ほねのおと
@marucho
ほねのおと
こんな夢を見た
……という書き出しで始まる本がある。
千円札にも肖像画が描かれた明治時代の文豪が書いた小説だ。
『夢十夜』というその作品は、主人公の見る全十夜の夢の情景を書いたものである。
夢の中はいつだって理不尽だ。身に覚えのない罪をかぶせられたかと思えば、瞬く間に百年が過ぎ去り、憧れの人との逢瀬を果たしたと思えば、しかし、そのすべては覚醒と同時に消え失せる。
そして、夜が来るとまた別の夢がはじまる。
こんな夢を見た。
子どもの頃に読んだきりだから間違っているところも多々あるだろが、矛盾と理不尽とひとつまみの身に覚えを感じさせる夢の内容が妙に生々しかったことをよく覚えている。
だが、今、小説の中身はどうでもよい。
今回の本題は、ここから先の話である。
ここ一月ほど、私は奇妙な夢に悩まされている。
始まりは決まって蟻の行列だ。
私はしゃがみ込んで、土の地面をじっと見ている。日向と影のコントラストが強く、しかし、吹き抜ける風は近頃のような暴力的な猛暑の色を持たない。
山の夏だ。
顔を上げると、いつもより少し低い視界に、懐かしい日本家屋が映る。
そうだ、私はまだ幼い子どもで、小学校の夏休みに家族で叔母の家を訪れていたのだ、と状況を一瞬で理解する。
母と叔母は仲の良い異母姉妹だったが、祖父母はすでに他界し、叔母も未婚、さらに親戚付き合いの薄い我が家では、帰省となるとまわりは大人だらけで、子どもの頃の私はこうして一人で遊んでいることが多かった。
けれど、それを寂しいと思ったことはない。
祖母が残したこの家は、増築に次ぐ増築で、天然の迷路のような有様だったからだ。
一枚板の廊下に、開け放つと一部屋になる畳の間、用途不明の宙づりの部屋。
マンション育ちの私にはどれも新鮮で、探検してもしつくすことはなかった。
楽しかったな、という記憶を頼りに、夢の中の幼い私もまた、叔母の家に踏み入る。
土間はひんやりと冷たく、人の気配がない。誰の靴も置いていないのだ。墓参りにでも行っているのだろうか。
だとしたら、チャンスだ。
叔母の家は摩訶不思議な迷宮に満ちているが、その古さからいくつかは立入りが禁じられている場所があった。
たとえば、蔵は「扉の建付けが悪いから入ってはいけません」と言われていたし、二階のトイレには「水が漏れて床が朽ちているから」と鍵がかけられていた。
そして、古い梯子でしか行けない宙づりの部屋だ。
もうずっと手入れをしていない梯子では危ないからと言い含められていたが、だめだと言われたらもっと気になるのが子どもである。屋根から直接垂れ下がるような造りになっているところも、外国のツリーハウスのようで魅力的だった。
それに何より、ときおりかぼそい歌のようなものが聞こえてくることが、私の興味をかきたてた。
今この瞬間も、口笛のような途切れがちな音が聞こえている。
「隙間風じゃないかしら」と母は言ったが、本当であろうか。
私は靴を脱ぎ捨て、裸足で廊下を駆け抜ける。誰か帰ってくる前に、自らの足で踏み入らなければ。母の言う通り、どうせただの物置にすぎないだろうが、見てみなければ気がすまない。禁じられているものほど興味がわくのは、子どもの性だ。
私は急な階段をよじのぼり、押し入れの奥の隠し扉を開ける。離れにつづく通路を抜けて、その先にある梯子をかける。
板がたわみ、軋む音を上げたときだ。
口笛が止んだ。代わりに知らない声が降ってくる。
「誰……」
たしかに、そう聞こえた。
真夏だというのに、全身に粟立つ寒気が走る。身体中の筋肉をきゅっと締め上げられた気分だ。
声が出なかった。
本当は、自分の名前を返してあげたかった。「私が来たよ」と告げたかった。
かなわないから、震える手で、再び梯子を握りなおす。古い梯子は一つ踏むたびに割れそうな音を上げた。怖いわけではない。ただ、大人の知らない何かに挑むとき特有の、心拍があった。
私の手と足は、身体をぐんぐん引き上げる。知りたい。知らなければならないと思った。宙づりの部屋には何があり、誰が隙間風を歌い、なぜ閉ざされているのか。
永遠にも近い時間はしごを登り続ける。
そして、引き戸に手をかけた先には……
先には、何があったっけ?
