骨と遺伝子と皮膚 —遺伝子記憶が明かす人類の起源—

ソコニ

第1話 記憶の螺旋

第一章:記憶の螺旋


冷たい実験台に横たわる検体から、青白い光が漏れていた。エイミー・チェンは、深く息を吸い込んだ。遺伝子記憶解析、それは彼女の日常だった。しかし今日の検体には、どこか不穏な気配が漂っていた。


「解析開始します」


声に出すことで、自分を奮い立たせる。研究所の無機質な白い壁が、彼女の声を吸い込んでいった。


エイミーは右手を検体に近づけた。表皮に触れた瞬間、いつもの感覚が全身を走る。これが彼女の特殊能力、キマイラとしての才能だった。通常の研究者なら高度な解析装置を必要とする遺伝子記憶の読み取りを、彼女は直接的に行うことができる。


重力族の母と宇宙族の父から生まれた彼女は、両方の特質を受け継いでいた。強化された骨格と、宇宙空間への適応力。そして、予期せぬ能力として、この遺伝子記憶との共鳴が備わっていた。


記憶が流れ込んでくる。断片的な映像と感情が、彼女の意識を満たしていく。


「通常の細胞分裂パターン...記憶の固定化プロセスも正常...」


しかし次の瞬間、予期せぬ波動が彼女を襲った。


「これは...!」


見知らぬ記憶が意識に流れ込む。しかしその感触は、どこか懐かしい。


*「エイミー、約束よ。どんなことがあっても、記憶を守るのよ」*


母の声だった。


エイミーは慌てて手を引っ込めた。冷や汗が背中を伝う。15年前、種族間抗争の最中に失踪した母の記憶が、なぜここにあるのか。


「Dr.チェン、大丈夫ですか?」


助手のマーカスが心配そうに声をかけてきた。彼は純粋な重力族で、エイミーの上司でもある。


「ええ、大丈夫...ただ、少し予想外の干渉があっただけ」


エイミーは平静を装った。しかし心の中は混乱していた。母の記憶。それは偶然なのか、それとも...。


考えを整理する暇もなく、研究所内に緊急アラームが鳴り響いた。




「緊急コード77!B研究室からの報告です!」


研究所内を響き渡る機械的な声に、エイミーは身を固くした。コード77—遺伝子記憶の改ざんを示す緊急コードだ。


「マーカス、私も行きます」


返事を待たずにエイミーは走り出していた。B研究室に向かう廊下で、彼女は幾つかの記憶の断片と格闘していた。母の声、そして先ほどの検体。それらは何かを示唆しているはずだ。


B研究室のドアが開くと、そこには倒れた研究者の姿があった。ケイト・ストーン、重力族の遺伝子専門家だ。


「バイタルは安定しています」


救急対応をしていた医療チームのひとりが報告した。しかしエイミーの目は、ケイトの横に広がる青白い光に釘付けになっていた。遺伝子記憶の流出を示す反応だ。


「Dr.チェン」マーカスが低い声で言った。「記憶の読み取りを、あなたにお願いできますか?」


エイミーは無言で頷いた。これは彼女にしかできない仕事だった。キマイラの特殊能力が、緊急時には重宝される皮肉。


彼女はケイトの手首に触れた。すぐに記憶が流れ込んでくる。


*研究データの確認...何かがおかしい...記憶配列が...待って、これは...*


突然、激しい痛みが走った。エイミーは思わず手を離す。


「記憶が...改ざんされています。しかも、かなり巧妙な方法で」


エイミーは眉を寄せた。これは普通の記憶改ざんではない。まるで...


「まるで、重力族特有の遺伝子構造を熟知した者の仕業ね」


振り返ると、研究所長のサラ・ワンが立っていた。宇宙族の特徴的な長身と、透明感のある肌を持つ女性だ。


「Dr.チェン、詳しい解析をお願いできますか?」


エイミーは再びケイトの手首に触れた。より深く、より慎重に記憶を探る。そこには複雑に絡み合った記憶の痕跡があった。そして...


「これは...」


エイミーの瞳が見たものは、15年前の光景だった。種族間抗争の真っ只中、重力族の研究施設で起きた爆発事件。そして、そこにいた母の姿。


記憶は唐突に途切れた。しかし確かなのは、これが単なる偶然ではないということ。先ほどの検体、母の記憶、そして今回の事件。全ては何かに繋がっているはずだ。


「Dr.ワン、私がこの件の調査を担当させていただけませんか?」


サラは僅かに目を細めた。「あなたがキマイラだからこそ、見えることもあるでしょうね」


エイミーは内心で苦笑した。彼女の立場は、時として武器にも、足かせにもなる。しかし今回は、それを活かす時かもしれない。


研究所の警報は鳴り止んでいたが、エイミーの心の中では、新たな警報が鳴り始めていた。


深夜の研究所。エイミーは実験データを見つめながら、母の記憶を反芻していた。


「約束よ。記憶を守るのよ」—母の言葉には、どこか切迫した響きがあった。


ホログラム画面に、15年前の新聞記事が浮かび上がる。「重力族研究施設で爆発事故―種族間の緊張高まる」。その横には、母の最後の写真が。写真の中の母は、何かを訴えかけるような表情をしていた。


「やはり、偶然じゃないわ」


エイミーは立ち上がり、保管室に向かった。両親の時代の記録が眠る場所だ。キマイラである彼女には特別なアクセス権限が与えられていた—両方の種族の記録を閲覧できる稀有な存在として。


