帰ってきた勇者さま
橘はじめ
第1話 帰ってきた勇者さま
18時10分の電車。
会社の仕事も終わり、片道1時間をかけてアパートへと帰る。
せっかく就職できた会社だ。前の仕事に比べれば、安全、安心、定時退社に定額の給料。こんな良い条件は無い。最近は事務仕事が多く運動不足気味ではあるが、そんな贅沢な愚痴は言っていられない。
珍しく空いていた電車の端のシートに座り、携帯電話をいじる。
電車に揺られ大きな川橋を渡ると田園風景が車窓を流れ始めた。
電車の出入り口付近で立ち話しをする高校生たち声に俺は反応した。
「昨日、見たか?」
「見た見た。ついに魔王が現れたなあ」
「すっげぇ強そうじゃん」
「でもその前に倒したドラゴンなんか聖剣の一撃だったからなあ」
「まてまて、それ以上話すなよ」
「俺は今日、録画したもの見るんだから」
「ついに2期目が始まったかー」
「楽しみだー」
俺は、耳に入ってきた高校生たちの話しに一人細笑んだ。
そして腕に残る古傷を摩る。
実際、魔王退治なんて楽じゃないよ。
冒険者なんて日々の生活に追われ、金は無いし、危険だし。
ふっ。俺も君たちと同じぐらいの頃に『異世界』に転移したんだけどね。
勇者として……。
***
「ただいまぁ」
「……と言っても、誰もいないか」
目の前に大きな川が見える、3階建ての独身者アパート。
春には、川沿いに咲いた桜が見える良い物件だ。
俺は昔しの癖でひとり挨拶をする。
野宿などはしばしば、焚火をたいては火を絶やさぬ様にして、周囲の魔物には気を付けなければならない。安宿では雑魚寝が当たり前。一人では危険だから常に仲間との連携行動は必須だ。
「カチャリッ」とドアのノブが回った。
「あっ。もう帰ってたんだ」
「ごめんなさい。お醤油が無くなったからコンビニに買いに行ってたの」
彼女がニコリッと笑う。
彼女は変わらない。清楚な服装に黒髪を左右に分け胸元に下ろした姿。
大きな眼鏡の奥の瞳が紅く美しく光っている様に見える。
俺は彼女の瞳を見つめる。
「な、何ぃっ?」
彼女の瞳が紅みを増す。
彼女は俺の隣に住む隣人。
そして元職場の同僚にして、前職は宮廷魔導士。
つまりこの世界に転移した異世界人だ。
俺たちは魔王討伐の為、宮廷が人選した中から組んだ勇者パーティーだった。
苦難の末、俺たちは魔王討伐の依頼を果たし、王宮に帰還した。
役目が終わっ俺は、対価として元居た世界に戻してもらう事にした。
十数年ほどの異世界生活であったが、現実離れした生活や違和感に俺は悩んでいた頃だった。
そして、元の世界へ戻る日―――。
王宮の広間には宮廷魔導師たちが術を行使する為に集まった。
祭壇の様に描かれた大きな転移魔法陣。
俺は魔法陣の中央に立つ。
魔導師たちが詠唱を唱え始めると目の前の魔法陣の中に描かれた文字が光り、生き物の様に形になっていく。
最後を見送りに来ていた俺のパーティー。
こいつらに出会わなければ、きっと俺は魔王を倒せないどころか、日々の生活、いや食べる物にも困っていただろうな。
泪をぬぐう彼女の姿が、俺の胸を締め付けた。
「一緒に帰るか? 俺の世界へ」
「うんっ」
彼女の返事に、ためらいは無かった。
まるでその言葉を待っていたかの様に彼女は俺の差し出した手を取った。
瞬間。俺たちの体は金色の光に包まれた。
そして俺たちは世界を越えた―――。
「トンットンッ」
「ガチャリッ」とアパートのドアが開いた。
「お隣さんですよー」
首にタオルを巻き、上下の赤いジャージ姿の体操のお姉さんが部屋の中に入ってきた。
「ちょっと、カレーを多く作り過ぎたから一緒に食べない?」
片手に鍋。片手に電気釜を持った女性が軽々と両腕を差し出す。
「お、お邪魔だったか?」
と驚いた声をあげるが、口元と目が何やらニヤついている。
このお姉さん、宮廷騎士団の一人……であった。
何故か俺たちと一緒に、この世界に転移した一人だ。
帰ってきた勇者さま 橘はじめ @kakunshi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます