慟哭それにまつわる症例

粟生屋

8月1日

 19:40

 僕は校庭のグラウンドを走っている。

走っているといってもスポーツでの走るとは違い。動きもめちゃくちゃで、ただ地面をがむしゃらに脚を蹴り上げて進んでいるだけだ。

これならすぐバテるだろうけど、今は気にしない。むしろそれが目的だ。

 

とりあえず記録をつけることにした。極めて個人的な記録で誰にも見せることもないものだ。


記録する媒体は、僕の網膜に取り付けた最新のネットワークデバイスが、手短かでいいと思うが、現在、僕は全部の権限をアクセス権限をセラピー用のAIと母さんに委ねているから意味がない。

それなら古典的で、こういう時によく使われていた紙がいいのかもしれないけど、古すぎて悪目立ちするし、高校の寮のプライバシーを考えると、誰かに見られる可能性が高い。

 

 だから、紙よりももっと古典的で、機能性がインターネットデバイスよりは劣るが、日常的に常に使えて、何よりも秘密性が高い物に決めた。要は、僕に既に生まれたときからある脳による記憶形態を使うことにした。

自分でも馬鹿げたやり方だと思うけど、僕の秘密守るためにはこの方法しかない。


記録をつけるには、2つルールを定めることにする。

ルール1 なるべく客観的に書くこと。

ルール2 自分には嘘をつかないこと。

何故こんな事態になっているのか、考えをまとめるためこれまでの経緯を振り返る。

  



発端は、今日の朝6:30に、母さん新しいセラピーの利用規約を送ってきたことだ。

セラピーを変えるのは今年に入って4回目だ。母さんがここまで頻繁に変える理由は僕にある。

 

思春期をすぎているにも関わらず、何故か僕は今まで、他人に対して人類が本能的に伴う生殖アプローチつまり恋愛感情を抱かなかった。

 

保存した卵子の中で最も一番優秀なものと、何百、何千万という大金をかけて競り上げた精子の結合体であり将来を確実に約束されたはずの息子が、無性愛者ではないかと。

母さんは、それが今後ある大学のスポーツ推薦に響くことを恐れている。

 

なぜなら、大学は、個々の性的指向に合うパートナーを見つけるように配慮した環境へと学生を分類するが、そもそもパートナーを見つけない無性愛者は分類が難しい。そのため、大きく公表されていないが、無性愛者の入学枠はほとんどないらしい。推薦なら尚更だ。

 

今回のセラピーによると、僕が無性愛者である可能性は極めて低いもの、何かしらの要因で、他者に対して感じる性的衝動を感知することが鈍いらしい。  

今までと同じように、母さんを安心させるような当たり障りのないものであったが、他のセラピーと違い。診療所に通って、円になって自分の欠点を告発して拍手されたり抱きしめられることもなかったし、性的衝動を感じるために映像を見たりする必要もなかった。 

 

今回は専門のAIを、僕の使うデバイスにインストールするだけでよかったのだ。AIは、僕のデバイスから、視覚情報をリアルタイムでアクセスして、僕の心拍数の上昇、瞳孔の拡大、アドレナリンの血中濃度を僕が身につけたデバイスから知り、目の前にいる対象者に、性的衝動を感じているかを判断して教えてくれる。

そしてそれが今後の性的指向の決定に反映される。

つまり要は、僕が偶然見た広告に水着の女の子が目に入り、数秒間凝視して、その間に無意識に心拍数が上がったら、僕はその子を性的に見ていることになる。僕がどう思ってもあれ


情愛と性愛の違いは何かーそう言った問いにはセラピーで何度も問いかけられてきた。多くのセラピーでは僕が情愛との性愛の違いを分けようと必死だった。


でも僕は違うと思う。それらは曖昧で金剛石のように思い込みで変化するものだ。だから情愛を、性愛へと変化させればいい。

 

とりあえず、今日はいつも通り部活があるし、短かな水泳部の仲間に実践することに決めた。その方が僕にとって納得できると考えたからだ。

 

7:30

 水泳部のプールへと向かう。水泳は幼い時から行ってきたスポーツだ。なぜなら、ここの水泳部のメンバーと同じように、遺伝的に水泳選手としての適正があると判断されているためだ。

 

プールサイドからは、筋骨隆々な肉体の男子部員が今まさにプールから上がろうとしており、そこにまる美を帯びた女子マネージャーがタオルをわたそうとしている。心音を意識しながら、しばらく目視してみる。両者とも性的魅力が十分あるはずなのに、心臓もAIも変化することがない。

 

12:30

 休み時間に、僕に部員が話しかけてきた。

「やあ、順調かい?」

彼女の名は、小野君香。同じ部員であり、僕と度々、言葉を交わす仲だ。

僕は彼女の方に向きこっそりと観察する。彼女は端正な顔立ちで、その容姿は男子部員からも女子部員からも評判だ。

 

そんな彼女だし僕は彼女の理性的な輝きを持つ大きな瞳が好きだった。だからかなり期待していたが、残念ながら何も反応しない。


「そういえば、今日はkp-9600が来るそうだよ。」

彼女がそう言い終わらないうちに、それは現れた。

 

kpー9600とは、この水泳部で唯一の臨時の部員で、日本公認のサイボーグの水泳選手であり、ここにいる誰よりも将来を期待されている。次回に開催されるオリンピックは、新しくサイボーグの選手枠ができ、卒業生のオリンピック輩出率をできるだけ増やしたい学校が入部させた。

