ハコとネコ

かなぶん

ハコとネコ

 姉が失恋した。

 なんでも、そろそろ家族に紹介しようという段階になって二股してたことが分かり、問い詰める間もなく別れを切り出されて終わったらしい。

 教えてくれたのは姉の友人で、高校時代の先輩だった。

 そもそもどうして一人暮らししている姉の恋愛模様を知るに至ったのかと言えば、久しぶりに姉に会った両親が、終始暗い表情から重い病でも患ったのかと心配し、様子を探るよう頼んできたためだ。

 で、それならと姉がよく会う先輩に聞いてみようとなり、知ることになった。

 重病ではなくて良かったが、碌でもない奴に引っかかっていた上に、だいぶ引きずっている――とはさすがに親へ明かせる内容ではない。

 両親には、とりあえず病気ではないことだけを伝えたなら、ほっとした反面、ではあれは何だったんだ、という話になっていく。が、それ以上はさすがに突っ込まれても困るため、折を見て親自身で聞いて欲しいと言って話はそこで終わった。

 ――はずだった。

 それなのに姉のいるマンションへ向かうことになったのは、あれから一ヶ月後、姉直々に「久しぶりに遊びに来ない?」と誘いが来てしまったせい。

 原因は、失恋情報源の先輩だ。

 どうやら先輩は姉の超個人的な状況を話してしまったせいで良心の呵責に襲われてしまい、ついポロッと、失恋話を言ってしまったことを打ち明けてしまったらしい。

 そんな経緯あってのお呼ばれである。

 泣いて非難されるか、ブチ切れられるか、とにかく嫌な予感しかない。

 元々姉との関係は悪くはなかった。

 ただ、姉は少し夢見がちなところがある人で、思春期を過ぎた頃から、だいぶ取っつきにくい印象をこちらが一方的に持つようになったという案配だ。

 果たしてこの訪問は、そんな姉との関係をどう変えてしまうのか。

 多少なりとも不安を抱えつつ、姉の部屋のインターホンを鳴らす。

 すぐさま返事が来て、名乗り、程なく開く扉。

 何ともなしに喉を鳴らして身構えたなら、

「いらっしゃい。元気?」

 思ったより明るい姉の笑顔と――その腕に抱えられた真っ白い箱に迎えられた。



 想定は、全て吹っ飛んだと言って良い。

 出されたお茶を飲んで一息……も付けないままに姉を観察する。

 肩口で切りそろえられたフワフワの髪や、記憶にあるよりはやはり少しだけ痩けた頬以外は、変わらず元気そうな姉。しかしそれで安堵するには、目の前に座ってもなお抱える白い箱が邪魔だった。

 当の姉はと言えば、そんなこちらの伺う視線など気づいていないように、自分の失恋を口にし、両親からもあの後連絡があったことを教えてくれた。一応、話の流れで、自分からは両親に失恋のことは伝えていないと言えたが、姉はそれもすでに承知していると言い、「ありがとう」と礼を述べた。

 それはいい。

 それはいいのだが、そんな話をしている最中も、姉の手は抱えた白い箱を、まるでペットへそうするような手つきで撫で続けていた。

 ……新手の宗教?

 その辺の事情には詳しくないが、失恋の痛手で変な宗教にでもはまってしまったのかと心配したなら、姉が「どうしたの?」と聞いてきた。

 本当にこちらの凝視には気づいていなかったらしい。

 数秒、何と言ったか迷ったものの、ストレートに聞く。

「あのさ、その……撫でてるの、何?」

「何って、猫よ?」

「ね、ねこ……?」

「そう。猫。ああ、見た目はあんまり猫に見えないかもしれないけど」

 どう見ても箱ですがね。

 愛おしそうに撫でる手と目つきは、確かに飼い主が愛猫へ向けるソレかもしれないが、どう角度を変えても四角い箱にしか見えない。

 結局、この日はそれ以上突っ込んで聞くこともできず、姉の奇行から強いて目を逸らすことでやり過ごすのが精一杯になってしまった。



 気疲れはしたが、このままではいけない。

 そう思って、その日の内に先輩へ、姉の奇行を包み隠さず話したのだが、先輩はあの白い箱については見たことすらなかったようで、驚きが返ってきた。ついで、実は今仕事が忙しく、姉とは外で会うことはあっても互いの家に行くことはなかったと言い、仕事が少し落ち着いたなら必ず見に行くと言ってくれた。

 あの奇妙な状況を任せっきりにしてしまうことへの罪悪感はあったものの、姉と先輩の付き合いは、今はもう家族でしかない自分より長い。

 お願いします――そう電話口に向かって頭を下げたなら、快く了承してくれた先輩が、一呼吸置いて、妙なことを聞いてきた。

「その箱って……どのくらいの大きさだった?」――と。



 そして数日後。

 先輩の訪問結果を待たずに、またも姉の部屋を訪れている自分がいる。

 それもこれも両親が、姉に送る荷物をうっかりこちらへ送ってきたせいだ。

 いっそ宅配業者に頼めば良かったのだろうが、こちらも一人暮らし、荷物もそこまで多い訳でもないと来たなら、金よりも足を使いたいというもの。

 これが災いしたという訳ではないと思うが……。

 例の箱は今現在、姉の手を離れ、目の前のテーブルに置かれていた。

 出迎えた時は以前と同じく真っ白い箱を腕に抱いていた姉。

 それなのに、今回は時間帯のせいで「お昼食べてないんでしょう?」と手料理を振る舞われる流れになり、簡単に手放してきた。

 ……もしかして、試されてる?

