正直者のボルケーノと、憩いの焚き火

アンガス・ベーコン

亡命の王女と、一角牛の肩ロース

 世界地図は一週間で役立たず。国も住処も変わり果て、行き場をなくした人間たちは争うばかり。

 この世界は飽き性で気まぐれな芸術家の塑像そぞうだ。まるで粘土から創った作品を押し潰して一から整形するかのように、大陸や島が一週間ごとに動いてしまう。この現象は惑星ほしの目覚めと呼ばれた。

 初めての惑星ほしの目覚めが起こる直前、栄えた国は強大な魔法の力で惑星ほしの奥深くに錨を下ろし国土を固定する。そうでない国と人々は移り変わる世界を彷徨う他なかった。

 たとえ地上が混沌に溢れても、空にあるものだけはずっと昔から変わっていない。昼には太陽が世界を照らし、夜には月が世界を照らした。

 ある日の晩、魔物がひしめく森の奥地に月の光が差し込む。

 そこには摩訶不思議な焚き火の明かり。誰が焚いたものなのか、いつから焚かれたものなのか。どこの誰にも分からない。

 焚き火の炎はパチパチと小粋な音色を奏でて踊り、人の訪れを待ちわびていた。

 流れ行く雲が月を覆ったそのとき、焚き火のそばに白髪の青年が現れる。

「おーい。誰かいないのか? 無人か? 妙だな……火の消し忘れだろうか」

 青年の足下には黒い狼が一匹。

 狼は口を開けて吠え始めるかと思いきや、なんと喋り始めた。それも老獪ろうかいな賢人のように。

「無人ならばちょうどよかろう。有り難く使わせてもらえ、ボルケーノ」

「それもそうだな」

 白髪の青年――ボルケーノは、自分のオールバック・ヘアーを整えながら手近な倒木に腰を下ろした。

 彼は腰のポーチから今晩の食料『ヤマバヤモリ』を三つ取り出して枝木を探す。

「さーて、焼いて食うか。トニーには二匹やるよ」

 黒い狼――トニーは首を横に振る。

「全部お前が食え。俺は寝静まった獣にありつこう。残りは分けてやる」

「強がるなよトニー。君は狩りも苦手だし、血の臭いはてんで駄目じゃないか。夜狩りはさらに危険だぞ」

「危険なんぞ省みるものか。もう血の臭いも問題ない。新鮮な獲物にかぶりついて見せたのを忘れたか?」

「そのあと、こっそり吐くところをみたけどな」

「うっ……」

 しょんぼりするトニーを他所に、ボルケーノは串焼きの準備を進めた。

 彼はそこら辺に落ちている適当な枝木を拾ってきて、ヤモリの口にブスリと突き刺す。

 そして焚き火の炎に串刺しのヤモリを二本かざして、両面をこんがり焼きあげた。

「ほら、まずは二本。少しでも食って力をつけな。明日にはこの森を抜けるぞ」

「ボルケーノ……ここは一人一本ずつにしないか?」

「ん……?」

「三時の方向に客人だ」

 ボルケーノは即座に立ち上がり、夜風を切り裂く速さで腰のホルスターに手をかけた。

「誰だ。姿を見せろ」

 ボルケーノの視線の先、森に立ち込める暗闇から、か細くて透き通った女性の声がする。

「驚かせて申し訳ありません……私はただの流浪人。森の中を彷徨っていた折、月と焚き火の明かりを目指してここに辿り着きました」

 声の主は焚き火の明かりに足を踏み入れた。

 炎に照らされて露わになったその姿は、ウェーブがかかった長い金髪、翡翠に似た緑の瞳、そして純白の修道服を身にまとった若い女性。

 女性は頬を緩めて微笑むと、小さく首を傾げてボルケーノの瞳を見つめる。その姿はまるで、女神の偶像そのものだった。

「どうか、私もここで足を休ませてもらえないでしょうか?」