 

そもそもkpー9600という名称は、サイボーグそのもの機械番号であり、彼の学校での登録名は、ミヤタショウと言うらしいが、誰もその名前で呼ばない。

大きな理由は見た目だ、彼は水泳選手として理想の姿を手に入れたようだが、それは余りにも人から遠い。全身は軽くて水圧に耐えうるような科学技術を集結させた特殊加工のプラスチックで覆われているが、その姿は黒いマネキンのように無機質だ。

彼の顔もまた無機質そのもので、顔の上部にある切長の液晶が度々青く光り、それが目の役割を果たしているかと、かろうじて見れるぐらいだ。彼がプールサイドに向かい、足場から今ここにいる部員よりも洗練されたフォームで水面へと消えるのを僕たちは見る。


「この感情が不合理なのかは理解しているんだけど、どうしても理不尽に感じてしまうんだよ」

 

彼女の言葉に僕は聞こえないふりした。

彼女のいうことは、僕を含めてここにいる全員が多かれ少なかれ思っていることだ。

いくら遺伝子でカスタマイズされた僕らでも、技術を習得するためには幼少期から長い間鍛錬を重ねた。完璧な肉体を既に持ち超人的な能力を出せるサイボーグと、僕たち生身の人間はそもそも訳が違う。

 

今は誰もが、動きを止めてkpー9600を泳ぐ姿を静かに見つめている。

 

 19:30

最終的に部員全員で確かめたが、反応はない。他の部員は既に帰っていて僕1人だけだ。

 

更衣室で衣服を着て帰ろうとした時、偶然近くの空き部屋からkp−9600後ろ姿を向け椅子に座っているのが見えた。そいつは虚空を見上げ全く動こうとしない。まさか故障かと思い、正面を見やるが、奴の視覚モジュールは光って居る。ではなぜ微動だにしないのか、その理由は奴の胸元にあった。

その部分は唯一防御プラスチックが外され、彼の体内が外気に晒されている。そしてチューブのようなものが、立方体の彼の目の前においてある機械に直結している。


チューブの先を目で追う。


体内はアンドロイドと変わらず、色々な装置が組み込まれていたが、唯一不自然なものがあった。それは透明なポリエチレンの袋状の物に包まれ赤黒く粘液を纏ったそれは機械にしては不規則に動いている。

 

初めて見るこれが何なのか、何故か僕は本能的に知っていた。

これは心臓だ。kpー9600が合法サイボーグであるための臓器所有率の何%。そして、僕が知ることができるミヤタショウそのもの生身だ。それで全てがわかった。

 

彼に繋がっている機械は、彼の存在意義である心臓を生かすために、余分に作られた生命維持装置なのだ。 


考えるな。


戻れなくなるぞ。


そう僕の理性的な側面は必死に語りかけて居るのに、何故かもっと見たいという思いが強く目が離せない。

彼の心臓との距離が近まり、体温なんかないはずなのに、顔が妙に暑い。

彼がどうして人気がないところでこんなことをしているのか?

答えはすぐにわかった。完璧で隙のない彼が唯一無防備になってしまう瞬間なのだ。もし僕が悪意を持って彼のこの開口口に無理矢理手を入れ、その心臓を握ろうとしたらどうなるだろうか? 

きっと彼は命の危機が目前にあるのに、指一つ動かして抵抗できず、僕に身を委ねるしかない。そんな考えは、全身へと高揚感を持ってかけ巡る。

 

その時だった。


けたたましい電子音と共に、僕の視界には、あなたは現在性的衝動を感じていますという文字が浮かび上がった。僕は一目散に離れ、全力で駆け出した。



とういうのが、これまでの経緯だ。改めて見るとんでもない事態が起こった。ルール1に即し、客観的な事実によると、僕は奴に性的衝動を抱いていることになる。


19:50

相変わらず僕は走っている。

がむしゃらに。心臓は恐ろしい勢いで跳ね上がっているし、不規則な呼吸で喉の奥が痛くて、咳き込みそうになり視界が涙で緩む。

今回も母さんに悪いが、セラピーは上手く行かなかったことにしよう。今走っていて、心拍数の上昇はそのせいなのに、それを何故かAIは僕が性的に興奮していると思っている。そう誤魔化そう。

 

あれが本当なら、僕はどこで興奮したんだ? kpー9600そのものにか? それとも彼の心臓にか? どっちにせよ事態は今より厄介だ、大学に行けないどころじゃない。絶対に阻止しないと。

 

でも今の僕には、例えるなら、自分の中に気づかないほど溜まっている何かが、確実に溢れようとしている。そいつを知らないふりをしようと速度を上げて気を紛らそうとしてるけど、跳ね上がる自身の慟哭を感じるたびに、、ぼやけた視界には、ポリエチレンに包まれたあの心臓が濃く浮かび上がってくる。


ルール2、正直に言うと僕は、もう既に手遅れかもしれない。

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