モヤモヤした日はひき肉たっぷりコロッケを

杏たま

モヤモヤした日はコロッケを


「……買い物って、ここ?」

「え? そうだけど」


 俺は立ち止まり、信じられないといった顔で俺の頭上を見上げている彼女を振り返った。


 昨日、俺は人生で初めて愛の告白をされた。

 相手はクラスメイトの女の子だ。


 クラスの男ども曰く、「顔ちっちゃいし細いのに胸おっきくてすげぇエロい」。そんな彼女に告られるなんて最高じゃん、これだからイケメンは——……とさんざん小突き回された。


 大した会話はしたことはなかったはずだが、「あたし朝斗くんのこと好き、付き合おっか」と小首を傾げながら上目遣いに告白され、別に嫌でもないからまあいいかと思ってOKした。

 俺のことを好ましく思ってくれたということは嬉しいし、これからお互いのことを知っていけばいいんだろうなあ——という軽い気持ちで。


 さっそくのように送られてきたLINEに「明日の土曜何してる?」とあったから、「買い物かな」と返事をした。

 すると彼女は「いいじゃん、あたしもいく!」と何故だか乗り気で、一緒に買い物に行くことになった。


 だけど、いざ俺が目的としている店を目の前にして、彼女はげんなりした顔をしている。

 そして、生ぬるい目でこっちを見上げるのだ。


「買い物っていうから、服とか見に行くんだろうなーって思ってたのに」

「え、そうなの? 俺、土曜の午前中はここで一週間分の買い出し済ませるって決めてるんだ」

「一週間分の、買い出し…………」


『品揃えNo. 1! スーパー長命堂』——俺たちの目の前にあるのは、ポップなフォントででかでかと店名が書かれた真っ赤な看板。

 井戸端会議に花を咲かせるおばちゃんや、フラフラしながら自転車に乗るおじいさん、またはベビーカーを押す家族連れが行き来する賑やかな商店街の中にあるスーパーだ。


 ただ、今風のファッションでバッチリ決めた彼女は、この商店街にはあまりにも不似合いで浮いている。


 肩からかけるツヤツヤした小さなバッグも、ミニスカートも、そして心底不機嫌そうな表情も、なにもかもが浮いている。

 ピンク色のぷっくり艶やかな唇で、彼女は刺々しく俺にこう尋ねてきた。


「朝斗くんて、若葉町のタワマンに住んでるんじゃなかったっけ?」

「住んでるよ」

「どうしてこんなわざわざこんなさびれた商店街で買い物すんの」

「どうしてってそりゃ、安くて品揃えがいいからだけど。てか寂れてはなくない?」


 質問の意味がわからなくて困惑したが、俺は律儀にそう答えた。

 すると彼女はぷっくりした唇をへの字に曲げて、腕組みをしてふんぞり返った。


「ふーん。で、ここで何買うわけ?」

「何って色々。今日は肉の特売があるから肉コーナーはひと通り見ないとだし、普通に野菜とかパンとか……あと牛乳もなかったな。それに叔父さんのコーヒーとか、弁当用の冷凍おかずとか——」

