愛玩用少年少女非行訓練
固定標識
俺たちの作戦
施設での生活は絶対的に地獄だった。
僕たちは他の居場所を知る由も無いが、しかしこれが他の何物と比較しようと地獄であることは確定していた。
僕たちは十六人は愛玩用の商品人類だ。
僕たちは主に独り身の老人に売られる。死ぬまで彼らの相手をしなければならず、彼らが死ぬと僕らも命を絶つように調整されている。一人で死にたくない老人が、今わの際まで面倒を見てくれて、看取ってくれて。そして自分が死んだ後には後腐れ無く後を追って来てくれる。そういう、誰にも吐き出せない末期の欲望を叶える為に造られた。
僕たちは見目美しく造られた。一人として見た目が完璧でない奴はいなかった。
僕たちの中身は大人に反抗しないように造られた。
僕たちが、僕たちと比べ得るのは施設の大人たちだけだった。
僕たちはいつも白い服を着た。大人たちは空の色や夜の色の服を着た。
僕たちはいつも地面に繋がれていた。大人たちは忙しそうに歩き回る。
僕たちはいつも死について望郷した。大人たちは明日の夢を見ている。
僕たちは始まりの時点で【詰み】というやつらしかった。将棋は出来る。戦術と先読みを学ぶためにと大人に教えられている。
しかしこれが老人の相手をするための、接待用の戦術であることは明白だった。頭に浮かぶあらゆる賢い手を抹殺し、大人たちに懲罰を受けないよう手を抜いた。
大人たちは毎日、僕たちに調整を加える。薬を飲ませ、勉強をさせ、運動をさせた。
薬にアレルギーを持っていた仲間は別棟送りになった。勉強のできない仲間は別棟送りになった。ぜん息持ちだった仲間も、そう。
僕たち十三人の世代は優秀ではなかった。大人たちは、どうしても最後の調整が上手くいかないと、いつもイライラしていた。何かに強大なものに急かされているかのようで、その様は大層愉快だった。そんな大人たちを指差して笑った仲間は、やはり別棟へと連れていかれた。
別棟とは、敷地内の東に位置する高いたかい塔である。僕たち十二人は眠れない夜に、あの塔へ連れていかれた仲間のことを考えて、直ぐに止める。そして瞼をぐりぐりと枕に押し付けた。
僕たちの最後の調整は、それから一月が経っても上手くいかなかった。
僕たちは大人の上手い流し方を覚えて、減らなくなった──
僕たちの中で、とある計画が発足していた。脱出計画だった。
初めは皆、出来る訳がないと考えたし、同時に出た後にどう生きるのかと、発案者に詰め寄った。しかし発案者の彼──十二番は冷静だった。
彼は大人の施す学習の中で、少しずつ現代の知識を蓄えたのだと言う。少しずつ、少しずつ──何時しか大人を見返すためにと牙を研ぎ続けたのだ。彼の美しい棋譜のようなプランは、まさに緻密にして精巧だった。
僕たちは皆嘆息した。
自分自身に嘆息した。
漫然と受けていた学習に、こんなにも情報が紛れていたのだと気づけなかった自分の無能を恥じたし、同時にツメの甘い大人たちを嘲笑した。
僕たちは手を差し伸べ合って、お互いの適性を元に作戦の推敲を試みた。身体のやわらかいやつ、思考の柔軟なやつ、頭の良いやつ、力が強いやつ、目の良いやつ、勇気のあるやつ……僕たち全員は、それぞれの適性能力を持っていた。
そしてその全員の協力を以て、作戦が完成されることに気付いた瞬間、血の温度が広い想像を吸って赤く燃えた。
腹の底で炎の泉が湧き出るようだった。みなぎってゆくこの震えは、まるで寒くない。むしろ耳まで熱くなって、足の裏は進みたいと叫んでいた。
あの時ばかりは僕たちの背には翼があった。
