顔に触れる。それはたぶん、骨の形をしている。

ぬるめのたおる

顔に触れる

 人間の骨を直に触ったことって、ありますか?

 私は何度かあります。

 本物の、人間の骨を素肌で触りました。

 人間の骨とは言っても、動物の骨と何か大きな差があるわけではありません。硬くて、まっすぐで、たまに小さなカーブを描いている。金属ともプラスチックとも違った感触で、ああ私は骨に触れているのだ、といつも思うのです。

 でも動物と違うところがあるとすれば、同じものが自分にもあるのだ、と感じるところでしょうか。そのためでしょうか、フライドチキンの骨に触れたとて何も感じない私ですが、人間の骨の場合だとその骨の持ち主がどうやってその骨を使っていたのか、つい考えてしまいます。

 小さな骨の連なりを見るだけでも、それがどのように付着し、機能しているのかを語るだけの力があります。そして、その骨の持ち主がどのような人生を歩んできたのか、見る者の想像を刺激するのです。

 つまり、人間の骨とはすなわち人間の記憶なのでしょう。

 内科医として専門の道を歩んでいる今、実際の骨に触れる機会はほとんどありません。整形外科の先生に頼み込んで手術に入れてもらえればそれも出来るのでしょうか。でも、ダメですね。骨を触りたいから手術に入れてくださいなんて、言えるわけありませんよね。

 

 私がはじめて人間の骨に触れたのは、私が医学生で、解剖実習をしていた頃でした。肌寒い季節だったことを覚えています。

 ほとんどの医師が口を揃えて言いますが、医学部に所属していた六年間の中で一番辛かったのはその頃かもしれません。その頃といえば毎週のように試験を受けなくてはいけませんが、その一方で朝から晩まで解剖をしていました。ですから、家に帰ってから日付が変わるまで試験勉強をして、夜明けとともにまた解剖へ向かうという日々でした。

 当然、頭はぼおっとして、試験と眠ることしか考えられなくなります。この話をするたびに驚かれてしまうのですが、実習中の眠気に耐えきれず、ホルマリン漬けのご遺体にもたれかかって眠ってしまうこともしばしばでした。

「ご献体は、君たちの今後の医師生活における、一番最初の患者である。敬意を持って、丁重に扱うように」

 解剖実習の初日に、教授の先生はそう言いました。

 今もたまに、その言葉を思い出します。

 たとえば重症で目を離せない患者を担当することになった時などは、病院で夜を明かすこともあります。深夜にやっと休めるといった気持ちで病院の小さなデスクチェアで足を組んでウトウトしていると、そういえばあの頃もそうだった、などと当時の記憶が鮮やかに蘇ります。流石に、患者にもたれかかって眠ったりはしませんが。

 

 話が逸れました。解剖実習の話でしたね。

 先にも述べたように、私がはじめて人間の骨というものを直に触ったのは、その頃のことでした。

 その日、私は腕の解剖をしていました。腕はシンプルな構造に見えて奥が深いのです。いくつもの筋肉と神経、血管が軍隊の行進みたいに合理的な構造を形成しながら、人間の精神活動をこの世界に具象化させています。

 私はその日もウトウトしていました。

 そしてつい、手の平の骨が剥き出しになっているところに頭を当てたまま、眠りについてしまいました。

 その浅い眠りの中、私は夢を見ました。

 夢の中で、とある人が台所に立っていました。その人の顔は見えませんでしたが、私はなぜかそれをお婆ちゃんだと思いました。それも、見知らぬ他人のお婆ちゃんだと。

 お婆ちゃんはずっと働いていました。米を研いで野菜を切って食事を作り、それを盛り付けてテーブルに並べ、食べ終わった食器を片付けて水で洗っていました。部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、ずっと働き続けていました。

 私はその夢の中でふと、これはお婆ちゃんの手の記憶だ、と思いました。というのも、お婆ちゃんの顔はずっと見えませんでしたが、手を動かす様だけが印象的でしたから。

 暖かな手だ、と私は思いました。

 私が目を覚ましたのは、解剖学の教授が背後から声をかけた時でした。私は、すみません、と謝りました。教授は笑って、どこでも寝られるってのは医師の素質だよ、と許してくださいました。

 私はまだ眠い顔を外で洗って、もう一度ご遺体と向き合いました。ご遺体は年老いた女性でした。

 この人だ、と私は直感しました。

 

 それからも私は何度か実習中に――毎回ではありません――眠りこくってしまいました。そうした時――これもまた毎回ではありませんが――たまに、夢を見ることがありました。たぶんそれは、私が骨に触れながら眠るときに見る夢で、ご遺体のお婆ちゃんの記憶を辿るような夢でした。