 女性の佇まいは気品漂う高貴なもので、ボルケーノはその立ち振舞いから育ちの良さを感じ取る。

 どうして小綺麗な身なりの女性がこんな森の奥深くにいるのだろうか。ボルケーノはそんな疑問を抱く一方で、女性の左足の様態を案じる。

 女性は左足の痛みを少しでも和らげるために、ほんの僅かに重心を偏らせていた。

 それでも女性の素振りや表情には一切の苦痛が表れていない。

 ボルケーノは女性も訳アリなのだろうと察し、詮索は避けた。

 たとえ人であろうとなかろうと、どんな事情を抱えていたとしても、焚き火を囲って談笑に花を咲かせれば友になれる。ボルケーノはそう信じた。

 彼はホルスターから手を下ろして倒木に座り直す。

「構わないぜお嬢さん。好きなところに腰を下ろしなよ」

「ありがとうございます」

 女性は草が茂る地面にゆっくりと腰を下ろし、両手をかざして焚き火にあたる。

 女性の細まる目もとに微かな安堵が滲んだ。

 ボルケーノはトニーに串焼きを一本渡して、最後の一本を焼き始める。

「ちょうど飯を用意していたところでな。お嬢さんも一緒にどうだい? とは言っても、口に合うかどうか分からないが……」

「いえ、お食事まで頂いては迷惑ですから。私は結構です」

「そうかい? お節介かもしれないが……少しでも栄養をつけないと、足の傷がよくならないぞ」

 続けて、ヤモリの串焼きを一口で平らげたトニーが足の傷について言及する。

「この腐敗した樹木のような臭い……単なる切り傷ではあるまい。小娘。それはヒビアイカの木目だろう」

 女性は初めて女神の微笑みを崩し、目を見開いた。

「喋る狼……驚きました。なぜ、お二方は私の怪我を?」

 ボルケーノは答える前に、串焼きを完成させて女性に差し出す。

「重心の傾きとか足の動きで分かるものさ。トニーは狼だから鼻が効くしな。ここで巡り合ったのも何かの縁……その傷、俺の持ち物で治せるかもしれない」

 女性は串焼きを受け取りつつ、ボルケーノの持ち物について尋ねる。

「持ち物とは、医療品をお持ちなのですか?」

「ああ。丁度、女神の涙を拭いた亜麻布がある。俺には勿体ないくらいの高級品さ。使ってくれ」

「王族も欲するほどの品ではないですか! 私には受け取れません!」

「俺のポーチで肥やしになってるんだ。必要としてる人が使うべきだろ」

「そんな……私は貴方にとって素性も知らない流浪人です。私のことを怪しまないのですか?」

「そりゃあ多少なりとも警戒はしてるさ。でも、人を助けるのに怪しいかどうかは関係ないだろ。どうか使ってくれないか」

 女性はボルケーノの返答に驚き、呆気にとられる。

 鋭い洞察力と観察力を持ちながら、素性のしれぬ不審者でさえ思いやる懐の深さ。

 恩を仇で返す輩もいるというのに、ボルケーノはなんの躊躇いもなく名前も知らない女性に傷を癒す道具を使おうとしている。

 旅路において医療品は必需品であり貴重品。中でも女神の涙を用いた品は、あらゆる傷にも病にも効く万能具だ。簡単に手放していいものではない。

 トニーはやれやれと言いたげにため息をついて、ヒビアイカの木目について説明を始める。

「ヒビアイカの木目というのは、付呪した刃で斬りつけた人間を少しずつ樹木に変える呪いだ。『ダルサ・ヴォアラ帝国』お抱えの隠密部隊に伝わる忌まわしき秘術よ。この森から数里離れた地は丁度ダルサ・ヴォアラの領地……連中に狙われるとなれば、小娘も只者ではあるまい。貴様何者だ」

