているような時代の娯楽しか残っていなかったら、もっと荒んだ毎日を送っていただろう。


 こうしてつかの間の休息を楽しんでいると、気づけば外がじんわり明るくなってきていた。

 日差しが昇り始める時間になると、急に眠気がこみ上げてくる。黄泉の国では「日差しに包み込まれながら眠る」という習性が遺伝子レベルで刻まれているのか、どれだけ明るくても気持ち良く眠れるのだ。


 眼球を取り出して保存液に漬けこみ、歯を磨き終わったら寝床につく。10分ほどネットサーフィンに浸ったあと、スマホを放り投げて布団に身をくるんだ。


 こうして、黄泉の国での一日が終わりを迎えた。翌日も、そのまた翌日も、骨だけの身体でけだるげに日々を過ごす生活が続いていく。

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ガイコツ灰崎のけだるげな一日 杉野みくや @yakumi_maru

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