「……は? あたしに手料理振る舞いたいとかそういうんじゃなくて?」

「うん、違うけど。腹減ってんの?」

「……………。もういい」


 ドスの効いた低い声で、彼女が俺の言葉を遮った。

 そして生ぬるいを通り越して冷ややかな目つきでしたから俺を睨め上げる。


「なんかがっかり。デートにスーパーの特売選ぶ男とかマジでない」

「え、デート? これ、デートだったわけ?」

「普通そうでしょ! 彼女と遊びにいくのはデートでしょ!?」

「遊びに……? いや、俺は予定聞かれたから買い物って言っただけだし、ついていくって言ったのはそっちじゃん」

「はぁ!? 何よその言い方!?」


 彼女がブチギレてしまった。学校ではきゃぴっと笑う顔しか見かけたことがなかったが、こんなにも怖い顔もできるのかと驚いてしまう。


「もー無理。ダサすぎ。もー別れよ」

「……うん、まあいいけど」


 ぷいっとそっぽを向きざま別れを告げてくる彼女に淡々とそう返すと、彼女は大きな目をさらに大きく見開いて俺を見た。怒っているを通り越して呆れているって顔だ。


「最っ低」


 彼女は最後にそう吐き捨てて、ズンズンと商店街を大股で去っていった。


 ……恋愛ってなんだろう。



     ◇



 ぱんぱんに膨らんだエコバッグをキッチンに置き、俺はため息をついた。

 荷物が重かったからじゃない。……帰り道を歩くうち、モヤモヤが大きく膨らんでしまったせいだ。


「ダサいのか……俺」


 確かに俺は叔父さんの持ち家であるタワーマンションに住んでいる。それをクラスメイトに「すげーっ!」と、羨ましがられることがあったけど、俺はただ住まわせてもらっているだけだから何もすごくはない。すごいのは叔父さんだ。


