ピアノが弾けるCちゃんの話。

坂本雅

無題

担任の先生が「こんなに素行の悪いクラスは初めてです」と

当人たちに向かって宣言するほど同年代の治安が終わっていたため、

小学校の頃の思い出はろくなものがない。

※担任自体が小学生相手に飛行機事故からの共食いの話、

折檻として尻に異物を入れられる話、

遠泳大会で泳いでいたら前から糞が流れてきた話など

ろくでもないトークを繰り広げる異常教師(♀)ではあった。

今思うと何らかの倫理的法に触れている気がしてならない。


受験せず無勉強で入れるその市立学校において、

クラスを支配していたのは"冷笑"である。


同調できない奴は馬鹿。

運動ができない奴は馬鹿。

からかわれて本気で受け取る奴は馬鹿。


日々、悪知恵を働かせてあざ笑うことに全力を費やしている者どもがカースト上位にいて、

私は愚弄しても良い標的だった。


最初のきっかけは、私の家の玄関先で待って

少ない小遣いをせびっていた自称友達の女子A。


机をつきあわせて課題の俳句に取り組んだところ

Aは私の俳句の上五、中七を丸パクリし、下五のみ差し替えて入賞を果たした。


自宅に招いて格ゲーで遊ぼうといい、やったことのないゲームで初心者狩りをして笑い

私が攻撃を避けると「なんで避けるの!? 信じらんない!」と不機嫌になった。


相手が友達と思っていないことに気がついた私は、友達をやめる理由を書いた

縁切りの手紙をAの自宅に置いていった。

夕方、Aが親と共に現れ、お小遣いの返金と謝罪を受けた。

Aが親に自己申告した額は実際に奪われた額より少なかったが、ひと段落したと思い安堵した。


あの子が近くにいたせいで話しかけられなかった、助けてあげられなかった、

と打ち明けてきたクラスメイトの女の子Bと仲良くなった。

半年から一年はオタク趣味だったBと楽しく過ごしていたが、

学校というものはどういうわけか、クラス替えで仲のいい生徒同士を引き離す傾向にある。


新学年になって孤立した私は、男子の暇つぶしにいじめられるようになった。

ギリギリネットが普及していなかった世代なのに

「菌がうつる」をはじめとするイジメの常套句を一通り浴びせられた。


いま振り返れば、加害者に非があると誰の目にも明らかなのだが

当時の私は「自分が悪い」のだと思っていた。

「相手も自分と同じく馬鹿ではないのだから、何か理由があって非難している」

と信じていた。


大した理由もなく、ただ誰かを下に見たいから加害するという行動を理解できなかったのだ。

不特定多数の意見が可視化されていなかった時代は、とかく四面楚歌になりやすかった。


先述した異常担任にイジメについて告げても「互いに謝りあって解決しましょう」のみで

何も解決せず、「チクリ魔だ」といっそう揶揄されるだけの日々が続くうち不登校になった。


家で古い考えの祖父母に「学校に行かない馬鹿」と罵倒されながら毎日をやり過ごした。

次第に、学校に復帰しなければ将来がめちゃくちゃになると

親を含めたあらゆる人から脅され、嫌々ながら戻るしかなかった。


そんな折、引越しによる転校生Cがやってきた。

常にハツラツとした自信に満ちた女の子で、委員長や何やらに

率先して手を挙げるようなタイプだった。


音楽の授業では誰よりも声を張って歌い、国語の音読においても

感情豊かに読み上げるのを良しとしていた。

クラスで唯一ピアノを習っていて、伴奏を任されていた。


「あんな真面目にやっちゃって、馬鹿みたい」

クラスメイトは笑い、ひそひそと悪口を垂れ流した。

私も、なぜCがそれほど本気で取り組むのか分からなかった。

依然続いていたイジメのことで手一杯だったのもある。


ある時、ほんの偶然でCと一緒に下校する機会があった。

好きなテレビの話題を振られても、私の家は祖父母が好きな時代劇と野球ばかり流れていて、ついていけなかった。

ドラマのモノマネを始めた彼女に分からないなりについていくと、良くも悪くも笑われた。