何処までも、何処へでも逃れられる真白き翼の温度が、確かに僕たちの背丈を支えていた。
作戦決行までは時間を要した。
僕たちは皆、各々の牙を研ぐと約束し、最後の調整の失敗を祈り続けた。
四か月が経った。
決行の夜がやって来た。新月の夜だった。
それまで培ってきた従順な演技を最大限活かして、僕たちを縛る鎖を緩めておくことに成功すると、碌にチェックもせずに去ってゆく怠け者の大人に向かって全員がほくそ笑んだ。次に夜目を慣らす為に暫く目を漆黒に漬けてから、十二番の合図で一斉に立ち上がる。
運動の時間に鍛えられた身体は、ある程度の無茶な行使なら勝手が利いた。無理やりに換気口に身体を捻じ込む。
心臓は、破裂するほど高く鳴く。
愛玩人類として育てられ──踏みにじられていた尊厳を取り戻す時が来たのだ。
僕たちは姿勢を低くして、風のように駆けた。草食動物が捕食者から逃げるように──しかし焦りはなく、むしろおちょくるように走るイメージを頭の中で鮮やかに躍動させながら駆けた。
別棟の根本まで走ると、作戦決行までの間に別棟送りにされた仲間が、中から鍵を開けた。わざと醜態を晒して別棟送りになった九番の勇気に、全員が敬礼し、彼もまたその姿勢に応えた。作戦の完遂は近い。
僕たちの逃走経路は空だった。
別棟の屋上から、資材運搬用の貨物飛行機が出ていることは確認済みだった。
そしてその識別番号が、入って来る時と出てゆく時で異なることも確認している。僕たちが別棟に絡みつく蛇のような階段を駆け抜け、屋上に出ると、果たして目当ての【それ】は在った。
日の出の視線に照らされて、赤い影を纏う夢の箱舟。
資材運搬用の貨物飛行機。白の機体に血潮のような紅のラインが入っていて、見るだけで心がワクワクした。触れたら火傷するんじゃないかってくらいに眩しかった。人生で初めての高揚だった。
飛行機の中は狭かった。しかし、子どもの僕たちならば丁度良い。
すし詰めになって飛行機の腹の中で押し合い圧し合い、しかし苦しくもないし煩わしくもない。
あの日。
作戦決行を決めた、運命の日。背中に翼が生えているって、紛れもなく錯覚した。
でも今、僕たちには明確に翼がある!
空は白み始めていた。太陽が顔を出すと同時に僕たちは、広い世界へ船を出す。
「──おい‼」
大人の声が響いた。全員がびくっとする。
「そこで何やってる‼」
問われて、答えるわけもなく。僕たちは出発する。すし詰めの車体の中を這いずって、小さな窓から大人たちの様子を窺うと、僕たちには運動を強いたくせに自分たちはしていなかった弊害か、彼らの足はのろのろと頼りない。思わず笑う。勝ち誇った笑みが零れた。
ばしばしと叩き付けるくらいのエンジンの駆動音は、心臓の震えをも掻き消すくらいに太く重い。そうその瞬間、緊張などすべて消え去った。燃えて何処かへ行ったのだ。
「んじゃ、太陽でも目指すか」
操縦桿を握る十二番は、最後に僕らにサムズアップする。
飛行機は飛び立った。
──────────────────・・・
「行っちゃいましたねえ」
「なーにを寂しそうな面を晒しとるかサクラギ巡査」
「だって先輩、実際寂しいじゃないすか」
サクラギは危なっかしくも屋上の縁に腰かけて、足を地上に向けてぶらぶら揺らした。
俺は答えない。代替に考える。
すべての始まりは二十五年前。世界を未曽有の大地震が襲った。
世界人口は半減し、環境は変わり果てた。たくさんの人が死に、たくさんの生活が壊れた。
愛玩用人類はそんな大災害の後に、裏社会で流れ出した遺伝子改造人間のことを指し、俺たちの商売道具でもある。
その見目、人間離れして麗しく、しかし頭は獣より悪く。主が死んだら後を追う。
