3.ずっと

 千尋が働く工房へ拓人を連れて来たのは、ようやく落ち着いて過ごせる様になってから。

 もっと早く連れて来たかったのだが、警察沙汰やその他諸々あって、すっかり後回しになっていたのだ。

 勤め先の工房は、丘の頂上、木々に囲まれた場所にひっそりと建っている。一見すると山小屋にも見えた。

 職人兼社長兼オーナは沢木さわきと言い、五十代半ば、人当たりのいい小柄でガッシリとした体格の男だった。

 眞砂の紹介で出会ったこの男は、全て知った上で雇ってくれている。理解ある人物だ。

 工房自体の規模は小さく、雇われている職人も、千尋を入れて三名。少数精鋭だと沢木は笑っていた。

 工房へは麓のバス停から歩く事になる。

 拓人と二人、工房へと続く木立に囲まれた道を歩き出した。

「千尋、前に送ってくれた画像の。あれなんて言うイスなの? なんか昔からありそうなデザインの──」

「ウィンザーチェアって言う。あれは、ダブルボウ」

「ダブル…ボウ?」

 拓人の周りには、はてなマークが飛び交う。千尋はクスリと笑うと、前に送った画像を端末から探し出し、拓人に見せながら。

「こことここ。背もたれと肘掛けに、弓状の曲げた部品を使ってるから。ダブル、な?」

 拓人は千尋の傍らで熱心に覗き込む。

「へぇ…。なるほど。ホント弓形だ。良く作ったねぇ。こんなの…。どのくらい時間かかったの?」

「作業の合間にちょこちょこ作ってたから。二、三週間くらい。集中すれば一週間もあれば形にはなるよ」

「器用だなぁ。凄いなぁ」

 拓人は先程からしきりに感心しまくっている。その横顔が可愛くて、思わず肩を引き寄せ額にキスを落とした。

「こんなの、まだ全然。みんなもっとキレイに作る」

「っ! って、ここ、外──」

 キスされた額を押さえ、拓人は顔を赤くして怒り出すが。

「大丈夫。こんな山道、誰も通らないって」

 と、言った側から傍らを軽トラが通り過ぎていった。完璧に見られていただろう。拓人顔を真っ赤にしてうつ向く。

 ちなみにここを通る車は限られていて。当然、関係者となる確率が高い。案の定。

「あれ? 千尋じゃん。今日休みじゃなかったっけ? てか、隣り。まさか、例の──?」

 軽トラの運転席から顔を覗かせたのは、二十代後半位の青年だ。

 無精髭を生やし良く日に焼けていて、頭にタオルを巻いた姿が板についている。

「今日はこいつに仕事場見せたくて。例の──です。たに先輩」

 すると、おおっ! と、声を上げ。

「後でちゃんと紹介しろよ? じゃ──」

 ウキウキと嬉しそうに笑みを浮かべながら走り去った。本当は、ニヤニヤが正しいのかも知れない。

 千尋は車を見送りながら。

「あの人は谷先輩。前に話した、自分の妹紹介してきた人」

「ああ、あの…」

 拓人はそう言って、複雑な表情になる。終わった話しとは言え、付き合う付き合わないの話しがあったのだ。気にならないはずがない。

 千尋はくいと拓人の左手を握ると、

「俺には拓人しか見えてないし、欲しくないから」

 キチンと目を見て言えば、

「…ん」

