部屋にゴミ箱が五つある
膿井倉
部屋にゴミ箱が五つある
部屋にゴミ箱が五つある。五畳の部屋に。ゴミ箱、と言ってもゴミ箱として買ったものはそのうちの二つで、残りの三つは適当な紙袋がゴミ箱と化している。
鼻を噛んだティッシュを一番近くにあるゴミ箱に放り込もうとした、が、スマホから流れてきた言葉に手元が狂い床に落ちた。
「で、急なんですけど、二ヶ月後にあるアヤビちゃんのライブ、少しなんですけどゲストでお邪魔することになってー!」
まじか、と小さく口から漏れる。そんな重要な事の初告知が、こんなド深夜のラジオでいいのかよ、と心の中で叫びながらTwitterを開くと、同じようにラジオを聞いていたであろうフォロワー達の阿景叫喚でタイムラインは煮えたぎっていた。耳はラジオに集中しながらもTwitterをスクロールする。
『やば、アヤビちゃんのってチケット販売いつから?』
『二週間後とかじゃなかった?』
『会員優先だよな?倍率どんな?』
『キビいだろ、絶対とるけど』
『てかこのタイミングで告知って笑』
『マジ笑』
『心臓もたんわ』
自分も混ざって『ビビった笑』『動悸がやばい』とツイートする。すぐさまいいねが三つ付いて、緩やかに下へと流れていった。
ゲスト出演と言っても、ほんの一瞬だけかもしれない。それでもみんな、その一瞬の為にチケットを取るのは当たり前というような雰囲気だった。
『てか、オフしたいね』
と不意にひよこマメさんが言い出した。ひよこマメさんは三十代の公務員で、推しの為なら全国各地に飛び回るぐらいフットワークが軽く、頻繁にオフ会の主催をしている。ちなみに自分はまだそういう会に一度も参加した事はない。
「で、ゲスト出演するのは九州公演だけで。自分、九州は全然行ったことないんですけど──……」
集中で研ぎ澄まされた耳に九州、というフレーズが飛び込んできて、思わず息を呑む。自分の呼吸が浅くなるのがわかる。その会場なら、新幹線と電車を乗り継げば1時間で辿り着く距離だった。とりあえず落ち着こうと、足元に置いてあった天然水のペットボトルに手を伸ばす。が、既に空だった。部屋を見渡す。届く距離にあるゴミ箱はどれも中身が溢れかえり山になっていた。一番近くにある山頂にそっと乗せようとするが、バランスが保てず、薄いペットボトルはフローリングの上をカラリと転がって、遠くにいってしまった。その場を動く元気はなかった。指先は微かに震えている。
ひよこマメさんのオフ会ツイートには、既にいくつか参加希望のリプライがつき始めていた。そのほとんどが東京や大阪近辺在住の人だった。ライブ会場周辺のホテル情報やオフ会に使えそうな居酒屋、カラオケ店をツイートする人も現れ始め、タイムライン上は日付を超えていることを感じさせない盛り上がりであった。みんな朝には仕事や学校が待っているだろうに。
『そういえば蛸シュウマイさん、会場近くじゃなかったですか?』
数分前にツイートした『動悸がやばい』にそうリプライがついた。
『わ、蛸シュウマイさん、お会いしたい!』
と続け様に他の人からもリプライがつく。蛸シュウマイというのは自分のアカウント名だ。
どの人も、気の合うネット友達であったが、自分は『ぜひ』と返せなかった。スマホを片手に、もう何年も干してない布団に倒れ込む。自分にとっては落ち着くこの布団の湿った匂いが、他人にとっては悪臭なのかどうか、判断のしようがない。
ここ数年、半径ニキロ以上の外出について、自分は通院以外に思い出せなかった。
本格的に鬱が酷くなり始めてから現在まで、緩やかに、これまで出来ていたことの十分の一も出来なくなってしまっている。比較的元気な時は、大学時代の先輩のつてで、データの打ち込みバイトをしているが、それ以外の時は基本横になってぼんやりとネットを眺めていた。そんな時、不意に出会った推しのおかげで、なんとかここまで生活をやり過ごしてきた。前より確実に起きていられる時間は増えたし、ほんの少しだけ、バイトができる頻度が増えた。自分の中では大きな進歩だった。
腕が痺れて寝返りを打つと、振動でゴミ箱の上に
定期的に鳴るいいねの通知音がうるさいような気がして、スマホの通知をオフにする。部屋には推しの軽快なトークと、朗らかに笑う音だけが残った。
「あそこら辺って何が美味しいんですかねー?豚骨ラーメンとか有名ですけど」
まあそうだけど、実は魚とかも結構美味しいんだよ。あとはお酒とか。好きでしょう日本酒。この間インスタで投稿してたあれ、こっちのやつだよ。と心の中で語りかけながら少しずつ落ち着きを取り戻そうと努める。
目線の先に小さな祭壇がある。祭壇と言っても、洋服棚の上の、ほんの小さなスペースなのだが、自分はそれを「祭壇」と呼んで、推しのアクリルスタンドや缶バッチ、写真集等をそっと並べていた。この部屋の中で、唯一秩序を保っている場所だった。祭壇を眺めている時、自分はほんの少しだけ、自分のことをまともだと感じることが出来ていた。
出来ていた、というのも、今はそうではなくなってしまったからだ。うっすら気づいてはいた。いた、が見ないふりをしていた。それでも現実はあるがまま目の前に広がっている。祭壇には白く埃が降り積もっていた。拭き取ればいいじゃないか、簡単な事だ。狭い範囲なのだし、十分もかからないだろう……。
簡単に言わないでくれ。分かってるんだ。でもそれが出来なくて、現状で、今で、既にいっぱいいっぱいなんだ。ゴミを捨てるだけ。風呂に入るたけ。布団を干すだけ。外に出るだけ。人と会って話すだけ。知ってるよ。それ「だけ」なんだろうけど、その「だけ」が出来るようになるためにどうしたらいいのかは、これまで誰も教えてはくれなかった。
「毎日飲みましょう」と医者に渡された薬は水がなくても飲める。でも飲んだからと言って「だけ」ができるようにはならない。ふわふわと、すこし眠くなるだけだ。
「で、やっぱ家を空けるとなると、それなりに整理しないとですよね。冷蔵庫の中とか」
推しは旅行の準備についての話を始めた。濁った思考の脳みそにでも、推しの声は優しく明瞭に届く。
「なまものとか、発酵食品とかそのままにすると大惨事じゃないですか」
わかるよ、自分はずっと家にいるけど、それでもよく駄目にしてしまう。
「苦手なんですよねー、片付けとか。ほんと、普段から全然出来なくて。やらないといけないとは思ってるんですけど」
そうだね、やらないといけないって、自覚はあるんだよ。
「ヤバいんですよ、部屋の中にゴミ箱……っていうかゴミ袋?五つぐらいあってですね。それがいつもゴミで溢れかえっちゃって、土砂崩れを起こしてるんです。この間遊びに来た友達から馬鹿!って怒られて、一緒に片付けたんですけど、気づいたらまたいるんですよねー!五匹!いや!本当にダメダメなんですけど、でもまあ、袋に入れるつもりがあるだけでも偉くないですか?」
推しは明るく、軽快に喋り続けた。ゴミの山がバランスを保てなくなったのか、緩やかに崩れる音がする。埃が舞う。
ゆっくりと上半身を起こし鼻を噛んだ。何度も何度も、鼻を噛んだ。
部屋にゴミ箱が五つある 膿井倉 @umiikura
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