 ボルケーノはトニーの指摘に耳を傾けつつ、女神の涙を拭いた亜麻布を取り出した。

「トニー。触れてやるな。訳アリなのは俺たちも一緒だろ? 深い森の中で同じ焚き火を見つけた幸運なる者同士、仲良くしようぜ」

 そう言ってボルケーノは女性に亜麻布を差し出す。

 女神の涙を拭いた亜麻布は、焚き火の光を受けて星空のようにきらめいていた。

 ボルケーノは女性が受け取るのをじっと待つ。

「ほら。本物かどうか確認してくれ。傷口に巻けば楽になるはずだ」

 女性は恐る恐る亜麻布を手に取り、じっくりと観察した。

「これは、間違いありません……たしかに本物です。本当に、私が使ってもよろしいのですか……?」

「ああ。遠慮せず使ってくれ。なかなか信じてもらえないんだが……人が助かると、俺も嬉しいんだ。変わってるだろ」

 女性は微笑みながら首を横に振る。その笑顔は女神の偶像の微笑みではなく、年相応の飾り気のない笑顔だった。

「その気持ちは、私もよく分かります……民衆の笑顔が私の生き甲斐でしたから」

 女性はヤモリの串焼きを咥えると、ボルケーノの親切心を噛み締めながら修道服の裾をまくり上げて女神の涙を拭いた亜麻布を傷口に巻いた。

 たちまち傷が癒えていく。痛みが引いて、邪悪な臭いが消えていく。

 それから女性はヤモリの串焼きに丁寧にかじりつき、口の中に広がる素朴な味を嗜んだ。

「香ばしくて美味しいです。初めて口にしたのに、とても親しみ深い味がします。ワインととても合いそうですね」

「お、分かるかい? これを食べてると酒が欲しくなるんだ。腹の足しにはならないが、けっこう元気がでるんだよ」

「そうですね。医療品に食料まで……本当にありがとうございます。足も楽になりました」

「そりゃよかった」

 ふと、女性の食事を見届けていたトニーが、意味深に尻尾の向きを変える。

 トニーの合図を察したボルケーノは串焼きを一口で平らげた。

 次の瞬間、彼は立ち上がってホルスターから銃を引き抜く。

 その動きとほぼ同時に、女性も太ももからダガーを引き抜いて立ち上がった。

 女性は目にも止まらぬ速さで身を翻し、金色の頭髪をなびかせながら暗闇を切り裂く!

 その刃の軌道上には、漆黒のコートで身を包んだ暗殺者。

 女性の一振りによって暗殺者の手は引き裂かれ、暗殺者が握りしめていたダガーは暗闇の中へ吹き飛んでいく。

 女性は即座に暗殺者の首を掴み、耳元で子守唄を囁いた。そして悲しげに眉をひそめる。

「どうして心優しき母上が、私に戦い方を教えて下さったのか……今ならよく分かります」

 暗殺者は子守唄の効果で強烈な眠気に襲われた。

 襲い来る眠気を堪えながら、暗殺者は苦々しく呪詛を吐き捨てる。

「時代は……お前など求めていない。国に帰りを待つ者などいない。お前はどこにも逃げられない。お前の居場所なぞ、世界のどこにもありはしない」

「覚悟の上です。あなたも私も、時代に翻弄されし犠牲者……お休みなさい、可哀想な人」

 女性はダガーを振り払って返り血を落とす。修道服には一滴の血もつかなかった。

 暗殺者は寝息を立てて背中から倒れ込む。

 一連のやり取りを眺めていたボルケーノは、銃をホルスターにしまい直して女性に小さな拍手を送った。

「お見事! お陰で弾を温存できたよ。その軽やかな身のこなし、どうりで俺の察知が遅れたわけだ」

 トニーは呆れた顔でボルケーノの足に鼻先を押し付ける。

「だから言ったろうに。只者ではないと」

 女性は二人に向き直り、ダガーを太ももに隠し直して丁寧にお辞儀した。

「名乗り遅れて申し訳ありません。私はダルサ・ヴォアラ帝国王女、クリスティ・フライエンフェルスと申します」

「俺はボルケーノ・アーデン。狼のトニーは俺の相棒だ。北の最果てを目指して旅をしている」

「北の最果て、ですか……それは過酷な旅路となることでしょう。どうか、お二方に女神のご加護があらんことを……」

「そちらこそ、色々と大変な身の上だろうに……ダルサ・ヴォアラ帝国の内乱は噂で聞いたことがあるよ。名乗ってくれてありがとう、クリスティ。君の幸運を祈る」

「お礼を言うべきなのは私の方です。不審な私に恩義をかけて下さってありがとうございます。お二方は命の恩人です。どうか改めてお礼をさせて下さい。そうだ、幸運と言えば……」

