『薔薇色プログラム』- 幸福度12%の私に、最後の選択が与えられた -

ソコニ

第1話『薔薇色プログラム』- 幸福度12%の私に、最後の選択が与えられた -



潮風が運ぶ錆びた観覧車の軋む音が、夜明けの静寂を破っていた。佐藤美咲は、スマートフォンに映る数値を虚ろな目で見つめ続けている。


幸福度:12%


画面の右上で、薔薇のマークが不吉な赤色に点滅していた。かつてそれは、希望の象徴だった。政府が「ローズ・アイ」システムを導入した2042年、人々は歓喜に沸いた。AIによる完璧な社会分析と、それに基づく人生設計。すべての不確実性から解放される約束。それは、まさに理想郷への切符のように思えた。


30%を下回ると警告が表示され、15%を切ると強制介入の対象となる。美咲の数値は、既にその瀬戸界まで落ち込んでいた。


「もう終わりね」


28階建てのマンションの一室で、彼女は呟いた。窓の外には2045年の東京が広がっている。かつての喧騒は影を潜め、整然と並ぶ超高層ビル群からは、時折自動運転車の静かな走行音だけが聞こえてくる。


それは、まるで生命を失った街のようだった。システム導入から3年、人々は次第に「予測」に従順になっていった。企業の経営判断も、個人の結婚相手も、転職も引越しも、すべてシステムの示す「最適解」に委ねられるようになった。


3ヶ月前、美咲が勤めていたIT企業が突然の倒産を宣告された。優秀な人材が揃い、業績も好調だったはずなのに、システムは「33.7%の確率で2年以内に経営破綻」と予測。それだけで、取引先は次々と契約を解除していった。


その直後、5年間付き合っていた恋人、中村誠との婚約も破棄された。「結婚後の幸福度予測が低いため」。システムがそう判断した瞬間、誠の態度は一変した。幸せな結婚生活への期待に胸を膨らませていた美咲は、突然の別れを受け入れることができなかった。


「システムは間違えない」


去り際の誠の言葉が、今でも耳に残っている。


急激な転落から立ち直る暇もなく、美咲の幸福度は日々低下していった。就職活動は、低い幸福度が足かせとなってことごとく失敗。貯金は底を突き、家賃の支払いもままならない。


そんな彼女を救ったのは、皮肉にもシステムそのものだった。政府は、幸福度が危険水準まで低下した市民を「社会の調和を乱す不安定要素」として管理下に置く。強制収容ではない、と謳われているものの、実質的な強制力を持つ「更生プログラム」に組み込まれる。


スマートフォンが特別な通知音を鳴らした。画面には、政府公認キャラクター「ローズちゃん」の笑顔が表示される。その可愛らしさとは不釣り合いな、冷たい文面が続いた。


『佐藤美咲様、あなたの幸福度が基準値を下回ったため、「薔薇色プログラム」への参加が決定しました。明日午前9時、指定された場所へお越しください。参加は義務です。不参加の場合、全ての社会保障が停止されます』


添付された地図には、都内某所の廃遊園地が示されていた。かつて「夢の国」と呼ばれた場所は、システム導入後、「非効率な娯楽施設」として閉鎖された。今では錆びついた遊具だけが、人々の記憶を風化させないよう佇んでいる。


最後の希望か、それとも終わりの始まりか。美咲は震える手で持ち物をまとめ始めた。


---


翌朝、廃遊園地の入口に集められた100人の参加者たち。白衣の係員が、淡々と身分証の確認を進めていく。全員が美咲と同じように、幸福度が危険水準まで低下した人々だ。老若男女、その境遇は様々だが、全員の目つきに同じような虚無感が漂っている。


「皆様、薔薇色プログラムへようこそ」


巨大スクリーンにローズちゃんが映し出された瞬間、美咲の隣で男性が低く唸った。


「茶番が始まるな」


振り向くと、高級スーツに身を包んだ男性が、冷ややかな表情を浮かべていた。やや乱れた襟元と、手入れの行き届いていない髭が、かつての栄光を物語っている。


「山田健太郎です。元商社のエリート。ローズ・アイの予測が外れた案件を強行して、会社を倒産寸前まで追い込んだ男です」


その隣には、派手なピンク色の髪を持つ少女が、退屈そうに爪を眺めていた。年齢は20歳そこそこに見えるが、その目には大人びた諦めが宿っていた。


「鈴木ユリア。システムのバグを見つけて報告したのに、逆に危険分子として処分された。皮肉でしょ?」


彼女は苦々しく続けた。「このシステム、絶対におかしいのよ。完璧なんかじゃない。でも、誰もそれを認めようとしない」


説明が始まる。このプログラムでは、参加者たちに様々な選択が与えられる。各選択には「薔薇色ポイント」が設定されており、24時間以内に最高得点を獲得した者だけが「新しい人生」を与えられる。それ以外の者は、記憶を消去されて更生施設に収容される。