 ある時は足の骨に触れ、お婆ちゃんが人生で歩いてきた旅路を辿りました。老婆の姿からは想像しにくいのですが、若い頃はかなりの健脚だったようです。世界の色んなところを歩いていました。

 ある時は骨盤の骨に触れ、お婆ちゃんがまだ若い頃の恋愛模様を追体験しました。ちょっとエッチな夢でした。起きた時、身体が火照ってしまいました。トイレへ行き、冷水で顔を洗ってもまだ熱かったのを覚えています。

 

 解剖実習にも慣れてきた頃、私はすっかりそのお婆ちゃんのことを好きになっていました。まるで自分のお婆ちゃんのように。いえ、もっと言えば、自分自身の分身のように。

 生理学の試験前日のことでした。私はやっぱり、強い眠気に襲われていました。だから私はその日も、お婆ちゃんの骨に触れたまま、まどろみの底に沈んでいきました。

 その夢は奇妙な夢でした。

 苦しい。息ができない。

 というのが、一番初めに抱いた印象でした。

 私は――いえ、お婆ちゃんは――首を絞められていました。

 自分の息がきゅうっっと、高い音を立てています。吸っているのか吐いているのか、分かりません。あるいは、どちらも出来ていなかったのかもしれません。

 喉元を悪い虫や濡れた蛇が這いずり回っているように不快でした。私はそれを、喉の皮膚を裂いてでも掻きむしりたい気持ちでした。

 しかし何故でしょう。お婆ちゃんは少しも抵抗しませんでした。喉を締め付ける縄を振り解こうともしません。

 ただ、あの暖かな手で、誰かの手を握りしめるだけでした。

 間も無くして、私は夢から覚めました。

 何かの跡があるかもしれない、とお婆ちゃんの喉元を見ました。しかしその皮膚は、私自身の手で切り裂き、剥がしてしまっていました。

 私はすぐにトイレで吐きました。吐いた後も、嫌な夢を見たという不快感が胃の中でグルグルと渦巻いていました。

 解剖学の教授は「ホルマリンに酔ったのだろう。無理せず帰りなさい」と言ってくださいました。ですから私は、その言葉に甘えて帰ることにしました。

 帰った後、生理学の試験勉強をした私は卑怯だったかもしれません。おかげで、試験は危なげなく通過してしまいました。

 

 解剖学の実習は、体幹と四肢の後に頭の解剖で締め括られます。頭の解剖に差し掛かる頃、季節はもう春らしさを獲得しつつありました。

 私はついに、お婆ちゃんの顔にメスを入れました。お婆ちゃんの顔から人間らしさが失われ、解剖学の教科書と同じ表情が現れていきます。その過程は他の臓器でも体験していましたが、顔にはまた別の趣きがあったように思います。

 私はお婆ちゃんの頭の骨に触れました。やっぱりそれは、金属ともプラスチックとも違う、骨らしい骨でした。その日ばかりは、眠気に襲われることは少しもありませんでした。

 その夜、私は自宅の布団でお婆ちゃんの夢を見ました。自宅でその夢を見るのははじめてでした。

 その日、私ははじめてお婆ちゃんの夢の中でお婆ちゃんの顔を見ました。お婆ちゃんは笑っていました。

 

 次の春、私は一つ上の学年に上がりました。

 その春一番最初の行事には、慰霊式があります。解剖実習を終えたご遺体に感謝し、その納骨を見送るのです。いわば、お葬式のようなものです。亡くなってから一年以上経っているため、四十九日はとうに過ぎているのですが。

 私はお坊さんのお経を聴きながら、あの解剖の日々を思い出していました。お婆ちゃんは丁寧に火葬され、綺麗な骨壷に収まってしまっていました。

 ふと、参列者を見ました。その中に一人、男の人が立っていました。見覚えのある顔つきをしていました。

 あの人だ。

 私は、お婆ちゃんの頭の骨に触れた夜の夢のことを思い出しました。

 夢の中で、お婆ちゃんは微笑みかけていました。その笑顔は、私に向けたものではありませんでした。お婆ちゃんの視線の先には、男の人が立っていました。中年くらいの年齢に見えました。お婆ちゃんに似ている、と私は思いました。

「ごめんな、ごめんな母さん」

 男の人は泣いていました。泣いたまま、お婆ちゃんの目線の少し下のあたりを両手で握り絞めていました。

「苦労かけてごめんね」

 お婆ちゃんはそう言って、笑ったまま涙を溢しました。

 目覚めると、朝でした。枕元は、少しだけ濡れていました。

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顔に触れる。それはたぶん、骨の形をしている。 ぬるめのたおる @Null-Towel

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