 台所で時々聞こえる鼻歌にビクつきつつ、目を逸らせない箱の白さに、思い出されるのは先輩の言葉。

 ――それ、骨壺が入っているってこと、ない?

 言われた当初はハテナばかりが頭に浮かんだものの、先輩は続けて言った。

 実は失恋の後、姉の元恋人は行方不明になっている、と。

 しかもどうやら二股以上に本物の碌でもない輩だったそうで、行方不明がそのまま殺人事件の被害者に結びついてもおかしくないと噂されているらしく……。

 要するに、姉がどうこうしたという話はさておくとしても、その状態になって姉の手元にあるんじゃないか、と先輩は想像したようだった。

 その場は「やだなー、先輩、想像力逞しい!」「あっははー、ごめんごめん」というやり取りをしたものだが、実際は双方、白々しい演技掛かっていたことは確か。そのくらい、先輩の見た姉の失恋の有り様は悲惨であり、自分の見た箱への接し方は異常だった。そうであってもおかしくない――きっと先輩もそう思ったはずだ。

 そんな箱が目の前にあって、台所からは炒め物を始める音が聞こえてくる。

 ……確認するなら、チャンスは今しかない。

 ちらっと見た姉は完全に後ろを向いており、フライパンを注視する目を確認できる鏡やガラスは見当たらない。

 ゴクッと喉が鳴るのに併せ、フライパンに卵が投入されたと思しき音が届く。

 これを合図に白い箱へ目をやれば、骨壺が入っていてもおかしくないサイズ感が異様な気配を放っているように思えた。

 恐る恐る、しかしなるべく早く、白い箱を手元へ引き寄せ、簡素な蓋を開く。

 一瞬だけ、生首も入りそうだなという考えが過り、手が止まりかけるが、それはさすがにニオイがヤバいだろうと思い直し、意を決しては中身を覗き込んだ。

 そこには――……。

「お待たせーって、何してんの?」

「!!?」

 急に声を掛けられ、座ったままの身体が跳ねた。青ざめた顔で振り向いたなら、チャーハン皿を両手に不思議そうな顔をした姉がいる。 

「あ、の、姉ちゃん……」

 白い箱を閉じることさえできずにいれば、チャーハン皿をそれぞれの位置に置いた姉が、全開の箱を見て「ああ」と声を上げた。

「開けたんだね」

「う、うん……勝手に、ごめん」

 もつれる舌でそれだけをようやく口に出せば、姉は笑って言う。

「別にいいよ。どうせ何も入っていないただの箱だもん」

「…………」

 あっけらかんとそう言った姉は、確かに何も入っていなかった空箱の蓋を閉じると近くの棚の上に置き、「早く食べないと冷めちゃうよ」と対面に腰を下ろす。

 美味しそうなチャーハンと白い箱。

 動揺したまま交互に見た後で腹が鳴ったなら、自然とレンゲに手が伸びる。



 とりあえず、骨壺入れではなかった。

 片付けをする音を聞きつつ、満たされた腹を撫でる。

 箱を撫でていた謎についても勢いで聞いてみたなら、「あれくらいの大きさのモノを撫でていると、不思議と落ち着いてくるような気がしてさ」と教えてくれた。

 何故箱なのかについても、「ぬいぐるみも結構高いし、ずっと抱えていると重いでしょ? 空箱だったら安上がりだし軽いし」と拍子抜けする返答だった。

 結局のところ、ただの取り越し苦労か。

 そんな風に思っていたなら、テレビが最近のペット事情について話している。

 丁度良い日当たりの部屋であることも相まって、知らず緊張していた身体があっさり判明した事実に弛緩してる中、最近では猫が人気らしいという話題になった。

 ふぅん……猫か。まあ見る分には可愛いけど……猫か。

 不意に視線が棚の上の白い箱に行き着く。

 そう言えば最初にあの箱を抱いて出てきた時、姉はアレのことを猫と言っていたな。アレもたぶん、落ち着くための一種の暗示だったんだろう。

 出てきた欠伸に伸びを一つ、再びテレビ画面へと目を向ける。

 ――と。

「にゃあお」

 はっきりと聞こえてきたその声。

 年老いた猫のしわがれたような、男がふざけて出した鳴き真似のようなソレが、真っ白い箱のある棚から聞こえてきた。

 一瞬にして凍り付いた背中で飛び起きたなら、洗い物を終えたばかりの姉が驚いた顔を向けてきた。

「どうしたの、突然」

「ね、姉ちゃん、今……猫の鳴き声しなかった?」

 箱から、とは言えずに尋ねたなら、眉根を寄せた姉が嫌そうに言う。

「変なこと言わないでよ。知ってるでしょ? 私は昔から猫が苦手だって」

「……え?」

 言っている傍からテレビの猫特集に気づいた姉がチャンネルを変える姿に、視線が自ずと箱を見る。

 コレを猫と言い、慈しみ撫でていた姉の姿は、記憶違いだったのか。

 何が本当か理解の追いつかないまま、しばし呆然とする。



 あれから仕事が一段落した先輩は姉を訪ねたが、箱は見当たらなかったという。

 あの箱に纏わる一連の出来事が何だったのか。

 最も簡単につけられる理由は、当時の自分の頭がおかしかった、くらいだろう。

 親に心配されるほどの失恋をした姉と接する緊張感でどうにかなっていた――そう思った方が気が楽だった。

 間違っても、未だに行方不明の姉の元恋人は関係ない。

 数年後、失恋も気軽な思い出となった姉から、元恋人が時々猫の声真似をしてくるのが本当に嫌だったと聞くことになったとしても、関係は一切ない。

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ハコとネコ かなぶん @kana_bunbun

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