今日の後に今日なし

鴻上ヒロ

今や遅しと……

 移りゆく日々、流れ行く時。そんな言葉にあるように、私という人間は日々をどこか遠くで見ていた。

 明日は明日の風が吹く。昨日は昨日、今日は今日。昨日の襤褸、今日の錦。それらの言葉から感じられるように、私は今という時をどこか俯瞰で生きていた。


 難しい言葉を並べ立ててみたが、とかく私は今日という一瞬にして過ぎ去る時と真剣に向き合ってなどいなかったのである。何故そうなったのか、何時からそうだったのか、今の私には最早わかりようもなく、ただひとつ言えることがあるとするならば、今日の後に今日なしということだろう。


 なぜ今になってこのような言葉ばかりを考えているかというと、今私の置かれた状況が問題なのだ。


 昨日のことである。


 半ば惰性で通っている大学の、完全に義務感で行っている部活動の帰り、私はいつものように京都市左京区の心霊スポット付近を歩いていた。あたりはもうすっかりと暗かったが、とっぷりと夜が更けたとまではいかず。

 あれは何時頃のことだったか定かではないが、とにかく心霊スポットを通り過ぎた私は、いつものようにコンビニに寄り、ラッキーストライクとエナジードリンクを購入したのだった。

 それから自宅に帰り、冷蔵庫の中身を確認した後、名もなき炒め物を作って食し、机に置かれた劇の台本から目を逸らしながらベッドに寝転がったのだ。


 気がつけば眠っていたのだが、起きても朝が来ない。スマホの液晶画面に表示されている日付が、今日から動かない。どれだけの時間を家で過ごそうと、どれだけ寝ようと明日が来ないのだ。


 目が覚めれば明日が来て、朝が来る。そんな日常と呼べる惰性の当たり前というものが、消え失せたのである。


 そうしてはじめて、私は今という時を真剣に考えようとしたのだが、どうもうまくいかない。頭の中を占めるのは、今という言葉の入った故事成語、ことわざの類ばかりである。頭の中を雑念が支配している。


 最初はアレコレと試してみた。家の外に出て走り込んでみたり、高台から飛び降りようとしてみたり、自転車を二人乗りしようとして相手がいないことに気づいたりしてみた。

 階段から転げ落ちようとして、これは三部作の違う作品だったと気付いたときにはもう、八方塞がりだったのだ。


 ループ物という作品に、媒体を問わず多く触れてきた私だったが、現在の私のような何の前触れも伏線もなくただ時が動かないという事態に直面したことは未だ嘗てない。あるという人は、今すぐに私のところに来てほしいものである。

 きっと、愚痴に不平不満にと旨い酒が酌み交わせることだろう。


 そもそも、これはループではないのだ。タイムリープに代表される一般的解釈によるループというのは、一定の地点まで時が進んだ後、ある地点まで戻ってしまうことを指す。

 対して私はどうだ。

 進んでいないのだ。2025年1月10日というなんでもない日の夜半に、閉じ込められてしまった。腹は空かぬ。喉も渇かぬ。これはありがたい。店など閉まっているし、そもそも他の人間の時は止まっているのだから買い物など出来はしない。


 これほどまでに何の感慨もなく、時が止まることなどあってよいものなのか。時を司る神か運命を決める神かが居るのであれば、きっと三流脚本家なのだろう。物語には動線が必要なのだということを、止まった時のなかで小一時間ほど説いてやりたいところである。


 待て、そもそも本当に心残りはなかっただろうか。今という時が制止すればいいと思うほどの心残り、悔いはなかったか。あるはずがない。私は惰性で生きていたのだから。

 考えられるとすれば、明日、私の初主演舞台があることくらいだろうか。体感的にはもう二週間ほど前になるが、今朝は胃がキリキリと痛んだものだった。

 その初主演舞台の千秋楽の日には、意中の相手に告白などしてみようかと私にしては思い切ったことを考えてはいなかったか。惰性でどこか他人事のように私という人生を生きてきたこの男にとって、そうした重大なイベントは「来ないほうがいいもの」ではなかったか。