『死ぬまで一緒の最新鋭の家族』『アフターケアもばっちり』『後を憂うことなく死ねる』
──売る方も買う方も、本気でそう思ってるなら世界の終わりだ。
結局は孤独の言い訳であり、彼らを同じ人間として見ていないから出来る所業である。【死してなお一緒】など笑わせる。死の果てに居場所があるならば、さっさと一人で死ねばいい。無いから必死に生きとんねん。綺麗ごとにもなれない唾を、どの加齢臭の成れの果てがほざくのか。
貴様らも俺たちも、あの朝日のように輝く、天国になんぞ行けるわけも無し。あんな真白き太陽は、罪なき少年少女の旅の決着にこそ相応しい。
希望の箱舟たる飛行機は、振り返ることなく突き進む。それでいい。それがいい。
それが俺たちの作戦なのだから。
遠ざかってゆく影を眺めて、俺は考える。あの時一度狂った頭を使って考える。今は亡き影を、もう一度頭の中で揺らしてやる。
立派に育っていたのならば、今頃親離れをしている時期なのだろう。
そして、それをさせてやれなかった自分の無力と、世界の理不尽に──どうか、彼らが磨り潰されないことを祈る。
そんな些細な儀式を経て、俺たちの贖罪は此処に完結する。
「俺たちもここで終わりっすね。バレたらぶっ殺されるでしょ」
「付き合わせて悪かった」
「いや、いいっすよ。どうせ生きてても良いこと無いし。だったら良いことっぽいことした方が良いっす」
「いーいーいーいー、悪の組織かおめーは」
「悪の組織でしょ、俺たち」
顔を見合わせゲハハと下品に笑う。実に悪っぽい。
「そろそろ見えなくなりますよ、あの子たち」
「タバコ吸う?」
「いただきます」
並んで煙草に火を着ける。水も食料も満足に無いくせに、娯楽品だけは無限に流れてくるのだから人間の欲には際限がない。
まっすぐな雲を吐き出しながら、太陽の中へと溶けてゆく飛行機は、なんだろうな、良い映画のラストシーンのようで
「泣けるな」
「ですねえ……」
こうして高い塔の最上で、曙光のかぎろいに想いを馳せながらタバコを吸う。
それっぽいじゃないか。
立ち止まり、空を見上げながらヤニを吐き出す俺たちと、煙噴き上げ意志の力で驀進する子どもたちは、あまりに対照的だった。
置いて行かれたとは思わない。見送っていると本気で思えているこの現状こそが、世界に残された歪な祝福の一つの形なのだろう。
「ちゃんと飛べてるな」
「俺らの教育の賜物というやつですよ」
「元気だったな」
「運動って大事なんスねえ」
愛玩用人類の教育カリキュラムには、必要最低限の教養と運動さえあれば、他には何も要らない。水だけあげれば育つサボテンみたいなもんである。むしろ過多な情報や能力を与えてしまうと、自分の境遇に哲学的な考察を行なってしまって、買われた先の主に牙を剥く可能性すらある。
故に見目は麗しく、頭は悪く。
それ以外は求めない。
「どんどん吸収してくれましたねえ、あの子たち。やっぱ子どもの可能性は……無限大だ」
俺たちは上司の目をかいくぐって、あの子たちに特別な教育と運動を与えた。
上層部にはバレぬように、しかし子どもたちの中に気付くものが現れる程度に。時間を掛けていつものカリキュラムに混ぜてやる。
詩を読ませ、音楽を聴かせ、紙と筆と図鑑を与え──盤上で無言の討論をした。俺たちが子どもの頃にして欲しかったことと、してやりたかったことを、彼らに。
まあつまりは大人の傲慢と我儘である。
それが幾らか彼らの血肉になったなんて保証は何処にも見当たらない。
俺たちは嫌われていたらしい。彼らが俺たちを見やるその瞳は、美しい姿も相まって心臓も縮み上がるくらいに恐ろしかった。