 エンジニアをやっている叔父さんがどのくらいできる男なのかはわからない。けど、もらっている給料の額は確かにすごい。

 それでもいまだに家事のほうはさっぱりなので、そこは俺が担当している。


 俺は家事一般が嫌いじゃない——いや、たぶん好きなほうだと思う。掃除をすれば部屋が綺麗になって気持ちがいいし、清々しい達成感がある。

 料理を作れば、「美味い!」といって嬉しそうに食べてくれる人がいる。それもまた、ものすごく満足感がある。


 毎日の生活を淡々と正しく整えていくことが心地良く、高校生になる頃には、俺はこの家の一切の家事を取り仕切るようになっていたのだが……。


 ——それってダサいことなのかな……まあ確かに、所帯染みてるっちゃ所帯染みてるかもだけど……。


 ここへ越してきたのは十歳の頃だった。

 その頃のこの部屋は、生活感のかけらもない、ただっぴろいだけで雑然とした部屋だった。


 その光景を目の当たりにして身が竦んだ。

 叔父さんは、俺を捨てて出ていった母親と同じだと感じたからだ。


 昔住んでいた家はここよりずっと狭かったけれど、どこもかしこも物で溢れていて、生活のぬくもりなどいっさい感じられない空間だった。

 ゴミの中に住んでいるくせに、母親は毎夜のように綺麗に着飾って男のところへ出掛けていく。あの人にとって、俺もまたゴミのひとつだったのだろう。


 叔父さんは俺の母親の弟だけど、ぜんぜん違う人間だった。


 叔父さんは俺に優しくしてくれた。厄介者の俺のことを、少しずつでも理解しようとしてくれた。 


 叔父さんのおかげで食べることに苦労しなくなり、俺の背はぐんぐん伸びた。


 はじめはぎこちなかったふたり暮らしだったけど、あてがわれた部屋には少しずつ俺の持ち物が増えて、叔父さんは不器用なりに家をきちんと片付けようとしてくれた。


 俺の母親とは、ぜんぜん違う人間だった。


「朝斗、ただいま」

「あ、叔父さんおかえり」

「ごめんな、今日車出せなくて。荷物重かったろ」

「いいよ。俺もう高二だよ? これくらいの荷物全然持てるって」


 本当なら、毎週土曜は叔父さんと買い出しにいくのが日課だ。突然入った休日出勤で、今日はたまたま一緒じゃなかった。


 細身の黒いジャケットに、織り柄の入った白いニットというこざっぱりした格好の叔父さんが、キッチンにいる俺の頭をわしわし撫でにやってきた。これも日課だ。


 叔父さんは三十四歳で、「もうすぐアラフォーになっちゃうなあ……」としばしばぼやいているけれど、初めて会ったときよりもむしろ今のほうが若く見える。


 普通の人より色素の薄い茶色い髪は少し長めで、前髪はセンターパート。たまにPC用の太い黒縁眼鏡をかける。

 高校生の俺から見ても叔父さんはおしゃれだし、かっこいい大人の部類に入ると思う。アラフォーになっても、アラフィフになっても、きっと叔父さんはかっこいいままだろう。


 叔父さんは俺の手元を覗き込み、「おっ、今日はコロッケ? やったね」と無邪気に歓声を上げた。


「朝斗の作るコロッケ、肉多めで丸っこくてガッツリしてて、美味いんだよな」

「ありがと。ねぇ、丸めるの手伝ってよ」

「了解、着替えてくる」


 褒められると照れくさくて、ぶっきらぼうな口調になってしまう。だけど叔父さんは俺のそういう態度に目くじらを立てることもなく、柔らかい笑みを残して自室に引っ込んだ。


 俺はコロッケをつくるとき、合い挽き肉をたっぷり入れる。

 砂糖と醤油で甘辛く炒めた挽肉を、レンチンしてマッシュしたじゃがいもと混ぜ、ざっくりしたパン粉で香ばしく揚げる。


 じゃがいも多めのコロッケも、優しい甘みとホクホク感が好きだけど、たまにこういうガッツリした肉っぽいコロッケが食べたくなる。


 ザクっとした衣の食感と、ホクホクの芋の中で主張する甘辛い肉の食感がよく合って、ご飯よりもキャベツが進む。

 叔父さんは「ビールが合う」といってたくさん飲む。まだ飲めないからどんなふうに合うのかよくわからないけど、俺も二十歳になったらわかるようになるのだろうか。


「……で、なんかあったのか?」

「えっ?」


 山盛りのキャベツの千切りと大量に揚げたコロッケの向こう側から、叔父さんがそう尋ねてきた。


 このダイニングテーブルは、俺がここにきてからわりとすぐ買われたものだ。当時は、こんなに大きなテーブルを買ったところで、たいしたご飯も作れないのだから侘しいだけでは——と思っていたけれど、今はうまそうな食事をたっぷり天板に載せられて、テーブルもご満悦の表情を浮かべているように見える。


 ……さておき、どうしてわかったのだろう。昼間のモヤモヤをまだ引きずっていたのだろうか。


「ど、どうしてそう思うんだよ」

「朝斗って、何か気を紛らわせたいときに手間のかかるコロッケつくるだろ。違う?」

「あー……それは、まぁ、当たり」

「久しぶりのコロッケだし、なんだか表情も冴えないしさ、何かあったのかなーと」


 さすが、七年顔を突き合わせて食卓を囲んでいるだけのことはある。

 俺は自分の皿にこんもりとキャベツを盛り、ごろんと丸く膨らんだコロッケをふたつ取って、そのひとつにがぶりと食らいついた。挽肉にしっかり味付けをしているから、ソースをつけなくても物足りなさはない。


 ざくっと小気味いい音がする。やっぱり揚げたてのコロッケはめちゃくちゃ美味い。


 ちょっと大きめに齧りすぎたコロッケをしばらくはふはふと口の中で持て余したあと、しっかりと噛み締めてゆく。すると香ばしさとともに、じゃがいもと肉の甘さが口の中いっぱいに広がった。


「……昨日さ、クラスの女子に告られて、付き合うことになって」

「え!!?? ほ、ほんとに!? なんだそれ、そういうことはすぐ報告して——」

「で、今日、ダサいっていってフラれた」

「え?」


 急転直下の物語に叔父さんがついてきていない。目が点になっている。

 その顔が面白くて、俺はつい噴き出した。


「何その顔」

「い、いや……フラれた? しかも、ダサい? 朝斗が? こんなにシュッとしたイケメンに育ったお前が?」

「まぁ……うん。なんかガッカリされたらしい」


 俺はかいつまんで今日のできごとを叔父さんに語って聞かせた。……すると、叔父さんはビールの入ったグラス片手に頭を抱えた。


「……いや待って、それ俺のせいだ。朝斗に家事を押しつけてるせいで、お前はその子にフラれたんだ……」

「いやー違うでしょ。別に俺、叔父さんのためだけに家事してるわけじゃないし。なんなら普通に好きだし、趣味みたいなもん?」

「買い出しから平日の作り置きおかずまで完璧にこなすもんな……でも、そうせざるを得ない環境を作ったのは俺だ。俺がもっとちゃんとしてたら、朝斗だって今頃部活に励んでその後友達とカラオケ行って彼女つくって青春を謳歌してただろうに……」

「いや、普通に水泳部入ってるし。ゆるい部だから土日オフなだけじゃん。それに俺……」


 恋愛ってよくわからない。

 今回はたまたま、学校じゅうで可愛いと名高いあ女子だったから興味が湧いただけ。男どもが羨むような相手だったからなんとなくOKした——……たいがい理由がクズい。フラれるのは当たり前だ。