 思い返すのは昨年の今日。大学の二回生になった私が、雨の中ずぶ濡れで歩いて帰っていると自転車で駆け抜けながら傘を投げ渡してきた女の子のこと。

 後日同じ大学の同期だと判明したその女の子は、名前を柊あかりという。彼女は遠い北の大地からはるばる京都まで引っ越してきて、わざわざ特に取り柄のない芸術系の我が大学に通っている。

 座右の銘は「今日の後に今日なし」である。その座右の銘に象徴されるように、彼女は今という時を精一杯楽しんで生きていた。期間限定商品には我先にと目を輝かせながら飛びつき、期間が定められたイベントごとには積極的に参加する。

 あまり本を読まないにもかかわらず、下鴨神社の納涼古本まつりに駆り出されたときは驚いたものだ。


 私は、そんな彼女に憧れたのではなかったか。それが私を、これまでの約二十年間という人生で無縁だった恋というものに駆り立てたのではなかっただろうか。

 なぜ忘れていたのだろう。忘れたまま、告白などというだいそれたことを考えたのだろう。


 気がつけば私は、主演なのにも関わらずほとんど読み込んでこなかった台本を手にとって、捲っていた。ほかの役者陣と比べ、明らかに書き込み量が少ない台本を延々と読んでみる。


 最早時の流れなど正確にはわからないが、読みはじめて結構な時間が経ったように思う。他人の時が止まっているのをいいことに、声に出して読んでいた。おかげで役に対する理解は深まったが、体が疲労感を訴えてきている。

 私はベッドに身を投げ、そのまま目を閉じた。


 鬱陶しい光が、目にかかっている。

 光……?


 飛び起きてみると、窓から光が差し込んでいた。体感二週間ぶりに見る朝の陽の光というものに、私の目は感動を覚えているのか、目の奥が痛む。咄嗟に目を閉じたが、それでも瞼の外側が明るいのを感じた。


 スマホを見た。

 明日だ。明日が来たのだ。私の初主演舞台の当日、集合時間ギリギリに到達したのである。


 私は感動を覚える暇もなく、台本と道具をカバンに詰め込みふらふらとした足取りで外へ出た。


 時は移って千秋楽後。私の初主演舞台は、部が始まって以来の大盛況を記録することはなかった。それでも毎公演十数名の客が狭い室内を満たしていたし、柊あかりが来ていたのも舞台上から見えた。

 来なければいいと心の奥底で願っていた時が、とうとう来たのである。大学内で行った打ち上げを途中で抜け出し、呼び出しに応じて来てくれた柊あかりの顔を見て、私の脳内に今日までの日が駆け抜けていくのを感じた。

 白い息を吐きながら、緊張していそうな顔で私を見る彼女。


 今日のことを、明日には後悔するのかもしれない。

 しかし、あの閉ざされた時は今日の一針、明日の十針ということなのだろうと思う。先延ばしにできないこと、先延ばしにできること。それらを全て先送りにしたがった私の惰性と俯瞰と微睡みの生き方に、誰かがノーと言ってきたのだろう。


 私は一世一代の勇気を振り絞り、声を出した。


「好きです! 付き合ってください!」


 初主演舞台などよりもずっと緊張したが、閉ざされたときのなか、台本を読みながら何度も今日のことを考えていた私にはそう難しいことではなかったらしい。すんなりと言葉が出てくれた。

 彼女の顔を見る余裕がなく、下を向きそうになるが、私は思い切って上を見上げてみた。空には無数の星が、遥か過去から刹那的な今というこの瞬間に向けて光を飛ばしている。


「ええと……私も、好きなのかもしれません」


 耳を疑うような言葉が聞こえた瞬間、私の体は宙に舞った。


 私ははじめて、惰性と俯瞰と微睡みで生きる私に打ち勝った気がした。

 これから多くの出来事を彼女と共有するのだろう。

 そうだ、まずはこの馬鹿馬鹿しい事件のことを書き起こしてみよう。

 これを読んだ彼女の反応を、今や遅しと待つばかりだ。

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今日の後に今日なし 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

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