「探してたの、これかしら」


古い研究記録の中に、一枚のデータカードを見つけた。「プロジェクト・メモリア」。重力族と宇宙族の共同研究プロジェクトの記録だ。


カードを読み取り機に挿入する。すると、意外な映像が現れた。


若き日の母が、宇宙族の科学者たちと議論を交わしている。その中には、現在の研究所長サラ・ワンの姿もあった。彼らは何かの実験データを見ながら、激しく言い合っている。


「これは...記憶の永続的保存に関する研究?」


エイミーの背後で、物音がした。


「よく見つけましたね、Dr.チェン」


振り返ると、そこにはマーカスが立っていた。その表情には、普段の穏やかさが欠けていた。


「あなたも、これに関わっているの?」


「私たちは皆、過去の記憶に囚われているんです」マーカスの声は低く重かった。「あなたのお母さんは、それを変えようとした」


「どういう意味...」


言葉が途切れた瞬間、エイミーの意識に見知らぬ記憶が流れ込んできた。研究所全体が、まるで巨大な記憶装置のように共鳴を始めている。


「これは...」


エイミーの特殊能力が、予期せぬ形で覚醒しようとしていた。記憶と記憶が繋がり、15年前の真実が姿を現し始める。


「気をつけて、Dr.チェン」マーカスが警告するように言った。「記憶の深みに溺れると、帰ってこれなくなります」


その言葉が終わらないうちに、研究所全体が青白い光に包まれ始めた。


「施設全体が共鳴を始めています!」緊急アラームと共に、サラ・ワンの声が施設内に響き渡った。


エイミーの意識が渦を巻く。無数の記憶が彼女の中に流れ込んでくる。重力族の、宇宙族の、そして...


「これは!」


そこには第三の記憶が存在した。どちらの種族のものでもない、しかし確かに存在する記憶の痕跡。


「やはり、お母様の研究は正しかったのですね」


声の主は研究所の影から姿を現した。ケイト・ストーン。彼女は既に意識を取り戻していた。


「あなたが...記憶改ざんの...」


「改ざんではありません」ケイトが静かに言った。「私たちは、封印された記憶を解放しようとしていたのです」


マーカスが前に出る。「プロジェクト・メモリアの本当の目的は、種族の壁を越えた共通の記憶を見つけ出すこと。あなたのお母さんは、それを証明しようとしていた」


エイミーの視界が揺れる。周囲の光が増し、記憶の波が彼らを包み込んでいく。


「でも、どうして...」


「すべての種族には、共通の起源がある」サラ・ワンが近づいてきた。「その証拠が、あなたの中にあるのよ、エイミー」


その時、エイミーの体が反応した。キマイラとしての彼女の存在が、記憶の共鳴を増幅させていく。


「お母さんの声が...聞こえる...」


*「エイミー、あなたは架け橋なのよ。種族を超えた未来への...」*


母の記憶が鮮明に蘇る。15年前、彼女は発見してしまった。全ての種族に共通する古代の記憶を。そしてそれを守るため、姿を消さなければならなかった。


「私たちは、お母様の研究を完成させようとしていたのです」ケイトが説明を続ける。「でも、まだ多くの人々は真実を受け入れる準備ができていない。だから...」


「だから、私を試していたのね」エイミーは理解した。「キマイラである私なら、この真実に耐えられるかどうか...」


施設内の光が最高潮に達する。そして、エイミーの意識の中で、すべての記憶が一つに溶け合っていった。


その瞬間、彼女は見た。


人類が宇宙に飛び立つ遥か以前、まだ地球で一つの種族だった頃の記憶を。環境への適応と進化が人類を分岐させ、やがてそれぞれが独自の文化と誇りを築いていった過程を。そして、その根底にある共通の記憶を。


光が徐々に収束していく。エイミーの意識が現実に戻る。


「これが、母の見つけた真実」


サラが静かに頷いた。「でも、15年前はまだ早すぎた。この真実を受け入れる準備が、誰にもできていなかった」


「だから母は、私を残して消えたの?」


「あなたの中に、可能性を見たのよ」マーカスが言った。「キマイラである、あなたこそが証明になると」


エイミーは自分の手のひらを見つめた。重力族の丈夫な骨格と、宇宙族の繊細な皮膚。相反するはずの特徴が、彼女の中で調和している。


「記憶改ざん事件の調査は、これで終わりにします」サラが公式な口調で告げた。「ただし、プロジェクト・メモリアは...」


「継続させてください」エイミーが言葉を継いだ。「今度は私が、母の研究を引き継ぎます」


ケイトが微笑む。「私たちも協力させてもらいます。今度は、正式なチームとして」


研究所の窓から、朝日が差し込み始めていた。エイミーは感じていた。これは終わりではなく、新しい始まりなのだと。


そして、どこかで母は見守っているはずだ。種族の壁を越えた未来のために。


エイミーは新しい研究データを開き、タイトルを入力した。

「プロジェクト・メモリア フェーズ2:共通記憶の探求」


画面に、青白い光が瞬いた。まるで、新たな記憶の予感のように。


***


数日後、エイミーのデスクに一通のメッセージが届いた。差出人の表示はなく、ただ一行。


「骨と、遺伝子と、皮膚の先に」


エイミーは、その意味を直感的に理解していた。母からのメッセージ。そして、これから彼女が進むべき道標。


新たな謎が、彼女を待っていた。


[完]
























































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