そうして思い起こすのは、もう三十年くらい前のこと。太古に輝きを失った青春の学び舎の光景である。
いやに熱血な教師がいた。
元気な挨拶を重んじ、生活態度の悪い奴は捨て置けない。勉強の出来ない奴には、分かるまで付きっ切りで教える。運動の楽しさを知ってもらおうと、誰よりも笑顔で汗を振り撒いた。声もデカくて距離も近い。当然学生からはウザがられていた。
今思うと報われない。苦笑も零れる。
当時学生だった俺たちは勉強の意味も運動の意味もわからなかった。学校では勉強と運動を教えても、その意味については教えない。そして俺たちもそれを知ろうとはしなかった。
「報われねえな」
「そうすかね?」
「だって……そうだろう。俺たちは嫌われたまま死ぬ。世界のどこにも俺たちのことを思ってくれるやつはいなくなる。それぁ、死ぬよりキツい」
こうして死の間際に立って、やっと愛玩用人類を買うジジイとババアの気持ちがほんのり理解できそうになる。
自分が終わる時、誰も自分を想ってくれないという恐怖。終わり悪けりゃ全て悪し。走馬灯は黒く塗りつぶされて、後悔に押し潰されながら絶無へと溶け墜ちる。
想像するだけで肝の冷える話だ。
しかし怠け者の後輩はそうでもないらしい。童顔のままタバコをすぱすぱ吸うので見ていて危なっかしいサクラギは、どうも余裕な表情で煙を吹いた。
「確かに今直ぐには無理でしょうね。俺らは恨まれてるだろうし」
タコ口から噴き出される長い煙は、子どもたちを載せた飛行機に向かっていた。煙の向こうで、しかし輝きを失わない希望の箱船は、汚い大人たちには一瞥もくれずに遠ざかる。
もう小指の先ほどもない。
「でもあの子たちなら……いつか気付いてくれますよ。不良品ですから」
不良品の子どもたち。
飛行機で脱出した子どもたち──Dクラスの子どもたちは、最終調整を失敗し続けた不良品たちだ。
最終調整では開頭手術を用いた思考洗脳が施される。最後の仕上げであり、『主が死ぬと自分も死ぬ』暗示を刷り込む作業だ。
面白いことに──いや、愉快なことに、Dクラスの彼らには最終調整が一切通用しなかった。
恐るべき自我があったのか、それとも何か別の要因があったのかはわからない。ただ、彼らは反逆の因子のようなものを確かに持ち、それがなに故かくじ引き程度のクラス決めであのクラスに極端に集中したのだ。
だから簡単に言えば
「運命だよな」
こんな独り言は、誰にも伝わらずに風の中へと溶け去った。
サクラギは手で目元に影を作った。
「いやーマジすごいっすね。もう見えなくなっちゃった」
「無限大だな」
「世界広すぎて笑えて来ますよね」
「笑えるか?」
「笑うしかねえんすよ」
俺とサクラギは目を合わせて、少ししてから噴き出した。タバコの臭いの沁みた汚い唾が霧散する。カッコつけようとして、しかしどうにも締まらない。
その瞳のような全容をついに現した太陽が、俺たちを照らす。祝福の光明にも思えたし、断罪のサーチライトにも思えた。
風の奔流に呑み込まれて、タバコの煙は遠く伸びた。自由に、真っ直ぐと。
その行き先に目を凝らしてから、俺もどっかに連れて行ってくれやと十字を切る。祈れるときに祈っておけ。あの世で閻魔にブン殴られる前に精いっぱい、神様に祈れ。
あの子たちの運命に幸多からんことを。
どうか、愛玩用人類に絆された哀れな二匹の猿に、多少の安寧の在らんことを。
愛玩用少年少女非行訓練 固定標識 @Oyafuco
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