輪廻転生仮説について

むっしゅたそ

前世・来世は存在するのか?

 輪廻仮説というものがある。


「魂が不滅だから輪廻する」という類のものは古今東西にあるが、論拠に欠くのでここでは論じないことにする(意識は自分で存在が直感的に分かるが、魂は分からないので)。


 そうなってくると意外に少ないことに気が付く。


 魂や神を認めずに輪廻の仮説を持つ宗教は多分仏教くらいだと思う。しかし仏教の立場はあくまで輪廻〝仮説〟であり、絶対に来世があるというものではない。


 だが、仏教の説いていることは、結構シンプルだ。


 1秒前の自分と、今の自分と、1秒後の自分は「別人」である(諸行無常)。=時間軸から見て、我々は変化し続けているということを前提1とする。


 そして、自分の爪は自分か? 髪は自分か? 胃や腸に入っているのは自分か? 自分という概念は曖昧で境界線がないのではないかという観点で「自分ではない」(五蘊非我。一般的に漫画やアニメだと無我と表現されるもの)。=空間軸から見て、我々は明確な長さを持たないということを前提2とする。


 この2点から、世界はドロドロにつながっていて境界線はなく、時間も漫画のコマ割りのような「実体」(≒アートマン)はなく、川のように連結して流れ続けているという話なのだ。

 ――つまり、諸行無常を突き詰めていくと、私が死んだあと、死体の有機物は他の生命体、例えば蠅なんかの生命の基盤となって、再び生物ができることになる。


 これは、1秒前の私と、今の私を同一と捉えるなら、それを「極端に拡張」すれば、「蠅も私だ」と言ってもいいというような話になる。そういう意味では輪廻転生があることは明白である(私が死んで、私を構成していた同じ物質から蠅が生まれてきたわけなので)。


 ――五蘊非我を突き詰めていくと、私と爪の境界線はない。私と足場の境界線もない。「極端に拡張」すれば、「私と全世界の境界線がない」(要するにこれが無我)ということになる。そうなると、世界では生命は生まれ続け、死に続けている。これは「私(≒世界)が輪廻転生している」と言えるわけだ。


 そういう意味では、「学問的に妥当な輪廻仮説」は、仏教くらいしか私は知らない。

 ただしこの「仏教の輪廻」は、我々が思う「異世界転生」のイメージとは相当違ったものになったのではないだろうか。


 なので、今回は個人的に用意した輪廻仮説がある。


 これは本当に簡単な、すぐにできる「思考実験」である。


 この世には「エネルギー保存の法則」がある。

 それから時間というものは「物質」ではなくて「観念」なのでモノではなくコトの世界にある。

 ではエネルギー保存の法則の対象となる「モノ」の世界だけを観るとどういう現象が起きるか。


 例えばビッグバン仮説は、虚無から世界が生まれたような意見だったから、キリスト教に喜ばれたそうだが、最近は、「ビッグバンの原因」を考えるのが主流になってきている。


 でも、「原因」がある、ということは「虚無ではなかった」、ということになって、だとすると「ビッグバン」が宇宙の始まりではなく、宇宙には「ビッグバンの原因」があった、という話になる。


 現代物理学的と非常に互換性の高い、仏教の業論ごうろんは、「原因なく結果はでない」という考え方を持つので「世界は最初からあった」という立ち場を取る。


 確かに「ニワトリが先か卵が先か」という話になってきたら、無限後退むげんこうたいの構造を持つことになるのは明白だ。


 よって私は、「最初から世界がある」から「今後も永久に世界がある」というような、仏教の仮説には確からしさを感じている。


 となると、「エネルギー保存の法則」ってなんなの? というハナシになってくる。


「世界」という、(エネルギー保存の法則によって)「有限な材料」を「無限の時間」によって混ぜ合わせ続けることをイメージしてみることにする。


 仮に、1個の水槽の中に、プラモデルの部品をバラバラに入れて、無限の時間で混ぜ続けたら、プラモデルが完成できる確率は100%ということになる。

 0,000001%でも可能性があれば、無限の試行錯誤によって100%になってしまうというわけだ。


 ここで重要なのは、プラモデルの完成が「1回」ではなく「無限回」あることである。

 1回完成したプラモデルは、バラけて、また完成して、バラけて、のサイクルを、この思考実験では無限回繰り返し続けることにならざるを得ない。


「エネルギー保存の法則」が絶対ならば、この世はこういった構造をしていてもおかしくはない。


 ようするに、私は、そしてこの記事を読んでいるあなたも、「無限回の前世を経て」いて、「無限回の来世を持つ」という可能性を持つ。


 ――そしてそれはすべての生命、物質に至るまで共通しているのではないだろうか。


 これはまるで「異世界転生ファンタジー」のようだ。


 これが、輪廻仮説とその思考実験だ。


 とはいえ、こういった「神」「不死」「来世」などについて考えることにより起こることは、カント的に言えば、二つの思考システム、悟性――アンダースタンディング(経験的に考える)、と理性――リーズン(すべてに関して無限に考える)という二つのOSの祖語、アンチノミーによって起きているバグなのだということらしいが……


 ニーチェの「永劫回帰」も、このようなニュアンスが込められていたのではないかと、私は考えることがある。

「ならばもう一度」と思えるように生きたい。それはそれで「残酷」なことなのかもしれない。

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