骨の髄まで

惟風

良く言えば一途

スケルトン・シャークです。それは骨だけのサメの魔物です。この度、やっと実物を捕えることができたんです」


 マティスの前を歩く緑髪の眼鏡の女性が天井を指し示しながらゆったりとした口調で説明する。博物館の静寂さを壊さない穏やかな声だった。視線の先にはサメの魔物の骨格標本が吊るされている。マティスの目には、白というより青白く発光しているように映った。ずっと見つめていると、風の無い屋内なのに揺れているように見えてくる。人はこれに躍動感や迫力を見出すのだろうか、と彼はぼんやりと考える。


「希少種な上に骨でしか構成されていない体組成のためにあまりにも脆く、無傷での捕獲が難しいと言われていた骨・シャークを完全な状態で見ることができるなんて思いませんでした」


 マティスは天井から吊られた骨・シャークの巨体を見上げながら呟く。だが言葉とは裏腹に声色は単調で、驚きや興奮といった感情は感じられない。これはマティスが建前を言っているというのではなく、元から声や表情に感情が現れにくい人間のためである。

 旅人マティス。背中に元魔王の入った鞄を背負い諸国を旅する男。

 今日はサメ博物館に来ていた。その名の通り、サメの魔物についての資料を展示している施設である。遭遇・捕獲の難しさから、実物の剥製標本や写真よりも絵や模型の展示の方が多い。


「喜んでもらえて良かったです、先輩をお呼びした甲斐がありました」


 緑髪の女性は振り返ってマティスを見上げる。女性にしては高身長だが、マティスはそれよりも背が高い。

 緑髪の女性の名はソフィアと言う。年は三十になるかならないか、ぴったりとした薄手のセーターとジャケット、タイトなロングスカートを合わせ、女性らしい身体のラインを強調している。マティスが旅に出る前に勤めていた職場の元後輩で、今はこのサメ博物館の館長をしているとのことだった。知己のよしみで、マティスのために閉館後の博物館を特別に案内してくれているのだ。


「骨・シャークと並ぶ希少種の極小クソザコ・シャークの捕獲がまだできていなくて模型の展示のままなのが残念ですが、いずれ捕まえて見せます。来月も、ポロニア国に遠征する予定なんですよ」

「館長が直々に捕獲に繰り出すなんて勇ましいですね。実に貴女らしい。行動的であることは貴女の長所の一つです。でも」

「でも、何でも独断でやりたがるのは短所だとも前に先輩に言われましたけどね」


 ソフィアがくすくすと笑うと、高い位置で一つに纏めた緑髪も一緒に揺れた。控えめな光量の照明を艶やかに反射している。

 元魔王には人間の容姿の美醜の区別はつかないが、ソフィアは美しい部類の女だというのがわかる。彼女とすれ違う者達が皆一度は振り返り、目で追うのだ。館内は貸切なので静かだが、この建物に入るまで随分注目を浴びていた。


「ところで先輩、今夜の宿はもうお決まりですか?」


 一通り施設を案内してくれたソフィアが、上目遣いをマティスに投げる。薄暗い屋内にもかかわらず、その瞳に湛えられた光は煌めいている。閉館後からの鑑賞のためすっかり遅い時間になっていた。


「いえ、これから探します。大通りまで出れば何かしら見つけられるでしょう。無くても、野宿には慣れていますしね」

「なら、家に泊まって行ってください。久しぶりにお会いできたんですし、もっと先輩とお話ししたいです」

「それは……ご迷惑でしょう。御主人にも悪いです」

「ああ、言ってませんでしたね。去年離婚したんです。だから部屋は余ってるんですよ」


 ソフィアのふっくらとした唇が弧を描く。外見的魅力を際立たせる完璧な笑みだった。マティスはそんな彼女から視線を外す。


「マリクさんとは長続きすると思ったんですがね」

「マリクとは三年前に別れました。その次に結婚したアントニーと離婚したんです」


 ソフィアがこともなげに言う。マティスはフーッとため息を吐き出した。


「……相変わらず恋多き女性ですね。そのバイタリティが羨ましいです」

「それもこれも、先輩が全然私に振り向いてくれないからじゃないですか」

『えっ』


 元魔王が鞄の中で驚愕の声をひっそりと上げる。衝撃の事実であった。元魔王には人間の美醜や善悪の区別は分かりにくい。だが、マティスの容姿が美しさとは程遠いということだけははっきりとわかる。そして人間性は(一部を除いて)決して悪くないが、感情が表に出にくい分、異性を惹きつける魅力には足りない男であると評していた。


