第54話
春奈は見送りに来た長達に向き直った。
「春奈殿、ありがとうございました。このご恩は忘れません。
友との別れは寂しいですが」
と、時雨が爽やかな笑顔で言った。
その帯には、お揃いで買った扇子が挿されている。
「大丈夫、私もその後の横浜圏が気になるし、ちょくちょく会いにくるよ」
「お待ちしておりますよ」
彼の優しい笑顔を見るのが、忙しい日々の癒しであった。
きっと今まで以上に、鶯を支える良い君主になるに違いない。
「雑務長がいなくなれば、掃除をするのがまた面倒だ」
腕を組んだ雪乃丞がぶっきらぼうに告げる。春奈が、
「モップ使ってね」
と返すと、ちいさく笑って、頷いた。
「行かないで下され師匠!
拙者はまだ師匠から学びたいことが沢山ありましたのに…」
と、藤次郎は今生の別のように、手を握ってぶんぶんと振ってきた。
「もう、大丈夫?」
と尋ねると、藤次郎は眉毛を下げて、情けない笑顔を見せる。
「…父上の事は、拙者が残りの人生をかけて償っていきますゆえ」
と言って、誇らしげにその金髪を揺らした。
隣の柳之助は、だらしなく着崩した着物で腕を組むと、
「はいはい、お元気で。ま、貴女には存分に楽しませていただきましたよ。
何かの縁があったら、また将棋でも打ちましょう」
と、キザなウインクを一つ。
皆からの挨拶が終わったので、小舟に乗ろうと向き習うと、
「待て!」
振り返ると、石畳の階段の頂上で、鶯が立って叫んでいた。
目に涙を浮かべ、両手を握りしめている。
「春奈、待つのじゃ!」
小さい体で精一杯叫ぶと、急いで階段を下りてくる。
「鶯、走ると危ないよ」
「馬鹿者! いくな!
わらわを置いて帰るなんてずるいじゃないか」
「ごめんね、任期が終わったから……」
「お主がいなくなったらぁ、誰が『ぷりん』を作るのじゃ!」
この前見せた圏主らしさはどこへやら。
べそをかきながら、駄々をこねるように階段を下りてくる。
しかし春奈を乗せた舟はゆっくりと沖へ向かって進められていった。
鶯は、舟にも届くよう一際大きい声で、言った。
「決めた。春奈、今からお前をわらわの『若紫』にする!」
船着き場にいた長の全員が、鶯の言葉にぎょっとした。
お菊は驚き、柳之助は呆れ、藤次郎は鶯を振り返り、時雨は笑った。
眉間にしわを寄せていた雪乃丞が、苦々しく「馬鹿な」と呟いた。
若紫? 一体どういう意味?
と春奈が遠くて聞き取りづらい鶯の声に耳を澄ました。
頭に疑問符を浮かべていると、雪乃丞が、苦々しく、
「―――舟を戻せ!」
と舟漕ぎに命令した。
するとすぐに櫓を漕ぐ向きを変え、春奈を乗せた舟は船着き場へと戻っていく。
「いやいや、何、どういうこと」
船着き場についたが、意味がわからず座り込んでいたら、雪乃丞が舟に飛び乗ってきて、春奈を肩に抱え無理やり舟からおろしてきた。
その乱暴さと、子猫みたいに担がれた恥ずかしさで、抵抗する。
陸に戻り雪乃丞の手を振り払うと、いつの間にか鶯が階段から降りてきていた。
「若紫って、どういう意味?」
聞きなおすと、そばにいた時雨が困った顔をしている。
しかし観念したように、
「若紫とは、初代芳勝様の御正室の方のお名前。
以降圏主は、自分の唯一無二の側近として認めた一名にのみ、若紫という肩書を与えて、一生側に置く決まりなのです」
耳を疑った。
唯一無二の側近で、一生側に置く?
「そう、だから春奈、お前は今日からわらわの若紫じゃ!」
楽しそうに、まるで小さい太陽のように笑う鶯だったが、春奈は頭の処理が追いつかない。
柳之介がしゃがみ込み、ずい、と鶯に近寄って、
「いいのですか鶯殿。人生は長く、世界は広い。
こんな簡単に決めてしまっては勿体無いのでは?
一生に一度のことなのでしょう?」
しかし鶯は首を横に振り、
「構わん。わらわは春奈がいい!」
と言うものだから、おやおや、面白いことになった、と柳之介は春奈に向き直り手を振った。
「帰ることは許されない。
基本的に、若紫は圏邸からも出てはいけないものだ」
と、雪乃丞に逃げ道をふさがれる。
時雨は、しょうがないと笑っているし、藤次郎は師匠が戻ってきたと早くも喜んでいる。
いやいや、私は本島から派遣、及び左遷されてきた外交官で。
業務は完了し、任期は満了したし。
干された職場にも、席が戻ったようだし。
「春奈、大好きじゃよ!」
そんな苦悩も露知らず、鶯がぴょん、とはねて春奈の腰にしがみついた。
絶対に離さない、と強く強く抱きしめてくる。
おやおやお熱いことだ、と柳之介が冷やかし、雪乃丞が眉間に手をやり、やれやれと匙を投げた。
千歳の間の長たちはみな、呆れたり笑いをこらえたりと、春奈を眺めていた。
「師匠、いえ若紫殿。御用があれば拙者に」と藤次郎。
「またよろしくお願いします」とお菊。
「茶番だ」と雪ノ丞。
途方に暮れる春奈に、時雨が優しく笑いながら告げた。
「若紫に任命された者は、生涯圏主のそばにいなければいけないという黙約があるのです。
本島に帰るのであれば、それを変える条令をお出しください、雑務長殿」
全く、この人の笑顔には敵わない。
黒船に、雑務長に、次は若紫?
いくつの名前で呼ばれればいいのと、個性豊かな長達を眺めながら春奈は苦笑した。
でも、コンビニやショッピングモールやビジネスビルが立ち並ぶ海の先の故郷ではなく、もう少しこの侍たちとともに、掃除や洗濯をしていたい、と言う気持ちが湧き上がってしまった。
「わらわのそばに居て、ずっと支えてくれ、春奈!」
幼くあどけないその笑顔を、守りたいと思ってしまった自分もいるのだ。
春奈は首を傾げ、ああまた上の人に怒られるんだろうなあ、と思いながら、任期の延長を申し出る手紙を書こうと心に決める。
まだまだ、やり残したことは沢山あるのだ。
「じゃあお菓子でも食べながら、今後のことについて考えようか」
「うむ、嬉しいぞ、春奈」
圏邸へと向かう道を再び歩き出す。
負けず嫌いで曲がったことが大嫌いな自分は、最年少官僚より、侍相手の雑務長の方が向いているのかもな、と思った。
日は晩秋、時は二十一世紀。
本島からの百五十年もの隔たりが、今では手が届く十五センチの距離の笑顔だった。
ペリーでも成し得なかった改革を行った貧乏性の革命家は、後に自分が圏主を支えた名君として名が残されることも知らず、青空を見上げるのであった。
横浜にはまだサムライが住んでいる〜左遷された最年少官僚ですが改革します〜 たかつじ楓@『明治あやかし婚姻譚』発売中 @kaede_takatuji
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