 ボボッとまた頬が赤くなる。普段は淡白そうに見えて、こういった言葉にはすぐ赤くなる拓人が可愛くて仕方なかった。

 拓人は不意に顔を上げると。

「で、『例の』って?」


 例の──は。


「俺の付き合ってる奴、連れて行くって言ってあったから」

「…千尋。ホント、オープンだね…」

 拓人は他人知られるのに、まだ抵抗があるらしい。普通はそうなのかも知れないが。

「俺は拓人の事、真剣に思ってる。だから、周りの人間には知っておいてもらいたい。それだけ」

 この先もずっと付き合っていきたいから。

 それに、隠す様な事は何もないのだ。大切な人間とただ一緒にいたいだけ、それだけだった。

 すると何か感じ取ったのか、拓人は千尋の腕を取り頭を寄せると。

「ん。だね…」

 ふわりと笑んでみせた。



 そうこうするうち、山頂近くの工房へ到着する。

 着くと直に沢木がいて、簡単に挨拶と紹介を済ませた。先に遊びに行くとは伝えてあったのだ。

 こう言う時は手土産が必要だと、麓の小ぢんまりとしたパン屋で買った、焼き立てクロワッサンを差し入れる。

 沢木はバターの薫り漂うそれを嬉しそうに受け取りながら、

「ああ、君が例の──。いい子そうだ。千尋、良かったな?」

 沢木はニコニコと人懐こい笑顔を見せ、そう口にした。

「はい」

 後はいつも通り。作業に戻ったが、途中振り返り。

「千尋ー。後でちょっとこっち見てくれるか? 休みなのに悪いな。ちょっとだけ。来客があってさ。はずさなきゃならないんだ。けど、ここだけ今日中に仕上げたいんだよ」

 済まなそうに眉尻を下げる。沢木の前には制作途中の椅子が数脚あった。それは得意先から発注されたもので。確か納入期限が迫っていたはず。他の先輩らもそれぞれの作業で手一杯だ。

「分かりました。──拓人」

 振り返ると、拓人は千尋が何か言う前にウンと頷いて。

「俺は適当にしてるから。あれ、千尋の作ったイス?」

 拓人は隣室に置かれていた椅子を指さした。

 例の画像を送ったイスが、隣の作業場、開きっぱなしの扉の向こうに置かれているのを発見したらしい。

「そうだよ」

「あの椅子、見てるから。行ってよ」

「ん。ゴメンな」

「いいって」

 拓人は笑うと、手を振って見せる。千尋はすまないと思いつつ、急いで沢木の元へ向かった。



 結局、手伝いが終わったのはそれから三時間後。昼過ぎに到着したのだが、既に日が傾き出している。

 明日は午前中、休んでいいと言われた。

「拓人?」

 いつも使う作業場へ向かえば、千尋の作ったウィンザーチェアに拓人が座っていた。

 作業場の半面はガラス戸になっていて、開け放たれたそこからは、庭が──と言っても、生え放題の草花や樹木が広がるだけなのだが──広がって見える。

 その景色を眺めているのかと思ったが。

 返事がないのを不思議に思って、前へ回れば。


 寝てる。


 僅かに首を傾けた拓人が、椅子にすっぽりはまって寝入っていた。

 まるで拓人専用のイスだ。これだけぐっすり眠られると、作った甲斐があったと言うもの。

 傍らにしゃがんで覗き込んでも、起きる気配がなかった。

 

 暫く寝かしとくか。


 気持ち良さげに眠る拓人を起こすのは躊躇われる。その足元に座り込むと、手近にあった家具雑誌を手に暫く待つ事にした。


 拓人が目覚めたのは、それから三十分程経った頃。

「…? 千尋…?」

「はよ。拓人」

 千尋は雑誌を閉じて、その足元から拓人を見上げる。

「……俺、結構寝てたね…。ゴメン」

 拓人は椅子から身体を起こすと、軽く頭を振ってこちらに目を向けてきた。千尋は拓人の膝に腕と顎を乗せると。

「拓人の寝顔、見られたからいい」

 そう言って、にっこり笑んでみせれば、拓人は照れたのか頬を染めつつ。

「この椅子、凄く心地いいよ。気に入っちゃった。いつか注文したら、作ってくれる?」

 その言葉に千尋はニンマリ笑みを浮かべると。

「それ、拓人の」

 千尋の言葉に、えっ? と、言う表情になった。更に得意げになると。

「拓人、ちょっと降りて」

「うん…?」

 拓人が椅子から降りると、千尋はその椅子をひっくり返し、座面の裏側を見せた。

「本当は誕生日にプレゼント、しようと思ってた」

「あ…」

 座面の裏側には、焼印が押されていた。そこには『拓人』の字が浮き上がっている。

「初めてまともに作れた奴、一番最初に拓人にプレゼントしたかった。作りながらずっと、拓人の事、思ってた…」

「……ありがとう」

 消え入りそうな声でそう言うと、不意に顔を上げ、キョロキョロと周囲を見回し。

「拓人?」

 と、首を傾げた千尋の唇に、えいやとばかり、拓人の唇が押しあてられた。


 お……?


「い、いつも、千尋から──だし。たまには……ね?」 

 顔を真っ赤にして、そう口にする。


 っとうに。どこまで、可愛いのだろうか。


「ね、もう一回。急すぎて、良く分かんなかった」

「ええっ?!」

「拓人…」

 お願いとばかりに迫れば、決心したのか、クッと顔を上げると、千尋の肩に手を置き、再度、口づける。

「……後は、帰ってから」

 肩に手をかけたまま、視線だけ逸らす拓人に、胸を射貫かれ。

「帰ってから。──了解。…けど。ちょっとだけ─…」

 帰る先は千尋のアパートだ。ここの所、会った次の日はいつも泊まって行く。既に拓人の母奏子も兄律も了承済みで。

 今度は千尋から唇にキスのお返しをする。

 触れるだけではない。後ろ髪に指を滑らせ、引き寄せ口づける。もちろん、余り調子に乗らないように気をつけながら。

 そうしないと、いつかのようにセーブ出来なくなってしまうのだ。

 自分でも、ここまで拓人に惹かれるとは思っても見なかった。確かに初めて出会った頃から、気になってはいたけれど。

「ち、ひろっ──ここ、人が──っ」

 訴える声にハッと我に返る。ここは工房だった。危うく調子に乗る所だった。

 それでも名残惜しくて、チュッと軽いキスを繰り返したあと、ようやく拓人を解放する。

 卒業まで待てるのか、正直、自信がなかった。

「…ゴメン。たまに忘れちゃうんだ」

 頬に手を添わせ、額が引っ付きそうなほどの距離で拓人を見つめれば。

「別に…。嫌じゃないから…。平気。ちょっと恥ずかしい…だけ」

 視線は逸らされたまま。でも──。

 

 カワイイ。


「良かった」

 このまま、抱きしめて、ずっと腕の中に閉じ込めて置きたい。


 あと、ちょっとの辛抱だ。


「千尋…」

「なに?」

「卒業まで、あと、ちょっとだから…。俺も、我慢する」

「──」

 千尋の気持ちを代弁するかのように。


 俺と、気持ちは一緒だ。


「帰ろ」

 そう口にした拓人の頬はほんのり赤い。千尋は拓人の右手をギュッと掴むと。

「帰ろう」

 谷先輩含め、仕事仲間への紹介はまた今度で。時間は幾らでもある。


 この先も、ずっと二人で歩いて行くから。


 繋いだ手をそのままに、オーナーの沢木に挨拶をして、紹介しろよー! と叫ぶ、谷先輩にまた後日、と答えて。工房を後にした。

 

「いいの? 先輩」

「いいの、いいの。──早く帰ろ」

 

 大好きな人と手を繋いで。

 どんな荒波が来ても、二人ならきっと乗り越えて行ける。


 外に出れば、丁度夕日が遠くに広がる海へ沈んで行く所だった。


「拓人。ずっと一緒。約束」

 そう言って、いつかのように、小指を差し出せば。拓人はその小指に自分の指をしっかり絡めて。

「うん!」

 顔をくしゃくしゃにして、笑って見せた。



ー了ー

 

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その先の景色を僕は知らない マン太 @manta8848

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