『マティスが振られることはあっても、振る立場になることがあるなんて思わなかったよ!』


 ヒソヒソとした暴言はあまりにも心外だったがマティスは聞こえないフリをした。


「昔は、恋愛というものに興味が無かったんです。そして今は、心に決めた人がいます。なので、貴女の家には行きません。お気持ちだけありがたく受け取っておきますよ」

「そんな……! 先輩、意中の女性がいらっしゃるんですか!? どんな女なんですかどこの女なんですか」


 ソフィアの声が動揺で高くなる。掴みかからん勢いで迫ってくる彼女を躱して、マティスは背中の鞄を背負い直す。避けられたソフィアが床に倒れ込む。


「それに、今の貴女にはあまり近づきたくないと思っています」


 マティスの声がいくらか固く響いた。ソフィアは驚いたように顔を上げる。


「は? どういうことですか」


 ソフィアが眉間に皺を寄せてまなじりを釣り上げる。メガネが少しずれてしまっている。


「あの骨・シャーク、まだ生きていますね」

「っ……それは……」


 ソフィアの目があからさまに泳いだ。


「あの青白く光る様子、禁術による仮死状態ですね。無傷であるのも頷けます。生きたまま捕獲して、傷の回復を待ってから禁術をかけたのでしょう。生かさず殺さずの状態で大勢の人間の前に晒す行為の是非については、僕は何とも言えません。ただ、サメという魔物の存在を研究者である貴女が甘く見ていることに失望しています。このままでは近いうちに大変なことになるでしょう。人の集まるこの場所で、危険極まりない。今すぐ止めるべきです」


 穏やかなマティスにしては珍しく捲し立てる口調だった。彼の言葉には元魔王も概ね同意であった。骨・シャークは古の禁術によってこの建物の天井に固定されているが、サメのしぶとさ・執念深さ・残虐性を思えばこのような展示の仕方は不適当であると言えた。魔族であるからこそ、人間の使う術の危うさを知っていた。


「そうやって上から目線で断じるとこ、先輩の短所だと思いますよ! 館長の私がここのサメをどう扱おうと勝手でしょう! せっかく静かな環境でゆっくり見せてあげたのに酷い侮辱です、ここから出て行って!」


 ソフィアは未熟な子供のように喚き立てた。取りつく島のない剣幕に圧され、マティスは博物館を後にした。


『ほっといて良いの?』


 大通りをとぼとぼと歩くマティスに、元魔王が声をかける。元魔王にとってはマティス以外の人間のことなどどうでも良いのだが、マティスが人間愛に溢れる男だということを知っている。何の罪もない大衆がサメの危険に晒されることを見過ごせるはずがないと思っていた。


「大丈夫です」


 マティスの言葉は端的だったが力強かった。


「僕は、人を見る目はあるんです。ソフィアはプライドが高く短慮な一面もありますが、完全な愚か者ではありません。勢いで僕を罵倒はしましたが、警告を無視したりはしませんよ」


 結果が出たのはその二日後だった。

 サメ博物館の美人館長が開館前の館内でサメの魔物に襲われ、大怪我を負ったというニュースが新聞の一面を飾った。マティスは場末のホテルの一室でその記事を読んだ。


「僕の忠告に従って骨・シャークを完全に仕留めようとして、抵抗されたのでしょう。ちゃんと討伐はできたようで良かったです。ソフィアも命に別状は無いようですし。貴重な資料が失われたのは残念ですが、人命には代えられません」


 マティスはコーヒーを飲みながら元魔王に語りかける。側から見ると鞄に向かって独り言を呟いているように映る光景だった。


『随分好意的に解釈するんだね 実は全然反省なんてしてなくて、たまたま禁術が解けたタイミングに近くにいたソフィアが襲われただけかもしれないよ』

「その可能性がゼロとは言いませんが、ソフィアが負傷したこと以外、建物内に一切の被害が無いとのことです。戦闘になることを見越して、事前にソフィアが博物館内の全資料に防護の術を施していたと考えるのが妥当だと思います」


 マティスはコーヒーを飲み干すとマグカップをテーブルに置いた。


「それに、人間誰しも、自分に想いを寄せてくれる方のことは好意的に解釈したいものですよ」

『……そんなもんなんだね』


 元魔王にはよくわからない感情だった。魔族にとっては、敵か味方かしかない。一度敵に回ったら殺すのみである。敵意を向けられ失望を覚えた相手に対して、再び敬意や好意を持つということが理解できない。だが、マティスに対してだけは元魔王も友人としての深い情を感じており、いつか複雑な人間的感情について腹落ちする日が来るのかもしれないと思った。


「つまり、僕を振ったあの娘も僕に対して今も好意的な感情を持っているということです。そこにつけ込んでどうにかして口説き落とすというのが今僕にできる恋の正攻法ですね。先ずは一人になったところを狙って二人きりに」

『ストーカーには殺意しか持たないと思うよ』


 旅人マティス。自分を振った女(二十代前半女性)を執拗もとい一途に想い続ける中年男。

 元魔王はマティスに対して心の底から友情を感じているが、このストーカー男が美女から好かれている事実が心底理解できないしこの先も受け入れられないと思う。そしてどうせなら好意を寄せてくれている相手の方に行けば良いのにそれは袖にするというのも全く意味がわからなかった。

 ともあれ、マティス自身のために、彼が人間社会のモラルに反するような行動をしようとした時には全力で止めようと心に決めていた。そのためには元とはいえ魔王の名に相応しい魔術を行使するのも辞さない気でいる。

 マティスの社会的地位を守るために元魔王が腐心する間は、世界は平和なのである。

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骨の髄まで 惟風 @ifuw

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