 クリスティは眠りに就いた暗殺者のそばに屈み、漆黒のコートをめくって懐を漁る。

 そしてコートの内ポケットから、紫色の小包を取り出した。

「ありました! 手つかずの一品ですよ!」

 ボルケーノは怪訝な顔で首を傾げる。

「それは一体……?」

「ああ、すいません。臭い消しの布で包まれているから、トニーさんも分かりませんよね。いまお見せします」

 クリスティは焚き火の光の中で小包を開けた。

 すると、芳しいスパイスの香りと芳醇な牛肉の香りが辺りに広がる。

 小包の中身は暗殺者の携帯食料。一角牛とも称される『ビャクヤ・ウシ』の肩ロース肉を燻製にしたものである。

 肉の形は短い丸太のように分厚い。三人で分けるには十分すぎる量だ。

 トニーは堪らずよだれを垂らす。

「な、なんと……帝国の隠密部隊め、あやつら、こんなものを携帯しているのか。なんと贅沢な」

 ボルケーノも久方ぶりの牛肉に食欲をそそられる。

「え……これ、色んな意味で食べても大丈夫なやつ?」

 クリスティは満面の笑みでうなずく。

「もちろん! 安全性は私が保証します。お二方は呪いを解いて下さった命の恩人ですから、少しでもお礼をさせてください」

「それじゃあ、遠慮なく!」

 ボルケーノはポーチから食事用のナイフを取り出し、手早く燻製肉をスライスした。

 クリスティはスライスした燻製肉を受け取って、一口ずつ噛み締めながら牛肉の風味をじっくりと味わう。

「あぁ……夜中にお城を抜け出して、酒場に忍び込んだときのことを思い出します。あの時の店主さん、元気かなぁ……」

 ボルケーノは焚き火で炙ってから口の中に放り込んだ。

「うめぇ……森の奥でこんなにも美味い牛肉にありつけるとは思わなかったぜ。酒があったら最高だったなぁ〜」

 トニーはもらった燻製肉を、ガブリ、ムシャリと二口ほどで平らげる。

「ボルケーノ! 早く次の一枚を! 早く!」

「もっと味わえよ、トニー。ほら」

 ボルケーノは燻製肉を摘み上げてトニーの頭上にかざした。

「ワフゥ〜!」

 トニーは跳び上がりながら燻製肉にかぶりつく。

 クリスティはトニーの喜ぶ姿に釣られて、純白の八重歯を見せながら笑った。

「ンフフ……喜んで頂けて何よりです。どういうわけか、追手の方々は美味しいお肉ばかり携帯してくるのですよ。たまにはお野菜も食べたいのにっ!」

 もはや追手の扱いが食料の配給。そんなクリスティの物言いにボルケーノは吹き出した。

「アハハハ! そこまで逞しいなら心配いらないな!」

 満足に食事を終えたボルケーノたちは、明日の予定についてクリスティと話し合う。

「ふぅ〜これなら余裕で森を抜けれそうだな。そういえば、クリスティが向かう方角は? もし一緒なら、森を抜ける間だけでも同行したい」

「本当ですか! 私は西に向かう予定です」

「よし、それじゃあ一緒に行こう。旅の仲間は多いほうが楽しい」

「ありがとうございます……! お二方がご一緒して下さるなら、もう心細くありません」

「決まりだな。トニーも構わないだろ?」

「そうだな……また肉が運ばれてくるやもしれぬし、小娘なら足手まといにもなるまい。よかろう」

 翌朝、三人は荷物をまとめてからトニーの鼻と獣の勘を頼りに西の方角のルートを決める。

 クリスティ曰く、眠りに就いた暗殺者は三日三晩目を覚まさないとのことだが、念の為に暗殺者の手首と足首を紐で拘束して焚火のそばに寝かしておいた。

 去り際にボルケーノは羽根ペンを取り出し、暗殺者のインナーにメッセージを書き込む。

[牛肉、ご馳走様でした]

 三人は無事に森を抜けて、最寄りの『そびえ立つレンガの街』まで共に旅をした。

 それからクリスティは人探しのために南へ、ボルケーノとトニーは北へと別れる。

 三人は別れ際に、もう一度焚き火を囲う約束を交わした。

 ふと、ボルケーノはレンガの道を進みながら焚き火のことを思い返す。

「アレは結局、誰が焚いたものなんだろうな……全く火が弱くならないのをみるに、魔法の類かと思ったていたけど」

 トニーも不思議そうに首をかしげる。

「罠ならば考えようもあるが、そうではなかった。火をつけるだけならともかく、燃やし続けるとなれば発動者の身体が持つまい」

「そうだよな……色々と見て回ってきたつもりだけど、まだまだ不思議なことはあるもんだ」

「この世には邪悪と無秩序が蔓延っている。だが善意と奇跡も確かに存在している。あれは女神がこの地に残した善意の賜物かもしれぬな」

「いいね。その考え方、俺は好きだ。しっかし、トニーから前向きな言葉を聞けるなんて意外だな」

「ぬぅ……クリスティのが移ったな」

「いいことじゃないか」

 二人は街を抜けて再び道なき道を進む。

 北へ北へ。ひたすらに北の最果てを目指して。

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