レントゲンの話

涼森巳王(東堂薫)

第1話 居酒屋で会った男の話



 ……どうも。先週もここにいたかって? いたでしょうね。毎日来てるので。酒豪ですねって? いや、そうじゃないですよ。でも、いつも青い顔してる? そりゃね。これでも深い悩みがあるんでね。あんたも冴えないおじさんなんか無視して、自分の酒を楽しみなさいよ。


 はあ? 私の悩みに興味があるって? たいしたことじゃないよ。ほんとにね。たいしたことじゃ……なのに、なんで、こんなめにあうんだか……。


 ……。


 ……。


 どうしても聞きたいかい? あんた、新聞記者かなんか? いつもパソコンひらいて、なんか書いてるよね? ふうん。ネットで文章作成請け負ってるフリーライター? 今どきはそんな職業あるんだね。いいよ。聞かせてあげるよ。だけど、あんた、後悔しなさんな。とばっちり受けても知らんからね。


 車は? あんた、運転してる? しないんなら問題ないけど。私も今はしてないよ。電車通勤だね。だって、またひいたら怖いじゃないか。

 またってなんだ? ああ、ひいたんだよ。若いころ、親父の車借りて、ちょっと遠くまでドライブ行ったんだ。あれが間違いだったんだなぁ。当時の彼女つれてね。いいかっこしたかったし、とばしてたのはたしかさ。夜道で猫をひいたんだよ。それだけ。それだけのはずなんだがね。


 ほら、猫ってやつは道路横断するだろ? それで、ヘッドライトあびると立ちどまるんだよ。あれ、バカだよね。急いで通りぬけてくれたら、まにあったのに。こっちが急ブレーキかけたときには遅かった。思いっきりひいたね。あわてて降りてみたら、はらわた出して、血ィ吐いて死んでたよ。まだ子猫だったなぁ。かわいそうに。ビー玉みたいなキレイな目だったよ。


 まあ、若気のいたりさ。そんくらい、誰にだって一つや二つある失敗だろ? 別に人間ひいたわけじゃないんだし。ここまで重い罰をくらうほどの罪じゃないだろ。もうあれから二十年以上たってるんだぞ?


 当時の彼女とは別れてね。あの事故依頼、やけに神経質になって、最後には音信不通になったんだよ。もしかしたら、私よりさきに、なんかあったのかな。だとしたら、彼女にも悪いことしたなぁ。あの子はなんも悪くなかったのに。


 当時はそんなのわかんないし、死んだ子猫のことなんざ、すぐ忘れたよ。新しい彼女もできて、それが今の家内なんだけど。正直、相手にしてもらえないだろうって思ってたほどの美人でね。いや、ノロケじゃない。そんなんじゃない。大きなアーモンド型の目のちょっと猫っぽい顔立ちの。社内じゃ高嶺の花ってあだ名だったんだ。それが、おれみたいな凡人の奥さんになってくれて。いやぁ、あのころが幸せの絶頂だったな。子どももできてね。一人娘だ。奥さん似の美人だよ。誰が見ても、ほんとにおれの子かって怪しむくらいには美少女だったね。


 えっ? 今は違うのかって? いや、今も美人だよ。でも……。


 ……。


 可愛い愛娘だから、そりゃもう猫可愛がりに可愛がったよ。大切に大切に育ててね。参観日も必ず仕事休んで行ったなぁ。運動会もピアノの発表会も最前列でビデオかまえて。見ためだけじゃなく、かしこくて、優しくて、ほんとにいい子だ。おれの子にはもったいない。そう思ってたんだがなぁ。


 このあいだ、娘がインフルにかかって病院につれていこうとしたら、ひどく嫌がったんだ。そのときはまあ、注射が怖いんだろうくらいに思ったさ。そういや、娘はまともに病院行ったことなかった。きっと、恐れてたんだろう。本能的にさけてたんだ。

 でも、そのあとすぐに学校帰り、事故にあってね。幸い、怪我はたいしたことなかったんだ。ただ、念のためにレントゲンをとったんだよ。娘はすごく抵抗したんだがね。


 お医者さんが言うんだよ。こんなのは見たことがない。何かのまちがいだ。きっと機械の故障か、どっかで写真がすりかわったんだろうって。


 そこからはもう地獄だよね。生まれたときからそうだったのか。それとも、医者が言ったみたいに、どっかで。いや、写真じゃなく、本人がさ。単に写真だけ変に写るのか。そういう呪いなのか。そうなら、まだいいんだが、もし生まれたときから、そういう生き物だったんだとしたら、じゃあ、娘はなんなんだってなるだろ? あんなに可愛がったのはなんだったのかって。骨格だけが変なのか。外から見れば、ただの可愛い娘だってのに。


 でも、もう一度、撮りなおしましょうと言った医者はいつのまにか病院からいなくなって、転勤になったとかなんとか。看護師は妙に冷たい目でこっちを見るし。そう言えば、別れた彼女が最後のころ、あんな目をしてたなぁ。


 おれだけに見えてんなら、それでいいよ。おれの気が狂ったんだ。良心の呵責がそう見せるんだろう。幻覚だね。昔、ひいてしまった猫に申しわけなかったなって。だが、医者も見たし、妻も真っ青になった。レントゲン技師は飛び降り自殺したって話だなぁ。この世の生き物じゃないって叫んだとか。


 まともに娘と話せなくなってね。うちに帰るのが怖いんだよ。こうやって外でグズグズして、飲んだくれて自分をごまかしてるんだ。暗闇のなかで猫みたいに目が光ってたらどうしようとか。江戸時代の猫の妖怪は手ぬぐいをほっかむりして、二本足で踊ってたって。行燈の油をなめたんだって? 行燈の油は、ありゃ別の妖怪かな? どっちでもいいんだが。そういうたぐいのもんなのかもとか。でも、もし万一、娘は本物の娘で、写真がああなる呪いなら、父親に怖がられる娘はどれだけツライだろうとか。いろいろグルグルして……もう疲れた。どうにかならんのかね?


 はっ? さっきから何の話かって?

 だから、骨だよ。骨。レントゲンの話。外から見たら人間の娘なのに。やっぱり、猫の祟りなんかねぇ?

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