落ち着き払えるのには訳がある

神酒

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 波が砂浜に寄せては帰る音が聞こえ、僕は目を覚ました。海岸でびしょ濡れの服のまま目を覚ます。

 砂まみれになった自分の顔。頬には海藻が張り付いて、両手でそれらを払い落とし、起き上がると顔の先に空へと立ち上る煙が見えた。


 四つん這いで進んでいくと、濡れた服を着た人たちがそれぞれ物思いに炎を見つめながら焚き火を囲んでいた。中には半裸になっている人もいた。

 炎の光がチラチラとそこにいる人たちの顔の浮き彫りを舐めていく。僕の向かい側にいた人が僕の視線に気がついた。


「お、また一人流れ着いたみたいだぞ」


 すると焚き火周りの人たちは振り返るようにして僕を見た。とぼとぼと焚き火のそばによると、彼らは場所を開けてくれた。


「もしかしてみなさんキングチャボ号の乗員ですか?」


 僕の問いに男性たちは頷いた。


 赤と白の縞々のニット帽を被った男性が自分の両肩を抱きしめた。


「お前、確か今回初めて乗船した航海士見習いだよな?」

 僕は小さく頷いた。

「はい、そうです。まさか初めての乗船で「彼女」に見捨てられるとは思いませんでした」

 船乗りの間では船のことを彼女と呼ぶ。男たちは乾いた笑いをまばらに、それ以降皆また黙りこくってしまった。

 

 しばらくして半裸の男性が立ち上がった。

「食料は全くない。流れ着いた船の積荷にあった水は、一リッターが一人一本分と余り数本しかない。あるのはこの島の木だけだ」


 すると黒シャツに銀の首飾りの男が腕を組んだ。

「……どうする? この島の木を一本残らず燃やして火で灯りを灯して救助を待つか?」


 年上の乗船員たちが話し合っている間、僕は星空をぼんやりと見ていた。あっちが北でこっちが南。そして船で見た航海図では、この海域は定期航路のすぐそばにあった。おそらく、遭難信号を受けた船が近海を探してくれるはずだ。


 海流の流れを記した地図によればこの島は海流によって漂流したものが流れ着く地域と言える。つまり僕が流れ着いた場所に戻れば他にも何かがたどり着く可能性がある。


 だが、生存するためには全員と分かち合える量があるか分からない。僕は自分が流れ着いた海岸へと向かった。


 背後で僕を呼び止める声がしたが、今は誰かと会話するよりも生き残るための策を考えねば。


 自分が流れ着いた浜辺には、木の箱が二つほど流れ着いていた。傷んだ砂まみれの木を剥がすと、一つには水の入った瓶ともう一つには砂糖で煮詰めた果物の瓶が入っていた。


 まさかこんな簡単に食料と水が手に入るなんて。


 僕はそれらを岩陰に隠した。

 ここに漂流物が流れ着くということは、この島はあの有名な遭難ポイントに違いない。僕は確信した。


 この島の地形は、上空からも比較的見つけやすい。だからここを離れる必要はない──そう思えた。


 それからその浜辺であぐらを描いてぼんやりと海を眺めていた。焚き火の方から砂を踏み締めて進んでくる音がする。振り返ると黒いシャツに銀の首飾りをした男性だった。


「そんなところで何をしてるんだ」


「この先に船が来ます。いつになるかは分からないけれど」


 男はハハハと笑い出した。ひとしきり笑うと彼はそうか、とひとりごちた。

「あいつら、余った水をめぐって殴り合いを始めてな。お前はあの場にいなくて正解だった。酷い争いだったぞ」


「……そういうあなたはなぜ無事なんです?」


「俺? 俺は……まあ、たまたま運が良かったんだな。他のやつが他のやつを倒して無事だった、感じだ」 


 僕はその言い方に疑問が残った。この人は本当のことを言っていないんじゃないか、なんて邪推かな? 


 そんなことを考えていると、その黒シャツは焚き火の方角に向かって大声で叫んだ。


「船がいつか来るってよ! この航海士見習いが言ってんだ。違いねえ!」


 その言葉に顔を血だらけにした男たちがやってきて、焚き火を移し、海岸に一列に並んで海を眺めることにしたようだった。

 皆片手に水の瓶を握り、浜辺にあぐらをかく男たち七人。僕を含めたら八人。


 時間が経つにつれて「本当に船は来るんだよな?」という言葉に含まれる苛立ちと不安が濃くなっていく。


 1日の終わりに堪えきれなくなった誰かがその言葉を怒鳴った。真っ暗闇の覆う海にその声は吸い込まれてさほど威力はなかったけれど。


 他の誰かがその男をたしなめた。

「相手はガキだぞ」

「それくらいにしておけ」

 まだ怒りと不安が腹の奥で燻っていた男は島の中央部に一人で歩いて行った。

 僕が視線で追うと黒シャツの声が

「放っておけ」と言った。


 そして時間が経つにつれて一人、また一人と浜辺を離れて島の中央へと去って行った。夜中に聞こえてくる怒声やガラスの砕ける音。そこでどんなドラマが繰り広げられたか僕は知らないし、知りたくなかった。



 島の中央に行こうとするやつが去り際に僕に聞こえるように「ガキの戯言だ」とか、僕を恨む言葉を大なり小なり吐き捨てていく。そのたびに僕はただこう呟いた。


「船は来るよ」


 その言葉を僕は六回言った。僕の勘定違えでなければ、もう一週間は経っていた。僕は隣にいる黒シャツの男を振り返る。彼の手に握られた瓶には水がひと口しかなかった。顔には無精髭、服は砂だらけ。僕の視線に相手は気がついたらしかった。


「……なあ? ずっと疑問に思っていたんだ。お前、すげえ落ち着いているよな。その正気さに俺はお前が言った船は来るっていう言葉を信じて今も隣にいるんだけどよ?」


 まあ、ちょっと待てよ、と男は言ってふらっと立ち上がった。そして島の中央まで行ったかと思えば、すぐに戻ってきた。


「おい……今、生き残ってるの俺たち二人だけだ」

 確かに島の中央からは何の音も気配すらしない。黒シャツの狂気じみた表情が見たものの悲惨さを語っていた。


 僕は、時が来たと踏んだ。


 狂ったように駆け出して無言で岩陰から箱を取り出し、砂だらけの水と果物の瓶を男に差し出した。


「……ああ、やっぱりそうだったのか」

 男は両手でそれを受け取るとその場に膝をついてそれを胸元で抱きしめた。


「他の奴らが去って、お前と二人で砂浜で並んだ時、何度もお前を殺したいような気持ちに駆られた。信じて損をしたという恨みのような衝動にな。でもお前のその冷静すぎる態度は本当に正気で勝算があったからなんだ」


 それだけ言うと黒シャツは水の瓶を開けて飲み出した。それでも彼は半分しか飲まなかった。表情を読み取るに、彼はまだ何かを危惧しているらしかった。


「……流石にもう出し惜しみはしません。残りの食料と水は共有します。僕を、疑わずに信じてくれたのは、あなただけでしたから」


 僕らは静かに浜辺から見える水平線を眺めていた。カモメが見えた。星が見えた。焼けるような太陽が登るのも眺めた。

 それらを繰り返して食糧が尽きた。


 黒シャツは自分の飲み干した瓶を岩にぶつけて叩き割るとその破片を僕に突きつけた。


「俺も人間だ。弱い、人間だ。お前のおかげでここまで生きてこられた。だが、もう限界だ。よく分からならない魚だって捕まえて火で炙って食べた。我慢の限界だ」


「じゃあ聞きます。僕をここで殺めてあなたが死んだら、あなた神様に顔向け出来ますか? どうせなら罪のないまま死んだ方がいいと思いませんか?」


 黒シャツは震える手でガラスの破片を握りしめた。手から血が滴る。彼は痛みに正気を取り戻したようだった。


「……最後に、神がいることを思い出せて良かった」


 そう言うと黒シャツはその場に跪いて祈り出した。彼は今まで生きてこられたことを空に向かって叫んで感謝しだした。そして最後に口にした桃のジャムが、婚約者を思い出させてくれたことへの感謝を嗚咽にまみれた声で囁いていた。


 祈り終えた彼はしばらく目を瞑ったまま黙した。


 すると彼は突然目を見開いた。


「おい少年」


 僕は、目の前の男は気が触れたのかと思った。また僕を殺そうとするのかと。


 でもそうじゃなかった。


「おい、少年。船だ。汽笛だ。助けだ! 火を!」


 僕は黒シャツの視線を追った。黒煙を上げながら白い船が遠くに見えた。船は、どうもこちらへ向かっている。


 僕は顔をくしゃっとした。


「船は来るって……言っただろ」


 潮風が目に染みた。


 船が来ると“信じていた”わけじゃない。来なかった場合のことを想像したくなかっただけかもしれない。


 でも今は。


 黒シャツは大声で叫び続けた。

 船が光で合図を返した。


 黒シャツと僕は顔を見合わせた。




パロディ元ネタ「オオカミ少年」

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