「あたしね、中学校は別のとこに行くの。あんたたちとは全然違うとこに行くのよ。だから、きっと、これっきりよね」


文脈は忘れたが、そんなことを言われた。


Cは日々明るく過ごしているように見えたが、内心は

クラスメイトの程度の低さに辟易していたのだろう。

それを耳にした時、私は音楽の課題で彼女が

「課題曲は怪獣のバラードがいいです。怪獣、ってところが皆にはお似合いだと思います」

と堂々と言っていたことを思い出した。

※ちなみに票が集まらず不採用。


周りを怪獣と呼び「自分はお前らなんかとは違う」と

面と向かって言っちゃう時点で、Cもまた

性格が終わっていたのでは? と思わなくもないが、

このくらい開き直らなければやっていけない場所ではあった。


Cの言葉は私への励ましでもなんでもなく、ただの勝利宣言にすぎなかったが、

閉鎖された環境で生きるしかないと考えていた私にとって

「嫌なものと縁を断ち、一からやり直す」選択肢そのものがカルチャーショックだった。


だが、親に中学校を変えてほしいと告げても「うちのどこにそんな金があると思ってる?」

と怒られるだけで、真面目に受け取ってもらえなかった。


正真正銘の本気で、頭を下げてでも転校をねだっていれば

1%くらいは聞き届けてくれる可能性があったかもしれない。

しかし、私は一度断られただけで諦めてしまった。


このまま中学校に行けば、クラスが離れてしまい

時々一緒に下校する程度しか関われなくなったBと再び楽しく過ごせるのではないか。


そんな甘い想像で私は受験をやめた。


卒業間近の休日、Bに誘われて学校周辺の散策をした。

元気いっぱいのBを見て私も嬉しくなったが、彼女はふと、こう漏らした。


「あ〜あ、小学校に戻りたいなぁ。すっごく楽しかったよね?」


聞いた瞬間、心臓だか胃だか分からないところが引き締まって痛みを訴えた。


Bは確かに私と友達だった。

けれどBには私以外の友達が大勢いて、私は沢山いるうちの一人でしかない。

彼女は私がイジメを受けていた事実を間違いなく知っていたけれど、

躍起になって助けたり、庇ったりはしてくれなかった。


子供は「こう言ったら相手がどう思うか?」と一歩立ち止まって考えることが難しい。

自分が近い将来どうなるか、うっすら分かった上で中学校に進まなくてはならなかった。


案の定、生徒人数の倍加した中学校で半年も経つと

交友関係の広いBとの関わりは薄れていき

再び、より陰湿な冷笑に晒された私は学校に通えなくなった。



以下省略。

仮に転校していたとしても、心に深く根付いた人間不信がある限り

上手くいかなかった可能性が高い。

今のようにネットがあったとして、子供の語彙でああだこうだと騒いでも

正しく現状を伝えられる気がしない。

全てが終わった今、タラレバに深い意味はなく、

ただ吐き出して胸の内から片付けるしかないのだ。


ただ、どうせなら

Aの狡猾な詐欺師見習いのような立ち回りや

Bの他人事であったがゆえの優しさよりも

Cの根底的な育ちの良さからくる誇り高さを見習った方がいいなと感じた。


「なんで私がこんな目に遭うの?」と絶望の中に落ちるよりも

「こいつらと一緒にしないでくれます?」という怒りを抱いていた方が

おそらくずっと健全で、力がわいてくる。


「私が死んでも秒で忘れて自分の人生満喫してそうだったクソ野郎どもに頭の容量を割くなど無駄では? デフラグしよ」

文章として言語化すれば、このようなことが出来るのでたびたびやっている。

書けないという方でも現代ではスマホによる音声入力がある。おすすめ。

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ピアノが弾けるCちゃんの話。 坂本雅 @sakamoto-miyabi

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