「要するに、人生やり直しゲームってこと?」


ユリアが皮肉っぽく言う。山田は腕を組んで、じっとスクリーンを見つめている。


「いいや、もっと悪質なものだ。これは、人間の本質を暴くための実験だろう」


最初の選択は、二手に分かれた通路だった。右には「協力」、左には「競争」という標識が掲げられている。美咲、山田、ユリアは迷わず右を選んだが、参加者の8割は左へと消えていった。


「群衆心理ね」ユリアが呟く。「でも、これは罠だと思う。このシステム、人間の本質を試してるんじゃないかな」


その言葉通り、次第に選択の難度は上がっていく。


「目の前で倒れた老人を助けるか、それとも制限時間内にゴールを目指すか」

「他人の犯した罪を暴露して報酬を得るか、沈黙を守るか」

「自分の失点と引き換えに、他者を救うか見捨てるか」


各選択には、深い倫理的ジレンマが潜んでいた。協力を選んだ参加者たちも、次第に疑心暗鬼になっていく。誰かを助ければ自分の点数が下がり、見捨てれば点数が上がる。その残酷な構造が、人々の心をむしばんでいった。


6時間が経過した時、衝撃的な出来事が起きた。


巨大スクリーンに、各参加者の現在の得点が表示される。美咲たち協力組は軒並み低得点。競争を選んだ者たちが上位を独占していた。その中には、最初は協力を選んだはずの顔ぶれも見える。


「裏切り者が出たわね」


ユリアの声に、苦さが混じる。


「でも、責められないわ。このシステムが、そうさせるんだから」


焦りが広がる中、ユリアが急に動き出した。彼女は壁に隠された端末を操作し始める。指先が、驚くべき速さでキーボードを叩いていく。


「やっぱり。このシステム、単なる選別装置だわ。政府は、人工知能による完全な社会管理を目指している。このプログラムは、従順な市民と、抵抗の可能性がある市民を分類するためのもの」


その時、警報が鳴り響いた。


「不正アクセスを確認。該当者は即座に失格」


ユリアの腕に、赤いマークが浮かび上がる。


「ごめんなさい。でも、これが真実よ。このプログラムの勝者には、新しいシステムの運営者として生きる道が用意されている。でも、それは人間性を捨てることと同じ」


彼女は微笑んで付け加えた。


「あとは、あなたの選択次第。私は、自分の選択に後悔はないわ」


その言葉を残して、ユリアの姿が光の中に消えていく。記憶消去の瞬間だった。


残された美咲と山田の前に、最後の選択肢が示された。


「システムへの忠誠を誓い、新たな人生を得る」

「真実を公表し、システムに抵抗する」


得点ランキングトップの参加者たちが、次々と忠誠を選択していく。彼らの表情には、もう迷いがなかった。ある者は安堵の表情を浮かべ、ある者は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「私が正しかったんだ」


山田が静かに言った。その声には、久しく失われていた自信が戻っていた。


「このシステムは、人間から選択する自由を奪っている。幸せな人生なんて、上から与えられるものじゃない。自分で選び取るものだ」


彼は決意に満ちた表情で、抵抗のボタンを押した。そして、美咲に向き直る。


「どうする?」


美咲は、深く息を吸い込んだ。


幼い頃、母に教わった言葉を思い出していた。

「幸せは、誰かと分かち合ってこそ意味がある」


システムが導入される前の世界。確かに不確実で、時に理不尽な世界だった。でも、その中で人々は助け合い、支え合って生きていた。その温もりは、確率や数値では測れないものだった。


答えは、もう決まっていた。


美咲がボタンを押した瞬間、警報が鳴り響いた。


「システム異常を検知」

「複数の参加者による不正な干渉を確認」

「プログラムを緊急停止します」


巨大スクリーンが激しく明滅する。美咲と山田の選択が、思わぬ連鎖反応を引き起こしたようだった。ユリアが残したプログラムが、彼らの選択をトリガーとして起動したのかもしれない。


警報が鳴り続ける中、2人は走り出していた。出口はもうすぐそこ。しかし、それは本当の戦いの始まりでもあった。


記憶を保ったまま施設を出ることができれば、彼らは「システムの欠陥」として烙印を押されるだろう。平穏な生活など望めない。それでも、2人は走り続けた。


この選択が正しかったのか、それとも間違いだったのか。答えは、まだ誰にもわからない。


ただ、1つだけ確かなことがあった。


それは、初めて自分の意思で選んだ、本当の「選択」だったということ。


(終)

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