ここでいつも目が覚める。
あそこに何があったのか、思い出せない。
たかが夢、されど夢。毎日見るものだ。頭の中で盲点のような黒い染みが巣くっているような気がして、落ち着かなかった。
叔母の家が取り壊されると母から聞かされてから、ずっとこの調子だ。
「お姉ちゃんもいなくなって長いでしょう? ここまで連絡がないのなら不幸な事故で亡くなったか、そうでないにしても知られたくない場所にいるんだと思うのね。だから、もう壊してしまいましょうってことになったのよ。もったいないけど、誰も住んでいないし」
数年前、叔母は「病院に行って来る」と母のスマホにメッセージを残して行方をくらました。仲が良いとはいえ、受験生の私を抱えた母とは頻繁に連絡を取っているわけでもなかったし、他に親しい人もおらず、しばらくは消えたことにすら誰も気づかなかった。
叔母の職場から連絡があって、ようやく失踪が判明したのは、最後のメッセージから2週間経った頃のことだった。
そのときになって、私たちは初めて、叔母が末期がんに侵されていたことを知ったのである。
こういう事情もあったせいか、母はここしばらくあの家に近づきたがらなかったし、墓参りにもすっかりご無沙汰となっていた。
それでも、最後だから一応、と訪れたのが、今日である。
中学に上がってからは、部活が忙しくなってとんと来れなくなっていた。ここに来るのはいつぶりだろう。
車を降りると、目の前に広がる景色は、夢の中となんら変わりがない。
蝉が鳴いている。蟻が行列を作っている。日かげと日なたがモノクロを彩っている。
母が「たまに来るといいわね」というのも同じだ。
海と空が地平線で交わるように、現実と夢ととの境が消えたような気がする。
不意に私は思い出した。
「ちょっとどうしたのよ」と止める母を気にせず、私はかけだした。叔母の家に突入し、靴のままで埃だらけの廊下を走る。
叔母が消えた後、そのまま放置された家は荒れていて、そこかしこに雑草やどろが跳ね、窓ガラスが割れていた。
だが、家の真ん中に鎮座する宙づりの部屋だけは、今もなお往時の姿を残していた。
声だけがない。
大人の体重がかかれば、腐り落ちてしまいそうな梯子に足をかける。かまわない。
知っているのはもう私だけだから、見つけなければならなかった。
どうにか梯子を登りきると、引き戸に手をかけた。
夢の中では目にすることもかなわなかった景色が、あらわになる。
「叔母さん……」
そこには二組の骨があった。
昔、叔母には妹がいた。母ではない。
生まれたときには大変祝福された可愛らしい子だったが、5つになっても言葉はなく、どうも具合が悪いらしい。次第に隅の方へと追いやられ、やがて納戸で過ごす時間が長くなり始めた。
彼女を産んだ母親も、いずれ家から追い出され、知らないうちに離縁された。
代わりに新しい女がやって来て、今度は正常な娘が生まれた。
母である。
新たな家族のために家は増築を繰り返し、納戸は奥深くへ隠され、階段も落とされた。
叔母だけがそれを覚えていた。
骨の下から見つかった手紙に、「我が家の恥部」として書かれた歴史だ。触れば砂になってしまいそうな紙を抱いて、母は泣いていた。
もう一組の骨が、きっとなかったことにされたもう一人の妹なのだろう。
長い間忘れていたが、一度だけ私はこの人に会ったことがある。
夢の中での通り、一人で家の中を探検していたときのことだった。
驚いた私を迎えに来てくれた叔母が、「内緒だよ」と飴をくれたのだった。
叔母はいつから、この妹と最期を共にすることに決めたのだろう。がんが分かったときだろうか。上京をしなかったのも、結婚もとりやめたのも、このためだったのであろうか。
叔母の真意は、やぶの中である。
ただ、引き戸を開けたとき、二組の骨は恋人同士のように抱き合っているように見えたことだけが、私にとっても事実である。
ほねのおと @marucho
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