「可愛かったし、俺のこと好きだっていうから、一緒にいるうちに俺も好きになれるかなと思ってたけど……恋愛ってそういうもんじゃないんだね」

「うーん……まぁ、それくらいの年の女の子は、男に夢と理想を抱きがちだからなあ。朝斗は顔がいいから、なんかすっごくオシャレでカッコいいプライベートを送ってるって思われたんだろ」

「オシャレ、ねぇ」

「だけど、彼女の理想と違ったわけか」


 ぐび、と叔父さんがビールを飲み干す。俺は自分の皿に残っていたコロッケをざくざくと平らげる。


 ……そういえば、叔父さんに恋人はいるのだろうか。


 思えば、こういう話をするのは初めてだ。叔父さんは大人だし、かっこいいし優しいし、会社で絶対モテてると思うのだが……。


「あ、あの……さ。叔父さんは、そういう話、ないの?」

「え? なに、恋バナ的なもん?」

「そう。……あの、俺がいるから遠慮して、彼女さんいても連れてこれないとか、そういうのあんのかなぁって……」


 尋ねてみて、妙に胸がざわついた。この手の話は初めてだし緊張する。叔父さんがどういう反応をするのか未知数すぎる。


 ——それに、もしこのタイミングで恋人がいるって言われたら気まずいな……。そもそもここは叔父さんちだし、俺なんて完全に邪魔者じゃん……。


「そうなんだよ、結婚しようと思ってる人がいるんだ。朝斗、高校卒業したら出てってくれよな」なんて言われたらどうしよう。


 ここでの暮らしが居心地良すぎて、叔父さんとの何気ない毎日が楽しすぎて、すっかり忘れていたけれど、俺はただの居候だ。叔父さんの子どもではないのだから、無遠慮にこの家に居続けることなんてできない。


 箸を持つ手が微かに震える。叔父さんはどうして何も言わないんだろう——……嫌な汗が背中を伝ったそのとき、叔父さんはため息をこぼした。


「朝斗に、わかってもらえるかわかんないんだけど……俺、たぶんそういうの一生無縁だと思うから」

「……え? な、なんで?」

「恋愛感情ってもんが湧いてこないみたいなんだよな、俺。若い頃からずっと」

「そうなの? ……よくわかんないけど、人を好きになれないってこと?」

「んー。仕事仲間も友人たちも、朝斗のことももちろん好きだよ。友情とか家族愛とか、そういうのは感じる。朝斗のことはすごく大事だし」

「あ……そ、そう……」


 何やら小っ恥ずかしいことをさらっと言われて、顔が引き攣りそうになった。

 もちろん嬉しい。嬉しいのだが、面と向かって言われると反応に困る。


「だから一生ここでひとりだろうなって思ってたんだ。でも今は朝斗と一緒に暮らして、毎日なんだか穏やかで、こういうのすごくいいなと思うんだ。しみじみ、幸せだなと感謝してるわけだよ」

「ふ、ふうん……そういうもん?」

「そう。だからまぁ、恋愛相談されてもうまいアドバイスはできないけど……まぁ、酒のつまみ程度に聞いてはやれるよ」

「……なんだよそれ。酒の肴にされてもな」

「ははっ、そうだよな」


 あえて顔を顰めてみるも、俺は内心ものすごく安堵していた。


 ——そうか、叔父さんはずっとここで暮らすんだ。俺と一緒に……。


 なんだか急に食欲が湧いてきて、バットからもうふたつコロッケを皿に取る。そして叔父さんの皿にももうふたつ。

 叔父さんは「おいおい、もう食えないよ。中年太りしたらどうするんだ」と口では文句を言いつつも、ひょいと席を立って冷蔵庫から新しいビールを持ってきた。


「俺が健康管理してあげるから大丈夫だよ。ほら、いっぱい食べて」

「そう? ま、美味いから食べちゃうんだけどさ」


 叔父さんが上機嫌でビールを飲み、俺の作ったものを美味そうに食べてくれる。


 俺も酒が飲めるようになったら、きっと叔父さんと缶をぶつけて、くだらないことで大笑いしながらここで酒を酌み交わすようになるのだろう。今ほど、その日が来ることを待ち遠しいと思ったことはなかった。


 約束された未来がここにある。

 今日のコロッケは、格別にうまいと感じた。





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