鈍色の夢で眠らせて

上月祈 かみづきいのり

鈍色の夢で眠らせて

 オレンジの匂いがした。それから、ジャスミンも。クリームで混ぜたように滑らかで控えめな香りだった。

 花の香りは鈍色の夢の中にだけ満ちていた。濃密で、感覚には慣れが生じない。だから、匂いは減衰することなく満ちていた。

 紫を乳白色に溶かしたような色の水のせせらぎが流れていて、好奇心を抱くほどにジャスミンが香っていたから私はその近くの平たく大きな石の上に立ってしゃがんでみた。

 柄杓ひしゃくと、ガラスのコップと、誰かが積みかけた小石のむれ

 まずは柄杓から、この水を飲んだ。ジャスミンと、ミルク。それから蜜柑の小さな袋を噛み潰したような爽やかな歯触り。だか、果肉は見当たらない。

 見えない果肉を噛み潰したという事実だけだった。

 なれば、とコップに柄杓を持ってぎ、それを持って元の場所へと戻った。

 このミルクが旅をすればクリームになるのだろうか、人生のように濃くなるのだろうか。

 わからない。ただ、コップの中で紫のおりのようなものが浮きつ沈みつしていた。

 コップを傍に置いて時を待つことにした。

 街ゆく人にそうするように、あしたゆうべを幾度も見送った。あらゆる渇きが、使い物にならなくなったように黙っていた。

 頃合かと悟って、コップをゆっくりと持ち上げ、見つめてみた。

 余りにも細かい、紫の粒子が底に沈殿していてあとはミルクと、ジャスミンとオレンジの匂い。オレンジの粒はついに姿を隠し通した。

 わずかにコップを揺らしたら、艶やかに光った。

 それが各々方の、

「我は星なりき」

 という主張そのものだった。星は人ひとりとは比べられぬほど質量を持つから浮いてなどいられなかった。

 だから、かくの如く沈んだ。

 全てが星で、ジャスミンだった。紫色の星の砂だった。自分の中にオレンジは含まれていたのか。

 もうわからない。

 ただ、心の色はここにくる前と同じように鈍色にびいろだった。

 変わらず鈍はジャスミンとオレンジの香るミルクの川を優雅だと思い、そのまま匂いでうまく考えられなくなっていった。

 眠かったのだ。


 こころにびにしてここにねむる


 むらさきのすなこのおりはかくありてわかみのことはついそしるまし






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