一杯五百円の幸せ『真夜中に響くチャルメラの調べ』

神崎 小太郎

全一話

 今夜も町が寝静まる頃、日常のざわめきから解放されたかのように、チャルメラの郷愁を誘う音色が耳に届く。それはどこか懐かしさと温かみを感じさせ、星空の静寂を優しく包み込む。


「チャララ~ララ♪チャラララ♪ラ~ラ~」


 その音が響けば、まるで魔法のように現れるのが、一杯五百円で心を温める『安心屋』の屋台ラーメンだ。この音色は、一度耳にしたら忘れられるはずがない。


 あのひとときの幸せを運んでくれるラーメン屋が、いつまでも変わらず傍にいてくれることを心から願っている。


 私は母親と一緒にどんぶりを抱えて夜鳴きそばの屋台へと駆け寄る。慌てて食べるのではなく、持ち帰りにして、我が家でゆっくり味わうのが私たちのスタイルだ。


 酔い覚ましの心地よい風にそよぐ暖簾の向こうから顔を覗かせるのは、義理と人情に厚い老夫婦の店主たち。彼らが振る舞うラーメンは深夜の飲み会のシメとして絶品で、一口食べれば心がほっと温まる優しい味わいだ。


 屋台のラーメンとはいえ、ご亭主の話によると、半世紀にわたり秘伝の味が代々受け継がれてきたという。特製チャーシューのタレに細いちぢれ麺、鶏の骨をじっくり煮込んだ香り高いガラスープが絶妙に絡み合うこの一杯。ラーメンは、あっさりしながらも奥深いコクが特徴的な至高の一品である。


 安心屋の赤い提灯が灯る屋台には、私たちと同じくホタルのように引き寄せられる常連たちが集まっている。その屋台には、片言の日本語を話す外国人まで混じった行列ができていた。


 私たちの背後には、夜の蝶のような水商売風の華やかな衣装と濃いメイクの若い女性が二人、大きな目を輝かせて、何を注文しようかと嬉しそうに相談している。


 光と影が見え隠れする都会の縮図のような安心屋の屋台に集まる常連客には、年代や性別、出身地や仕事内容を超えたさまざまな人間模様が感じられ、温かさと共に情感が溢れていた。


「親父、八丁焦がし味噌でバターを乗せて」


「私、厚切りチャーシューとネギを大盛りにして」


「Nōkōna miso rāmen ni batā, chāshū, negi ōmori, korezo saikō no zeitaku!」


 濃厚な味噌ラーメンにバターを乗せて、チャーシューとネギ大盛り、これは最高の贅沢だよといったわがままな注文が屋台に向かって飛び交った。


 しかし、店の老夫婦は嫌な素振りひとつ見せず、彼らの注文を聞きながら笑顔で麺の湯切りを繰り返している。私にとっては、その時間さえも心穏やかでわくわくするひとときとなっていた。


 ラーメンが出来上がるまで、顔なじみの主人との言葉のやり取りが楽しみになる。どんぶりを持参した私たちには、ご亭主がサービスでチャーシューを一枚おまけしてくれる。女将さんも優しい口調で語りかける。


「由美子さん、今日は親子で幸せな一日でしたか?」


 たわいもない話かもしれないが、真夜中のラーメン屋さんには、まるで魔法のような魅力がある。女将さんの声を聞くだけで、不思議と心がほっと安らぎ、まるで心に響く子守唄のようだ。なぜか口が軽くなってしまうのは、少しだけお酒が回ってきたせいかもしれない。


 今夜に限り、味噌ラーメンが出来上がった後も、麺が伸びるのを少しも気にせず、私は「今日は両親の三十周年の結婚記念日なんです!」と老夫婦に話していた。


 その言葉を聞き、店の女将はご亭主と笑顔で目を合わせた。「なんともおめでたいですね!」と彼らは喜びの言葉をかけてくれた。この屋台は、時代や国境を超えて、常連客に心温まるひとときを提供し続けている。


 額に深く刻まれたしわを恥ずかしげもなく見せながら、ご亭主は昔を懐かしむように穏やかな表情で語りかけてきた。


「親父と一緒に子どもの頃からずっと屋台の店を続けてこれたことが、私の人生そのものなんです!」と口にした。そして、それだけでは言い尽くせなかったのか、さらに続けて話し始めた。


「親父が亡くなった後、母ちゃんと知り合ったのもここだった気がする。雨の日も風の日も、本当に大勢の人と出会いました。つらい別れもあったけど、一つ一つが今では特別な思い出なんです」


 女将さんも微笑みながら続ける。「私たちの人生そのものが、この屋台に刻まれているんです。やるせないこともたくさんありましたが、お客さんの喜ぶ顔を見ると、それがすべて報われる気がします」


 母は彼らの言葉にそっと頷き、過去を偲ぶようにしみじみと語り始めた。


「数年前に、私もかけがえのない主人を亡くしました。でも、お二人のように、この娘が結婚するまで、一緒に過ごす時間を大切にしたいと思います。家族と過ごす時間は、本当に貴重ですからね」


 私は黙ったまま、老夫婦と母の思い出話に耳を傾けながら、心に誓う。これからの自分と母の人生も、このように温かな思い出で満たしていきたい、と。


 時がゆっくりと流れ、鶏の骨で三日三晩寝る間も惜しんで取ったダシで作る一杯五百円のラーメンが、心に温もりと幸せを招き寄せる。それは過去と未来が交わる素敵なひとときだ。真夜中の屋台で交わされる言葉は、まるで魔法のように心地よく響いていた。


 ふと天を仰ぎ見ると、射手座の星が涙ぐむ瞳に映り込む。幸せを呼び込むと伝わる星座の下、私たちの心はひとつに繋がり、遺骨となった人との温かい思い出が溢れてくる。


 それはまるで、永遠に続く心の絆のように感じられる。そして、チャルメラの音色が再び夜の空気に溶け込み、「チャララ~ララ、チャラ、ララララ~チャルメラ……」がいつまでも心に響き渡った。



 ✽✽✽✽.:*・〈 完 〉・*:.✽✽✽✽

 

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一杯五百円の幸せ『真夜中に響くチャルメラの調べ』 神崎 小太郎 @yoshi1449

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