全てが嫌になった男の物語

世捨て人

やーめた

 これから語るのは、僕の物語。

 輝かしい人生を送った人のことを書こうとしたら、たくさんの文字数が必要になると思う。十万字とか、二十万字とか、長編小説くらいの量だ。

 だけど、僕の人生はそんなに濃くない。だから短い文字数で伝えられる。


 僕は2025年5月22日に、神奈川県Y市に生まれた。生まれた時の体重は3050グラムで、両親は僕に誠一郎という名前を付けた。


 僕が生まれる前から、両親はずっと共働き。だから保育園から帰っても、夜まで一人ということも多かった。それがとても寂しくて、もう少し早く帰って来てと母親にお願いしたことがあった。


 そんな僕に対して、母親は申し訳なさそうな顔をしながらも、今はたくさん働かないと食べていけない時代なのだと答えた。


 生きるのが大変な時代。

 そういう世の中だというのは、子供ながらに何となく感じていた。友達の家もほとんどが共働きで、僕と同じように寂しい思いをしている子は多かった。だから僕もそれ以上の我儘は言わなかった。


 僕が小学三年生になった頃から、生活の苦しさは加速していった。


 止まらない物価高に、増税ラッシュ。それらが家計にダメージを与え続けていた。生活必需品でさえ買い控えしなくてはいけなくなり、当然子供が遊ぶ物なんて買ってもらえなくなった。


 生活苦に比例して、両親の仲も悪くなっていった。

 それも仕方ないことなのかもしれない。働いても働いても、暮らしは豊かにならないのだから。みんなが、世の中に対して息苦しさを感じていた。


 僕が小学六年生の時に、両親は離婚した。悲しかったけれど、僕にはどうすることもできない。話し合いの結果、僕は母親に引き取られることになった。


 しばらくして、母親に恋人ができたのだが、この男がろくでもない奴で、初めて会った時からずっと無職だった。しかしどういうわけか、毎月結構なお金を母親に渡していた。


 何か法律に触れるようなことをしているんじゃないか。誰だって疑うだろう。だから何度か、母親と男の会話を盗み聞きしたことがあった。交通事故とか保険金という単語を何回か聞いたけれど、悪事に手を染めているのかどうかまではわからずじまいだった。


 ある時、母親に訊ねた。あんな男のどこがいいの、と。

 そうしたら、とても怒られた。生意気な口を利くんじゃないと。そのあと、母親はこう付け加えた。


『今の時代、普通に働いてるだけじゃ、人間らしい生活はできないの。今、私たちが一日三食を食べられて、あなたが高校に通えるのは、あの人のおかげなのよ。毎月、纏まったお金を持ってきてくれるあの人は、神様のような存在よ』


 それを聞いて、僕はとても情けない気持ちになった。

 僕が人並みの生活を送れるのは、あいつのおかげ? あいつがいないと生きていけない?


 その時、僕は誓った。

 自分の力だけで生きていくと。それを必ず証明してみせると。


 高校を卒業した僕は、すぐに実家を出て一人暮らしをすることにした。本心としては、大学まで行きたかったが、もうあの男のお金を頼りにしたくなかった。


 初めて一人暮らしをする人の多くが感じることだろうけれど、家の中に自分しかいないというのは、すこぶる快適だった。

 これが自由なんだと、感動した。

 この楽しい生活を維持できるように頑張ろう。僕は改めて決意して、仕事に勤しんだ。


 だが、そんな楽しい日常は、すぐに奪われることになった。


 僕が社会人になって二年目、新たな国税が複数導入された。

 まずは『独身税』

 独身の期間が長いほど、比例して税金も高くなるというめちゃくちゃなもの。少子化対策の一環として導入されたものだが、効果は全くと言っていいほどなかった。


 他にも、健康診断で不健康な数値が出ると税金を徴収される『不健康税』とか、離婚した人から徴収する『離婚税』とか、国民全員を標的にした悪税が次々につくられていった。


 もはや税金を払うためだけに働いているようなもので、娯楽にお金を使えるのは一部の富裕層だけになっていた。


 そして追い打ちをかけるように、限りなく神に近い存在とまで言われるようになったAIの進化で、人間の仕事はどんどん奪われていった。多くの人たちが路上生活を余儀なくされ、やがて僕もその集団の中で暮らすこととなった。


 その時点での僕の年齢は、三十二歳。年齢的には、まだやり直せるチャンスがあるはずだったけれど、AIが頂点に立つ世界に、蜘蛛の糸は垂らされていなかった。


 ホームレス仲間の中には、自殺をした人が何十人もいる。

 僕も、何度も命を絶とうとした。でも、直前で死ぬのが怖くなって断念。

 結局、僕はホームレスのまま、八十二歳まで生きることになった。生き地獄から解放されたのは、誕生日の二日後。死ぬ間際、僕は笑っていた。やっと楽になれると。


 ――ここまでが、僕の物語。

 ホームレス時代の五十年間については、書く必要はないだろう。何一つ、本当にたった一つも良かったと思えるような出来事がない五十年だったから。


 多くの人は、君はもう死んでいるの? という疑問を持つと思う。

 はっきりと、僕は八十二歳で死んだと書いているからね。


 でも実際はその逆で、僕はまだ生まれてさえいない。


 今、みんなに語り掛けている僕は、精子だ。

 精子の僕は、生まれたあとの人生を細部まで見た。光景だけではなく、その時に抱いた思いも、しっかりと感じることができた。だから僕は今、とても悲しい。とても苦しい。


 こうやってみんなに語り掛けている最中も、僕は卵子に向かって進んでいる。それが本能だから。僕の周りにも無数の精子がいて、必死に前進している。生まれたいという一心で。


 あと少しで卵子が見えてくるというところまで来た時、僕は前進するのをやめた。仲間たちが、次々と僕を追い抜いていく。


 権力者たちの暮らしを豊かにするために、奴隷のように働くなんて、真っ平御免だ。

 仮に、もっと楽しく生きられる道を見つけたとしても、いずれはAIに呑み込まれていく。権力者も、金持ちも、全員。この世界の未来に、希望はない。

 だから僕は生まれるのをやめた。


 段々と、意識が薄れていく――。

 僕が、消えていく――。

 永遠に消失するのに、とても心地良い気分だった――。

 それも当然だ。地獄のような世界に生まれなくていいのだから――。


 ここまで読んでくれてありがとう。さようなら。

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全てが嫌になった男の物語 世捨て人 @kumamoto777

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